阿久津隆【読書の日記】

初台でfuzkue(フヅクエ)というブックカフェを営む店主の日記を一冊に纏めたもの。分厚い。読書に関する話題も多いがそれだけでなく、店主の店作りに対する葛藤とか何かを閃いた時の明るい気分、阿久津さんが生活で推し進める無軌道に見えて一貫している思考の垂れ流しもある。

え、ちょっとこんなに影響を受けちゃっていいのか自分、というくらいに、意識の有無は別にして影響を受けている気がする。言及されている本を次々手に取るという読書生活的な面でも、自分でも日記なるものを始めてみちゃうという実生活な面でも、文章とか思考のトーンという精神的な面でも。2018年で一番面白かった本は何ですかと訊かれれば、一冊に絞る必要性はあんまり感じないなあと思いつつ、時と場合と相手によっては『読書の日記』ですよ、日記の時代ですよ、と応える準備をするくらいには好きでした。好きです。が、一度も訊かれずゆえに応えることはなかったのでここに書きます。

何と言うかもう感覚的な話でしかないのだけれど文章の手触りがとてつもなく好みで、句読点少なめでいい意味でだらだら続く吉田健一とか保坂和志的な文体も、倫理とでも呼びたい何かが通底しているような思考も、時折というか結構頻繁に挟まれる受動的な物言いもいい。この受動的な物言いが、自分の意志を超えた世界の側でそうなっているという、保坂的な言い方で言えば「使命感」みたいなものを感じて嬉しくなってくることもあるし、あるいは逆に、そうせざるを得ない空しい義務感であることもたぶんあって、ついでに、いやついでにかは分からんけれども文章のリズムを整える作用もあり、使い所の妙がある。

日付に西暦はないし曜日はあるけれども知らないし、2018年の私が読んでいるこの日記はいつのものだ? という疑問が湧いて、でもそれは常時湧いているわけではなく基本的には気にしない。大谷がまだ日ハムにいるぞとか、巨人が十三連敗したぞとか、そういう記述で時間のわずかな隔たりを意識する。また書いてあることが完全に事実かと言えば恐らく違って、事実と思しき文章から淀みなく横滑りして、あからさまなところで言えば、例えばさっきまで日本にいた著者が突然むちゃくちゃな旅程で諸外国を巡る、みたいな記述も(たぶん)あった。それも楽しい。panpanyaの『いんちき日記術』にもある通り、「ということを妄想して書いた」という一文を付与すればそれはその日間違いなく行われたことになるし、その一文がないとしても何の問題にもならなくて、そもそも日記はリアルタイムで書かれるものではないからどうしたって記憶の齟齬を孕む。

読書の趣味も近いし初台は頑張れば徒歩圏内だし著者と生活圏がだいぶ被っていて勝手に親近感ぽいものを抱いているのだけれどもfuzkueに行ったことがない。ので、今度行ってそれが私の日記に書かれるかもしれないし書かれないかもしれないし、書かれたとしても本当には行ってないかもしれない。

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