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【バトン企画】心に残るエピソードをあなたへ 出産後寝たきり車椅子生活で感じたこと

わたしの大好きなnoterさん・なちこちゃんから、なんと今話題のバトン企画が回ってきました!

「バトン企画なんてあるんだぁ~」

って、のんびりnoteを眺めていたわたしに、まさか回ってくると思っていなかったので、びっくり!!

「ど、どうしよう…」

と慌てふためきました。だって、このバトン企画のテーマが、【心に残るエピソードをあなたへ】というもので、書いている方々の作品のレベルがとても高いんです!

一冊の本が出来るのではないか?!と思うほどのクオリティ。

noteさん、バトン企画まとめて一冊できますよ?どうですか?っておすすめしたいくらいです笑

なので、わたしは何を書こうかと、相当悩みました。

皆さんみたいなスゴイことは書けないけれど…わたしなりのエピソードを書いてみたいと思います。

なちこちゃん、バトンを回してくれてありがとう♪


***

今から7年前、わたしは子どもを妊娠した。

弱視難聴のわたしがママになるー心配性なところもあるけれど、どこか楽観的なわたしはさほど不安にはなっていなかったけれど、それでも毎日そわそわしていた。

周りの家族・友人・知人も、弱視難聴があるわたしの妊娠・出産を楽しみにしていたり、さぞかし心配していてくれたのだろう。出産予定日付近になると、親しい人から次から次へと「まだ?」「大丈夫?」「生まれた?」と連絡がひっきりなしに来ていた。

そんなわたしやみんなの「まだ?」コールをよそ目に、お腹の中の息子は、のんきに毎日お腹の中で遊んだり寝たりしていたようだ。しゃっくりにキックに大忙し。出産予定日を2週間過ぎても、一向にお腹の中から出てこようとしない。

「もうお腹の中にはいられないんだよ」

わたしは、早く出てくるように話しかけた。

それでも、息子はお腹の中で遊んでいる。しかたなく、バルーンと呼ばれるものを使ったり、様々な方法で息子をお腹の外に出す作戦が始まった。そんなことをされているうちに、息子はお腹の中で苦しくなり、ママは熱を出し、緊急帝王切開で出産することになった。

自然分娩で生みたかったーでも、息子が無事に生まれてくることが一番ー無事に生まれてくるのかなーオペ室に運ばれてからオペが始まるまでの間、わたしはそんなことを考えて、涙を流していた。

オギャっ、オギャっ、オギャー!

赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた瞬間。

顔は遠くて見えなかったけれど、我が子が誕生したことがわかった。

「生まれたんですか・・・?」

看護師さんに訊ねると、「生まれましたよ!かわいいですよ!」と、赤ちゃんを目の前に連れてきてくれた。

やっと会えた・・・無事に生まれてきたことに、心から安堵して、わたしはまた泣いていた。赤ちゃんを抱っこしている看護師さんとは別の看護師さんが、わたしの涙をふいてくれて、わたしの記憶はそこでポツリと途絶えた。

目を覚ますと、隣には赤ちゃんがいた。

かわいい・・・

大きなテンションの「かわいい💓」ではなく、ぼんやりと「かわいい・・・」と思う感覚。

イメージしていたのは、芸能人が満面の笑みで赤ちゃんを抱っこしているような幸福感溢れる光景だった。でも、実際のわたしの感情は・・・ぼーっとしすぎていて、ぼんやりと「あぁ、生まれたんだな・・・」と、心がふわふわした感覚だった。

そのふわふわした頭と心の感覚と同時に、身体が痛くて痛くてたまらなくなっていった。毎日術後の薬を飲んで、やっとこさの思いで立ち上がり、赤ちゃんの沐浴・授乳・おむつ替え・・・。

ふらふらしながらお世話をしていたが、3日目か4日目に高熱が出て、わたしは倒れてしまった。

その高熱は不気味なほどに怖かった。身体中に電流が走り、悲鳴をあげるほどの痛み。

「怖い怖い怖い!」

わたしは大泣きして、看護師さんや家族に訴えた。

看護師さんは、高熱だけで騒いでいると思ったのだろう。

「何がそんなに怖いの?高熱は出産後によくあることよ、大丈夫よ」

と励ましてくれたが、わたしはただ事ではないと感じていた。

わたしの予感はあたり、それは原因不明のもので、過去に同様のケースの患者はいなかったと後にわかり、研究対象となった。

高熱は数日で下がったが、電流が走るような身体中の激痛は日に日にひどくなり、毎日震えながら泣いていた。

あまりの痛さに、起き上がることも、座ることも、立ち上がることもできない。洋服を着替えようにも、電流が走っているようで身体を動かせない。

生まれたてほやほやの赤ちゃんのお世話をしたいのに、しなくちゃいけないのに、とても出来る状況ではなくなった。それどころか、わたしが介護される立場になったのだ。

寝たきりの日々が続き、家族や看護師さんにお世話してもらう日々が続いた。しばらくすると、ようやく車椅子に乗れるまでになったが、歩けるようになるまではさらに時間がかかった。

