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ファム・ファタールとは|起源や言葉の意味、キャラクター紹介など

ファム・ファタール……それは美術、マンガ、アニメなどの世界で「男を惑わせる魅惑の女性」を指す言葉だ。本来の意味は「赤い糸で結ばれた運命の女性」となる。

「赤い糸」と書くとロマンチックに聞こえるが、いやいや、そんなに良いものでもない。もっと妖しくてキケンな存在であり、男はいつだってファム・ファタールの虜になって破滅してしまうものだ。

ではファム・ファタールとは具体的にどんな女性を指すのか。そしてなぜ長い間、クリエイターから愛され続けているテーマとなったのだろうか。

今回は絵画・アニメ・マンガなどの作品とともに「ファム・ファタール」について見ていこう。最後に代表的なファム・ファタールキャラも紹介する。あらためて、その魅力にがっつり溺れようじゃないか。

ファム・ファタールとは

ファム・ファタールは19世紀末ごろに誕生し、現在まで愛され続けている女性キャラクターだ。フランス語で「赤い糸で結ばれた運命の女」とか「魅力的」という意味がある。英語で言うと「チャーミング」だ。

しかし「魅力」の「魅」には「もののけ」や「心を惑わす」という意味がある。これと同じく「ファム・ファタール」にも「不思議な力」とか「惑わせること」という意味が内包されているのに注目だ。

転じて「男の運命を狂わせる魔性の女」という意味で使われる。むしろここで大事なのは後者だ。ファム・ファタールは単純に「美人」を表す言葉ではなく、主に以下の要素を持ち合わせた女性である。

・男を惑わす美貌を持つ
・決して男になびかない強さを持つ
・自由人であり1人の男を愛するわけではない

魅力的な人・ものには見たものを虜にしてしまう危うさもある。まさにファム・ファタールは美しさと同時に魅了された人を狂わす不思議な力をもった存在として描かれた。では、そもそもいつ・どうやってファム・ファタールが生まれたのだろう。そして流行するようになったのだろうか。

ファム・ファタールは19世紀末の西洋美術で流行した

その理由について解説するために、まずは19世紀末に生まれた「世紀末芸術」という芸術運動について触れよう。

世紀末芸術とは1800年代後半から1900年代において巻き起こった西洋美術界の革新的な運動のことだ。なぜ世紀末芸術が流行ったのかというと「アカデミー支配がギリギリ続いていたこと」「産業革命によって商業デザインが流行し始めたこと」の2点がある。

まず前提としてヨーロッパでは長々と「美術の教育機関」が力を持っていた。これを「アカデミー」という。アカデミーはラファエロの作品のような完璧な構図遠近法を駆使した正確な絵画を目指していた。

しかしこのようなアカデミーの方針は、逆に自由な発想で描きたいと思っている芸術家たちにとっては、表現の幅を狭めてしまう窮屈なものでもあった。

そこに印象派が一石を投じる。この後に世紀末芸術もまたアカデミズム支配に反抗する形で生まれた。

また19世紀のヨーロッパの特徴として「産業革命」がある。あらゆる生産技術が一気に変化し、大量生産が可能になった。商業が活性化するにつれて絵画業界もそれまでの自由な表現より、ポスターなどの商業的なデザインが流行するようになるわけだ。

当時の西洋画家たちは、アカデミーと産業革命という2つの大きな力によって「ちょっと堅苦しいわ。自由に表現できねぇ」となったのです。

そんな流れに反発して、ヨーロッパ各地で同時多発的に生まれたのが「世紀末芸術」という運動。一言で言うならば「芸術作品を売るためではなく、人間が自由に表現をするためのものに戻そう」という思考のもと生まれた。

人間の内面的な思想や、神秘的な体験を描く作品がその運動のなかでは多く生まれた。なかでも「ラファエル前派」という学生によって結成された芸術団体は、アカデミーによって支配され、誰もがラファエロの表現に縛られている当時の芸術界の状況を変えようとする。

そこでラファエル前派の学生たちは「ラファエロより前の芸術に立ち返る」ということでラファエロから1世代前に活躍したボッティチェリの表現を目指すようになる。ラファエル前派は聖書や文学作品などの物語をテーマに描いた。これはボッティチェリの真似でもある。

ラファエル前派の作品にはもう1つ特徴がある。それは表情がはっきり分かる女性の絵画を描いたということだ。

この女性こそが「ファム・ファタール」。アカデミーのように理想的に人物を描こうとすると人形のような顔になりがちですが、ラファエル前派はこのアカデミックな絵画に対する反発して、表情豊かな女性の姿を数多く描いた。

