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Vol.5 『離れて暮らす私達家族と、実家の父の療養生活と、母の看護生活のはじまり』

2018年10月8日月曜日の朝、布団の中で昨日母親から来ていたLINEを開けると、
「今日は父が10/2の夜中布団に寝ようとして畳の上に激しく尻もちをつき腰を痛めました。
整形外科受診の結果、骨に異常はなく神経を圧迫したのではとの事。
痛み止め・湿布で様子を見ています。
トイレに 行くのに起き上がるのが大変です。
食欲も全くなくスポーツドリンク・ヨーグルト・果物・カロリーメイト少々です。
トイレ・食事以外は布団に寝ているのでぐっすり眠れないとヤキモキしています😰
日常生活に戻るのに、少し時間がかかりそうです💦
焦らずゆっくりと治るのを待つしかないようです」
と、入っていた。

既に一週間経っている。
メールから印象に残った言葉は、「起き上がるのが大変」、「食欲が全くない」、「トイレ・食事以外は布団に寝ている」だった。
すぐさま脳裏に浮かんだのは、寝たきり、介護、認知症、廃用症候群。
それから母のパニック。
旦那さんにメール内容を話し、対応を手早く話し、母に電話した。

経過を母に確認しつつ、床からの立ち上がり用台の代用方法、ベットの使用や、杖の使用や、地域包括支援センターへの連絡のアドバイスをした。
電話を切ってから、旦那さんも「行ってきたら」と言ってくれたので、仕事の手配をして、子供達2人の移動中の持ち物と食べ物を頭の中で考えた。

実家までは車でも公共交通機関で5-6時間。
子供は2人。1歳になったばかりの男の子と3歳の女の子。
子供2人を連れての公共交通機関の移動や、私1人で子供2人を連れて2時間以上の移動経験はない。
無事に着けるかすら不安だった。

それでも、父親が寝たきり介護になるリスクや、そうなった場合の母親の生活、私の家族の生活、姉家族の生活を考えれば今行くことが大事だった。
その日の、10月8日(日)の7時20分頃には実家に行くことが決まり、仕事の調整連絡をして、急いで朝食を済ませ、準備をした。
パニックになってるだろう母親には、子供2人を連れて15時頃には最寄駅に着くことを柔らかい文章で連絡した。
断りのメールが返ってくるも、心配だから行くことを再度伝えた。

移動中、何事かよく分かっていない子供達は楽しそうにしてくれていて助かった。
実家に行くと、父親の様子は母親のメールにある通りだった。

「畳から立ち上がること」は、柱や押入れを利用し何とか立っていた。
手すりなども提案するものの、変化を嫌う父親は今でいいと。
ベットも要らないと。

もちろん、私が行ったからと行って父親が良くなるわけではないが、孫を見たり会話することで元気は出たようだった。

1歳の息子は、はじめは見慣れないおじいちゃんの姿に泣くも、何回か見てると、おばあちゃんか私に抱っこされてれば大丈夫になった。
3歳の娘には、「じぃじ、腰痛い痛いなんだって」と説明していたので、はじめは枕元から3-4m離れて見ていたが、私が枕元で父の足腰のマッサージをしていると娘も近づいてきた。
だんだん娘はおじいちゃんと会話をし、磁石式の書き消しの出来るおもちゃを持ってきた。
そして「丸描いて」と、最近保育園で覚えた丸のことを言ってきた。
じぃじに言ってみて、と促すと、その通りにした。
すると、じぃじも描いてくれた。
嬉しくなった娘は「次は三角」「にんじん」「たこ」などと次々と頼んでいた。
父親は昔絵を描いていたこともあったなと、ふと思い出した。
そのためか、リアルに娘に描いてくれた。
楽しそうだな、何よりのリハビリだな、と思った。
母親も、思ったよりはパニックではなく、今は父親中心で行くと割り切ってるように見えた。

水曜日ころには、父親の歩き方も少し安定してきたので、私は戻ることにした。
子供も一緒だと、何かとせわしないため、実家に戻って何が出来たか分からない。ただ、父親も母親も孫に会えたのが楽しそうだったから、よかったなと思った。

1回目の帰省終わり。

続く

((仮)田中恵36歳)


旦那さんからの寄稿内容はこちらをご覧ください。


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