【WEBライター】ボールと友達になっても、アルゴリズムと友達にはなれない。やっぱり本が好きなのだ【タイ移住日記2024/03/17】
仕事にとりかかろうとしてもどうも手が動かない。
アルゴリズムにとらわれてしまうのが正直きつい。
人々にとって、そして私にとっても検索欄に入れて調べたら欲しい情報を誰かが書いてくれているのはとても助かる。人間の知識欲をふんだんにそそらせるすごい方法を思いついたものだ。
しかしこれを書く側に回った途端にいきなりきつくなる。体もそうだけど、心が。
自分の書いたものを多く見てもらうためにはどれだけおすすめをしても結局アルゴリズムという、だれなのかわからない巨匠が判断して情報を差し出す。上位に表示されたものを人々は読むので、そうでない場合は、読まれないゴミになってしまう可能性が高い。アルゴリズムが究極の資本主義とも言及されることがあるのはそういうことだ。
すべてのモノに価値があるだろうと思う私のようなタイプとは相いれないのである。たぶん付き合っても一週間で別れるだろう。というか付き合うまでには絶対いかないし、クラスにいるな、ぐらいの認識で話しかけないだろう。
ただ仕事上、それとお付き合いをしなければならない。SEOというのは、友達とお付き合いするためのハックのようなものなのだろう。
ハックというのもあまり好きじゃない響きだ。SEOで上位に表示されるように、とか、正直気に食わない。だから、私がアルゴリズムさんを使って何か情報を知りたいときは10記事ほど同じテーマのものを見るようにしている。それでも他の何百万という記事とは出逢わないことになっている。
前の記事でも述べたように、「私」のいない記事を書き続けるのはしんどい。アルゴリズムさんと、第三者の人格になって話を続けて、アルゴリズムさんに気に入ってもらわないといけないのだ。
私はやはり本というものが好きだ。
すぐに手に入れられないが、そこにずっと居続けてくれる。もちろん、市場に出ると人気がなければゴミと化してしまうこともある。が、まだましだ。本屋さんがオススメをしているものが、目の付きやすいところに置かれるが、そうでない本も大型書店に行けば、隅っこであっても、ちゃんとある一定期間は存在してくれる。(取次を通して出版社に戻され在庫圧迫で廃棄されることもある。)そしておすすめすれば、相手のもとに残り続ける(だろう)。
今は本を書く仕事をしていた人でもWEBで何かを書くというのは普通になってきている。こうした思いを抱える人は少なくないと思う。
WEBライティングをしている私にとっては、アルゴリズムが私の「成果」を表しているので、悲しくなることもある。とんがった最先端の分野なので、母数が少ない分まだやれているところがあるが、どちらにせよ、アルゴリズムくんによって私の存在価値が決められているのである。
手元と心のどっかに残り続けるような書き方をしてみたい、というのが最近ぼんやり思うことである。
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