また男性を惑わす魅惑的で強い女性を取り上げた背景には「20世紀にかけての女性の地位向上の兆し」がある。

かつて、ヨーロッパでは、女性は読み書きすら教育されていない状態だった。しかし20世紀前後から女性が平等に教育を受けられるようになり、だんだんと女性の社会的地位が高まってくるわけだ。そんな時代だからこそ、ファム・ファタールのように美しさと強さをもつ女性の絵を社会が求めていたのだろう。

では実際にファム・ファタールの登場する世紀末美術の作品を見ていこう。

世紀末美術に登場する5人のファム・ファタール

では実際に世紀末芸術の絵画作品に登場する5人のファム・ファタールを紹介する。男を虜にして惑わす強さを持った女性たちを見てみようではないか。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「キルケ」

紀元前の叙事詩「オデュッセイア」に登場する魔女・キルケを描いた作品だ。

キルケは気に入った男性を見つけると、美貌を生かして自分が住んでいる島に招き入れ、男に飽きると、魔法で家畜に変えてしまう……。

ちょっと怖すぎる。とんでもない魔女だ。この絵はその魔女・キルケが、物語の主人公であるオデュッセウスに魔法をかけようとする場面が描かれている。

右手には豚に変えるための薬、左手には魔法の杖を持っており、自信に満ち溢れた表情や高く掲げられた左手からはキルケが持つ強さが伝わってくるだろう。

作者のウォーターハウスは、ラファエル前派のなかでも特に装飾にこだわりを見せる画家だった。キルケの座るイスには虎が描かれ、隣には既に豚に変えられたオデュッセウスの部下が横たわっている。強さも前面に出しながらも、薄く柔らかな衣から肌が透けて見えており、妖艶な雰囲気が漂っている作品だ。

フランツ・フォン・シュトゥック「罪」

シュトゥックはドイツ出身の画家だ。ラファエル前派ではないが、神話をモチーフにした作品を得意にしていた。「罪」ではファム・ファタールとして旧約聖書のイヴを描いている。イヴが肩に巻いているのは口を開けてこちらを威嚇する大蛇。

イヴは、神に食べることを禁じられていた果物をアダムという青年に食べせ、その後二人は神との約束を破ったとして、住んでいた楽園を追い出される。

イヴが禁断の実を彼に食べさせなければ二人は楽園を追い出されることもなかったはず。そう考えたらイヴもやはり立派なファム・ファタールなのだ。

アダムの運命を大きく変えたイヴという女性を官能的に描き出している作品。衣服と背景は同じ色調の黒で描かれており「死」の気配すら漂っている。

「エロス」や「死」といった退廃的なテーマもまた世紀末芸術の大きな特徴だった。19世紀が終わりに近づくなか「当時の人々はみな無意識的に死を惹かれていたのではないか」という意見もあるほどだ。

ジョン・エヴァレット・ミレー「オフィーリア」

日本でも人気が高い作品。2016年には宝島社の広告として、女優の樹木希林さんがオマージュをしたことでも話題になった。

この作品のファム・ファタールはシェイクスピアによる悲劇「ハムレット」のヒロインであるオフィーリアです。オフィーリアが恋人ハムレットとの関係で精神を病み、川で溺れて死にゆく様子を描いた作品だ。

今作は当時の画壇でも特に高い評価を受けた。皮肉にもミレーはアカデミー側から迎え入れられる。ラファエル前派と決別するきっかけともなったのだ。西洋芸術の派閥を問わず「オフィーリア」が多くの人に愛されたことがよく分かるエピソードである。

またオフィーリアはメタ視点でも男を魅了し続けた。文豪の夏目漱石が感銘を受けたとしても有名であり、名作・草枕の発想につながったともいわれている。さらに後年、サルバドール・ダリもこの作品を褒め称えた。

グスタフ・クリムト「ユディト」

次はラファエル前派ではなく「ウィーン分離派」という芸術団体の創設者であるクリムトの作品。ウィーン分離派もラファエル前派も「アカデミーによる画一的な表現から脱却する」という思想は共通していた。

ウィーン分離派はラファエル前派と違い、ボッティチェリの技法に影響を受けておらず、むしろ金箔を多用するなど全く新しい技法を確立している。描かれている女性「ユディト」はファム・ファタールとして、さまざまな画家から愛されてきた人物だ。旧約聖書外典の1つである『ユディト記』に登場する。

ユディトは美貌と多くの財産を持つ未亡人としてユダヤの町・ベトリアにて多くの人に尊敬されていた。そんななかホロフェルネスを司令官とした軍がベトリアを攻撃しにやってくる。ユディトは道案内役としてホロフェルネスに近づき隙をついて首をはね、そのおかげでベトリアは進軍を免れた。めちゃ強い、国の英雄なのである。

カラバッジョやクラナッハなど、さまざまな画家が物語としてのユディトを描いたが、クリムトはストーリーというよりは、ユディト自身の表情を印象的に描いた。他の作品と見比べるとよく分かる、クリムトの作品では、ホロフェルネスは画角の左下のほうに小さく描かれただけだ。

