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vol.63 永井荷風「濹東綺譚」を読んで

ぼくとうきだん。漢字の多い文章から当時の情緒を感じようと、ふりがなに目をこらしながら読んだ。この作品をどう楽しむのか、少し迷う。集大成的な名作と言われるこの作品、荷風の描く古き良き情緒に思いを重ねてみようと思った。

ストーリーは特にない。60近い小説家の男と24、5の娼婦とのウェットな関係を情味を持って描き写した随筆的小説だった。

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玉の井(現東京都墨田区)という遊郭地帯に、闇営業的な個人風俗店が迷路のように軒を連ねている。そこに遊び慣れた旦那とそれを包む娼婦がいる。路地の窓辺越しに、お客と私娼(許可を得ていない売春婦)の粋な会話がある。さまざまな男と女が雑踏する街に季節が過ぎていく。

そんな風景が浮かんだ。

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それを荷風らしい流行りに流されないぬれた文体で、うっとりする季節感描写と共に、荷風の分身のような小説家大江と私娼お雪のもたれ合いを叙情的な筆で描いていた。

それは、「法善横丁」の蝶子と柳吉のようなたくましい男女ではなく、「雪国」の島村と駒子のような複雑な人間関係でもなく、偶然出会った老小説家とまだ純粋さの残る娼婦との、ドキュメンタリーのように感じた。

この小説は、新潮解説によると、昭和11年4月ごろから、荷風は玉の井の私娼のところに出入りし、小説を描くために観察をしていたらしい。そして翌12年4月から朝日新聞に「濹東綺譚」として連載されている。

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時代は、226事件で東京に戒厳令が発令され、朝日新聞社の陸軍試作国産機『神風号』が訪欧飛行している。そんなことを紙面が占めている一方、玉の井の公娼でない私娼を、情味を持って連載している。結果、「濹東綺譚」は圧倒的な好評を得たらしい。なにか暗くて重たい足音を感じている読者が、荷風なりの自由さを表現する作風に喝采したのかもしれない。そして連載完結まもなく、盧溝橋事件(昭和12年)が発生し日中全面戦争へ突入していく。そんなぎりぎりの時代だった。

変わりゆくギスギスした世相には、古き良き江戸情緒が恋しくなるのかもしれない。

地方に住んでいる僕でも、江戸風情を想像することはできる。木村宗八の挿絵からもそれを感じることができる。好き嫌いはあるにせよ、新しいものに飽きる年齢になると、永井荷風が表現する浮世離れした生き方が、かっこいいと思う時がある。

この小説、確かにそんな荷風を感じた。

おわり

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