寝たきりも、車椅子も、わたしには経験のないものだったので、その大変さを初めて身にしみて感じることとなった。

わたしは、どういうわけか、弱視と難聴という二つのハンデを持って生まれてきた。それは、30数年間向き合ってきたので、わたしにとってはたいした問題ではないほど当たり前のわたしの一部だ。

けれど、ほかの自分が経験したことのないものに関しては、想像でしか物事を考えることができないから、頭で感じることはできても心で感じることはできていなかった。

寝たきりを経験したとき。車椅子を経験したとき。

初めて、今まで頭で理解していた物事を、心で感じることができた。

心で感じたとき、胸がきゅっと痛くなった。

自分には関係ないと思っていたものも、あるとき急に自分の身に起こると、初めてこんなにも心で感じるものなんだ、と。

歩けるようになったあとも、ずっとそのときの気持ちが心に残った。

いつまた歩けなくなるかもわからないと知ったから。

出産後1~2ヶ月後には、少しずつ歩けるようになり、元気になっていった。弱視難聴ママの誕生に、最初はドキドキしていたけれど、周囲の温かな協力のもと、赤ちゃんのお世話もこなせるようになっていった。

子どもをあやしていて、ふと思うときがあった。

「寝たきりの人も、車椅子の人も、わたしと同じ弱視も、難聴も、何もハンデがない人も・・・みんないまがんばって生きているんだな」

色んな状況の人がこの世の中にはいて。

みんな、それぞれの場所で踏ん張っている。

泣いてばっかりの日もあったけれど、赤ちゃんのお世話をできるようになって笑顔を取り戻した日もあった。

それと同じように、いまこの瞬間も泣いている人も、笑顔でいる人もいる。

弱視も難聴もどんな病気もどんな状況の人も、完全に理解し合うことはできないかもしれないけれど、同じ時代にそれぞれの場所で生きていることを感じることはできるんだ。

子どもの誕生と同時に味わったあの経験と感覚は、わたしがこれから何十年と生きていくうえで、子どもを育てるうえで、心の支えになった経験だったのだと、今のわたしは思っている。

(おわり)

妊娠出産について詳しく書いた記事が過去にもありますので、ご興味のある方はぜひ。


企画主のチェーンナーさん、素敵な企画に参加させていただきましてありがとうございました。


さて、わたしはだれにバトンを回そうかと悩んだ結果…

リアルで友人でもある、みらい塾長ちゃんに打診したところ、快諾いただけたので、お願いすることにしました♬

みらい塾長ちゃんは、千葉県で塾を経営している生徒想いの優しい素敵な先生です🍀息子もオンラインレッスンで学んでます✨

中学時代は新体操部の部長で頼れるリーダーでした!優しくて可愛い、ほんわかした雰囲気が素敵な女性でありながら、彼女の書く文章は聡明さを感じるのはやはり先生だから!

エピソードも豊富なはず!
ぜひ、よろしくお願いします🍀


★企画について~バトンのつなぎ方~★


※期間は 9月30日(金)まで です

1.記事を書いてほしいとnoterさんから指名=バトンが届きます。

2.バトンが回ってきたら「心に残るあのエピソードをあなたへ」の記事を書いてください。

3.noteを書いたら、次にバトンを渡すnoterさんを指名してください。指名したことがわかるように、指名するnoterさんの一番最新のnoteをシェアしてください。

※指名するnoterさんは、最大2名まで。
あまり多いとご負担になりますので、1名か2名でご指名ください。

4.チェーンナーさんの下記の記事を埋め込んでください。マガジンに追加してくださいます。

バトンリレーに参加しないときは・・・

1.バトンをもらったけど、noteを書きたくない、という方は、バトンをチェーンナーさんにお返しください。

方法①「チェーンナーさんに返します」というnoteを書いて、上記の記事を埋め込んでください。チェーンナーさんが「心に残るあのエピソードをあなたへ」を書いてくださいます。

方法②上記のチェーンナーさんの記事のコメントで「バトンを返します」とお書きください。



次にバトンを渡したい人。









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