また表情にも大きな違いがある。クリムトのユディトは勇敢というより「恍惚の表情」を浮かべているのが分かるだろう。先ほどもお話しした通り、当時は「死やエロス」といったテーマが人気を博しており、ファム・ファタールの象徴にもなった。

この世紀末芸術をきっかけにファム・ファタールは美術だけでなく、幅広いメディアに登場するようになる。映画やマンガ、アニメなどの世界にまで波及していくわけだ。では他のメディアのファム・ファタールについても見ていこう。

海外映画で見るファム・ファタール

映画にもファム・ファタールは重要な役回りで出てくる。それはコメディだったり、シリアスだったり、さまざまな形で男を破滅に追い込む。フランス映画に登場することが多いのが特徴でもある。

007シリーズ

007シリーズには敵役としても味方役としてもファム・ファタールが登場する。スカイフォールのセヴリンや、ドクター・ノオのハニー・ライダーなどボンドガールも多くはファム・ファタールとして男性キャラを惑わせる役も多い。

「アイズ ワイド シャット」アリス

スタンリー・キューブリックの遺作「アイズ ワイド シャット」のヒロイン・アリスもまたファム・ファタールの1人として数えられる。ビルという夫がいながら、その他の恋にも積極的に突き進む姿は爽快感さすらある。

「勝手にしやがれ」パトリシア・フランキーニ

フランス映画「勝手にしやがれ」もまた名作である。パトリシアは非常にチャーミングな女性で、恋人のミシェルと逃避行のうえ、最終的にはパートナーのミシェルを通報してしまう。常人には手に負えないファム・ファタールだ。

日本マンガ・アニメのファム・ファタール

国内のマンガ・アニメ界にもファム・ファタールはたくさんいる。こちらも強い姿で男を翻弄する、魔性の女たちを紹介しよう。

「ルパン三世」峰不二子

多くの方が日本のファム・ファタールとして真っ先に頭に浮かぶキャラクターだろう。ザ・魔性の女だ。ルパンはもちろん、そのほかの男もあっという間に虜になり、最終的にはお宝を持っていってしまう。飄々としたかっこよさがある。

「ばるぼら」バルボラ

ばるぼらは手塚治虫原作のマンガだ。最近、二階堂ふみ主演で実写化された。

主人公のバルボラもまたファム・ファタールとしての才能をいかんなく発揮して、登場人物の作家たちを踊らせる。バルボラの場合、黒魔術の描写も出てくるので、かなり本来のファム・ファタールの姿に近い。彼女は魔性以上の魔女である。

「アンパンマン」ドキンちゃん

ボケてないぞ決して。個人的にはドキンちゃんはかなりのファム・ファタールだと思う。バイキンマンはドキンちゃんに尽くして、さまざまなプレゼントを与えるが、彼女はしょくぱんまんに夢中であり、その結果としてばいきんまんが破綻することも多い。めちゃめちゃしっかり魔性の女だ。

ファム・ファタール像は時代とともに変わるもの

ここまで紹介してきていて分かった方もいるだろう。そう、そもそものファム・ファタール像というものは時代とともに変わっていく。

今や女性が強い時代になった。もはや別に男を惑わす必要などない。ファム・ファタールというキャラ構造自体が、これからの若者には理解しにくくなるのではないか。

例えば、ばるぼらや不二子ちゃんのトリックスターのような振る舞いが、エヴァンゲリオンの綾波レイ、涼宮ハルヒの長門などのナチュラルボーンなモテスキルがあり、かつ決してなびかないキャラに移行した、という考察もある。

しかし個人的には、こうしたキャラクターは、ファム・ファタールには該当しないと考える。別に男性キャラを破滅させることもない。破滅したのはキャラグッズに貢ぎまくる三次元のオタクたちだ。

それよりは例えば「アイドルのメンバー」のほうが、よっぽどファム・ファタールを感じる。

「特定の人を愛することはないが、モテる。やたらあざとく、最後にはきっちりお金を回収する」みたいなキャラクター。個人が強い時代だからこそ、こうした女性キャラは受け入れられるだろう。

ファム・ファタールが100年以上経っても廃れないのは、このキャラクターがある意味で男性はもちろん女性からも憧れの存在として支持されるからだ。以前、アイドルの前髪問題の記事で「女性アイドルの市場は同性にも広がっている」ということを書いたが、まさにその通りだ。

今後もファム・ファタールというキャラは無くならないだろう。そしてその飄々とした生き様は支持されるに違いない。

怖いのは三次元の世界にも、ちゃんとファム・ファタールがいるということ。イッパシの男として、くれぐれも気をつけたい。いや気をつけようがないからファム・ファタール……。もう我々としては出会わないように願うしかないのである。

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