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昔の広告は良かった?何言ってんだバーカ


そもそも広告って「依頼主にお金を落とさせる」事を目的として作られる商品/サービスなんですよね。
いざ買う時に思い出してもらえたり名前を憶えてもらう事が出来るのが本当の意味で「良い広告」なわけで、面白いかどうかって本質的にはどうでも良いことなんですが。クリエータの自己満でアート発表場所の代わりに使われても依頼する側も困りますよね。タダじゃねえんだわ。

商品名連呼したり、ピンクの服の女に絶叫させたほうが効果があるって解ったからそっちに進化したんですよ。
なんかはき違えてるアーティスト気取りのカスどもの言う事なんて聞く必要なんかないと思います。

一般的に良い広告の例とされてる「街の遊撃手」も、まあジェミニが良い車だっていう事は伝わりますけど、あれ見て買おうって思うかっていうとまた別でしょ。片輪走行できる車より後ろの席やトランクが広い車のほうが良い車だと思う人のほうが多いと思いますよね。でもそこは一切触れてない。
で、結局いすゞの乗用車部門は滅びました。

もし、昔の広告がそんなに良いものだったらビデオデッキのCMカット機能とかトイレはCMの間に発言とかは生まれてないんですよ。
嫌なら金を払え(劇場、映画館、円盤、サブスク……)は太古の昔から変わらない。懐古厨も大概にしてほしい。

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そもそも無料で観られる(かのように見えている)ものに価値なんてないですよ。CM無しで存在できないような地上波バラエティー番組やドラマみたいなのは本質的に無価値です。
報道や解説もそうです。お金を払えば(専門書や一次ソース)もっと有益な情報が得られる。

あれらは広告収入を得る為の装置でしかないからです。主と従が逆なんですよ。
正解はCMのあと!とか無意味なクリフハンガー、何故か10分15分おきのキリの良いところで展開するストーリー。ブツ切りでも途中参加でもOKな巻き戻し、仕切り直し。すべてが「広告を見てもらう」為に作られた装置でしかないじゃないですか。

無料で見られるコンテンツを見ている時、我々が見ているのはコンテンツではありません。
広告を見ているのです。より正確には、見せられている。

そんなわかり切った事実に目を瞑って、昔は目を引くような「良い広告」があった、最近の広告は……
とかちゃんちゃらおかしい。ばかばかしい。

良い広告ってなんですか?
映画やストーリーの間に差し込まれて、流れの邪魔をされても不快感を覚えないくらい心地よい映像ですか?
明日お店で街中で、それを買ってもいいかなって思い出させてくれるよう植え付けられた記憶ですか?
広告主からお金をもらっておきながら商品やブランドとは全く関係のないアートが展開される「作品」の事ですか?

それが傍目にはどんなにいいものであったとしても、そもそもがコンテンツの邪魔をする存在でその邪魔のおかげでタダで見られるというのは何も変わっていないんですよ。
あなたが失った人生の大切な30秒、5分、15分の積み重ねは、お笑い芸人に高級車を買わせたり、タダで日本中に映像を提供できるくらい価値のある時間だったんです。

それを搾取されておいて良いも悪いもないでしょ。

何言ってんだバーカ。



おしまい。


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