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男の世界って実力主義じゃないんですか?

※借りといて言うのもなんですが、デストピア感が過ぎて、もはや世紀末でとっても素敵♡
私が想像する男性の世界ってこんな感じなんすよね。

4歳くらいになった息子の話である。
最近になり、姉に対する暴力性と、

うんこチッコ系罵り

が過ぎており、たびたび叱られる息子がいた。
確かに4歳と言う年齢は、うんこチッコちんちんなお年頃であるのだが、それにしたって過ぎている。親的にはかなり本気で過ぎている気がしていたので、

お前大概にしとけよ、

という意味合いをこめに込めた注意をする日々を送っている頃だった。

そんなある日、息子は唐突に言い放った。
なんとクラスメイトに自身も毎日のようにそのような罵りを受け、ときにはポコポコと叩かれているらしい。えー!!そんな気は薄々していたけどやっぱりそうなのかー、そうかーと思ったのだった。
無論息子は、要領の良い下の子よろしく先生に言うなどして、うまいことやっていたらしいが、どうもうんこチッコポコポコ殴りが止まないらしい。

息子は不満を漏らした。
先生にいっても全然やめない。
もう保育園いきたくなくなっちゃうんだー!と。
そんな息子に私は言った。

やり返してこいと。

あのですね、唐突に聞くんですがね、皆さん

やられたらやり返せ

って普通に言いませんか?
少なくても黙って耐えろは不正解ですので、どうにでもならなかったら、やり返してガチ喧嘩をしてこいは、割と当たり前な話だと思ってたんですよ。特に男性世界では。

ほら、だいたい10歳くらいまでは、

体がデカくて暴力性のある子が最強

じゃないですか。
つーか、体デカかったらいじめられませんし、そもそもまず勝てないんで、ありとあらゆる人的厄災を避けられるわけです。

体さえデカければ。

残念ながら息子は中肉中背であり、とてもじゃないがボスベイビーではない。
だがしかし、男性社会は実力主義。
ある程度ボコり、己の実力を相手に見せつければ、自ずとクソみたいな嫌がらせ?は止むだろうと、女の私は踏んでいた。
なぜかと言うと私自身にも似たような経験があるからだ。

小学五年生の頃、私はある男児から執拗に嫌がらせを受けていた。
トシとヒロである(ほぼ実名)
一応最初に断っておくが、彼らのことは今は全く恨んではいない。ただ、私の通った保育園では常にエースのクソガキで、保育士たちも手を焼いていたのは事実である。無論親たちも、できる限り我が子との接触を避けたい子どもであった。

ただ、彼らはいまの私にとっては、ネタを提供してくれたかつての悪ガキという存在になった。
キャラクター的にもほぼほぼジャイアンとスネ夫であり、ネタにしやすい人物であった。
ちなみにトシがジャイアンであり、ヒロがスネ夫である。ヒロはあまりにスネ夫すぎてよく覚えていないのだが、保育園のころに、いい具合の泥水を、脳みそいらんか〜と売り歩いていたのはよく覚えている。

遡ること30年前、保育園でトシは私を執拗にいじめていた。お陰で私の足腰にはあざが絶えなかったし、軽く失神した記憶もあるが、保育士たちから親は、誰が何をしたのかの説明は一切されることなかった。
トシの悪行は

みんな知っているけど

伏せられて過ごしていた。

トシは有名人だった。
そしてトシのお姉さんは大人しめな女の子で、トシのお母さんも豪快で悪い人ではないのだが、トシは暴力に満ちた悪ガキだった。
それは

ジャイアンそのもの

であり、平成初期や原作、昭和のドラえもんのジャイアンだった。
そしてヒロはその腰巾着、

つまりスネ夫

であった。
ジャイアンの周りをチョロチョロしつつネチネチとイヤミを言い放つ小物感満載のヒロは、ちょっとアホで体のでかいトシを隠れ蓑にし、いかにも小物としてチマチマと生きていた。

トシは控えめに言って

バカ

だった。
でも体がデカく、ガキ大将といった風貌のトシは負け知らずだった。
だからであろう、保育園を卒業し5年も経つというのに、かつてののび太だった私に、嫌がらせを仕掛けてきたのだった。

職員室に保健室カード(仮称)を届ける際、それを毎回奪うという

低脳なイタズラ

をするのが彼らの日課だった。
私は黙って取り返す等しながら、彼らの動きを見た。

遅い。

トシもヒロも遅い。 
遅い。とにかく遅すぎるのだ。

トシに至っては遅いのは当たり前である。
今までその体格の良さだけで戦ってきているので、大ぶりでデカい一撃さえ当たれば勝ちなので動きが鈍いのだ。
問題はヒロである。
腰巾着が常態化し、己の鍛錬を積まなかった鈍さがそこにあった。

っていうか、そんなことどうでもよくて、ただのデブでバカなトシとはやれそうだったが、思いの外ヒロが雑魚いという話であった。
とはいえ、女子1人が2人を相手にするのは不可能。なのでサシでヤレる瞬間を狙うのだが、思いの外早くそれはやってきた。

ある日、私はクラブ活動でカラーガードという、デカい旗を持って走っていた。
するとそんな私にトシが1人でちょっかいをかけてきて、走り去ろうとしたのだった。

ヤレる。

私は直感的本能的にそう思った。
カラーガードを持ちならトシに向かって全力疾走するワシ。すぐに追いつかれ驚くトシ。
バカが。オレはテメーみたいにデブな鈍じゃねぇんだよ。
と心の中で存分に罵ると、トシは合唱部の部室である音楽室に逃げ込んだ。

トシは明らかにホッとしていた。
しゃがみ込み、まるで約束に間に合ったメロスのようにホッとしていたが、私にとっては絶好のチャンスだった。
私はカラーガードを投げ捨て、そのまましゃがみ込むトシの背中に思い切り、走った勢いそのままの

飛び蹴り

を喰らわせ、

バーカ

とだけ言って走り去った。

完全なる勝利

である。
ただ、私が当時好きだった男の子もそこに居たことは、まだ知らなかったけど。

翌日から、嫌がらせはぴたりと止んだ。
男の世界は実力が全てなんだと悟った。
その話を聞いた祖父はとても喜んでいた。
かわいい孫がたくましく育ったのを、微笑ましいという顔で見ていた。

男の世界ってそういうこと。
ほらほらジャイアンみたいなやつって絶対クラスに居るじゃん!?
そう私は夫に伝えた。

いねーよ。
そんなやついないから。
北海道は世紀末じゃないから。

夫は平然と言い放った。
※夫は北海道出身。

世の中は世紀末デストピア。
最後は暴力が支配する。
そう思って生きてきた。
でも世の中そうじゃないらしい。
色んな人から話を聞いたり、実際に北の大地に足を踏み入れた経験から学んだことは、北の大地の人は結構優しいということだ。

改めて自分の常識のおかしさを認識したところだが、よくよく考えてみると、当時通った保育園の近くには

某有名暴力スクール

があった。

現在はどうなっているかは知る由もないが、自分のルーツが少しだけわかった気が、した。

私は今後も自分のルーツに従って教えるだろう。
いじめと暴力はいけないが

やられたらやり返せ、

と。
とりあえず強く生きていたいです。


※某暴力スクールは近くにあったとお話ししましたが、私は00年代を最近の出来事と認識する人間ですので、ご理解のほどよろしくです。

※某暴力スクールに関しましては、皆さん思い思いの某暴力スクールを思い浮かべてください。

※某暴力スクールのあたりの記載は、諸事情により消すかもしれません。


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