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◇美術館巡り:思考記録◇塩田千春とハンガリーの思い出


自分の思ったこと・感じたことを記さないと忘却されてしまうと思い
過去の展示もあるけど、思いを残したいので此処に記録する

3年前の夏、私はヨーロッパ中欧に旅に出ていた。
その期間で行ったハンガリーのセンテンドレという街に立ち寄った時、ふらっと入った展示があった。
それが塩田千春の作品との出会いである。

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センテンドレはハンガリーの首都のブダペストから電車で30分ほどの近いところにある。小さな街であるが、住人の三分の一がアーティストらしくアーティストの街と言われていて、要所要所にクリエイティブさを感じられ絵本のような可愛らしい街だった。

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そんな街の一角のギャラリーに潮田千春の展示会場はあった。
「あれ?この人日本人だ」
旅先の遠い異国で同郷の方がアーティスト活動をしているというのを知るのは同じクリエイターとしてやはり嬉しかったし、海外でアーティスト活動をするのは憧れであったから、ただ単純に尊敬の念が生まれていたのかもしれない。ただ、作品に対して何かを思った記憶は残念ながらあまりなく、ハンガリーの旅の一部としての思い出として残っている。

『塩田千春』

名前覚えておこう。ぐらいのちょっとした記憶だった。

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さて、月日は経ち。今年の2019年。
森美術館の告知を観る私。『塩田千春 魂がふるえる展』

あれ?この人ハンガリーで展示観たぞ。と。
森美術館の展示ともあってか、あれ?この人有名な人だったのか。と。
自分の無知さも残念な限りだが私の旅の記憶との繋がりと不思議な縁を感じ嬉しかった。

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改めて故郷の日本で観た『塩田千春』の展示はハンガリーで観たときより強烈だった。スペースが大きかったというのもあるかもしれないが、より彼女の世界観を全身にぶつけられた気がした。気持ち悪さと不気味さもあるがでも非常に惹きつけられるなにか。

彼女の作り出す糸はエネルギーなんだと感じた。
エネルギーとは本来、目では見えないものだが具現化すると「糸」のようなものなのかもしれない。それは人と人を繋ぐものであったり、物であったり、記憶、その場にあるオーラ、言葉で上手く言い表せない熱量。
または血液。生命力。

よく恋人同士の関係を「運命の赤い糸」と糸を用いて表現されている。あれも一種のエネルギーの形なんだろう。と、この展示を観てそう思った。

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ハンガリーと日本でこの「潮田千春」の名前を観た事は何か縁があるのかもしれないし、ないかもしれない。
その名前は私の記憶と今との間で繋がっている糸のようなものなのだ。
そんな糸はそこら中にあって細かったり太かったりするのだろう。

私は今何と繋がっているんだろうな。

またハンガリーに行きたいな。

それと、またどこかで塩田千春の作品と出会いたい。

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