【vol.11読書記録】平成くん、さようなら/古市憲寿

初めからきわどいワードが飛び出す小説を言葉の選び方が古市さんらしいな、なんて思いながら読み始める…
主人公が古市さんを彷彿とさせる描写だからだろうか、
どこまでが小説でどこまでが真実か分からないあやふやさにうまく乗せられ、振り回されながら結末までそそくさと誘導されてしまった。


この本をカテゴリするとすれば「死」の教科書とでもいうのだろうか。
今の日本の常識では、人は与えられた人生を寿命まで全うすることが正しいといわれていると思う。反対に自分で自分の命を投げ、自殺をすることは極端に言えば、悪であると。でも、その常識ってなんだろうと思う。

私だって勿論、自殺はいけないことという認識の中にいるけれど。そもそもそれを常識だと。自分の中に気づけば存在していた定義が正しいものだと信じ込んでしまっている状態がとても怖いと感じた。

生きたかった人もいる、それなのに自分の命を自ら断つなんて。と普通は思うだろう、だけれど、これからどう人生を歩むか、その自由は権利として全員に与えられているのに、自分の人生をいつ終わらせるかという権利は与えられていないのが今の日本なのだ。


父の延命治療をどうするかの選択を委ねられた時、初めて「死」とは何なんだろうと考えた。自力では生きることができなくなった父に呼吸器を取り付け痛みや苦しみを鎮痛剤を投与して紛らわせながら生きてもらう意味は何なのかと。何度考えてもそれは残された側が1分でも長く生きてほしい、生きていてほしいというエゴでしかないと思った。
兄弟で話をして出来るだけの治療はしよう、延命治療はやらない。という結論をだして父は間もなくなくなった。葬儀も無事に済んでよかったね。ということになったけれど、本当にあれで良かったのか。それはおそらく永遠に分からない。父が本当はどうしたかったのかは今はもう聞くことができないし、その決断を迫られた時にはもはや本人にその選択を選ばせることはできなかったからだ。

そう思った時、形は違えど自分で自分の最期を決めるということが絶対的に悪いことだとは思えないと感じた。「悪」ではなく、場合によっては「良」かもしれない。
だけど、ただそれはひどく悲しくて寂しい。人間はそんな矛盾を抱えながら今までずっと死と向かい合ってきたのかもしれない。
いつも近くにいるって信じたくて目の前からいなくなった存在を別の物で埋めながら。


健康な人は自分の未来がずっと続いていくと信じがちで。
だから失敗したらその恥を一生かかえていかなければとか思ったりするけれど、3か月後に死ぬと分かっていたなら、今日起きた最低最悪な出来事も、仕事の失敗だってきっとそんな日もあるさって思えるだろう。
死が決まっていることは悲しいこと。だけど、だからこそ今まで優しくできなかった人にやさしくしたり、ちょっと甘えてみようかな。なんて思えたりもするのかな。


久しぶりに考えさせられる一冊だった。

おススメ度…★★★★☆


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