見出し画像

アジアで2番目のオスカー俳優 ハイン・S・ニョールを忘れないでね 

アカデミー賞での「アジア人差別」騒ぎも、なんとなく落ち着いたようだけど。

騒ぎのなかで、彼の名前が出てこないのが、ちょっと不思議だった。

ハイン・S・ニョール。

キー・ホイ・クァンの前にアカデミー助演男優賞をとった人。アカデミー賞を受賞した、最初のアジア人男優。

アカデミー賞を受賞した最初のアジア人、わが梅木美代志(ナンシー梅木)とともに、忘れないでほしいんだよね。


白人がアジア人を差別したなんて言ってるけど。

アジア人のなかでも差別してない?

ハイン・S・ニョールがカンボジア人だから、忘れたんじゃない?

なんて、からんだりして。

本来、キー・ホイ・クァンは、かれからオスカー像を受け取ってもおかしくなかった。

アジア人俳優のアカデミー賞


整理しよう。


最初のアジア人のオスカー俳優で、現在まで唯一の日本人のオスカー俳優は、北海道出身の梅木美代志。

下は、1958年度のアカデミー助演女優賞を「サヨナラ」の演技で受賞した梅木の受賞スピーチ映像。(司会はジャック・レモン、プレゼンターはアンソニー・クイン)


そして、アジア人で2番目にオスカー俳優になったのが、カンボジア人のハイン・S・ニョール。

下は、1985年度のアカデミー助演男優賞を「キリング・フィールド」の演技で受賞したニョールの受賞スピーチ映像。(プレゼンターはリンダ・ハント)


アジア人で3番目(女優で2番目)のオスカー俳優が、2021年度の助演女優賞を「ミナリ」でとった韓国人のユン・ヨジョン。

4番目と5番目が、2023年度の「エブ・エブ」コンビ、中国系マレーシア人のミシェル・ヨーと、中国系ベトナム人のキー・ホイ・クァン。

ミシェル・ヨーは、アジア人で初の主演賞でした。

どうですか、アジア人初の主演男優賞は、真田広之さんがいただいては。


「はじめて」づくしの人


ハイン・S・ニョールが受賞した1985年度のアカデミー賞は、「アマデウス」と「キリング・フィールド」が激突した年でした。

主要賞(作品賞、監督賞、主演男優賞)は、「アマデウス」組がとった。

「キリング・フィールド」は、助演男優賞と、撮影賞、編集賞をとりました。


映画「キリング・フィールド」のハイン・S・ニョール(左)とサム・ウォーターストン


このとき、助演男優賞には、「カラテ・キッド」で、パット・モリタもノミネートされてたんだよね。

パット・モリタが受賞してても、「アジア人で初のオスカー男優」になったのかな?

かれは日系アメリカ人だから、「アジア人」ではなく「アジア系」ということになったでしょう。

(ちなみに、たぶん最初にアカデミー賞にノミネートされたアジア人男優は、梅木美代志が受賞した年に「戦場にかける橋」で助演男優賞候補だった早川雪洲。)


でも、パット・モリタには悪いけど、わたしはハイン・S・ニョールがとってよかったと思っています。

パット・モリタは、本人が悪いわけではないけど、アメリカ映画のなかで「アジア人」のステレオタイプを演じたところがある。

ハイン・S・ニョールはちがった。

かれは、決して白人の「下僕」ではない、アジア人本来の威厳と知性と人間性を示した。

当時は、かれの受賞にみんな納得したと思う。



ハイン・S・ニョールは、「はじめて」づくしの人ですね。

オスカーの俳優賞をとった、はじめてのアジア人男優、はじめてのカンボジア人。

あと、よく言われるのがーー

デビュー作でオスカーをとった、はじめての俳優。

しかも、演技経験なしでとったはじめての俳優。

ーーでも、梅木美代志だって、ほとんど演技経験なし、ほとんどデビュー作でしたけどね。


よくは言われないのがーー

オスカーの俳優賞をとった、はじめての「医者」。

かれは産婦人科医で、「キリング・フィールド」の配役表でも当初「Dr.」がついていました。

オスカーの俳優賞をとった、はじめての「大虐殺の生き残り genocide survivor」。

かれは、ポル・ポトの大虐殺を生き延びた人でした。

そして、オスカーの俳優賞をとって、殺された人。

「はじめて」かどうか確信はないけど、たぶんはじめてでしょう。殺人事件の被害者になったオスカー俳優は。

かれは1996年、56歳で殺された。その件で謎があって、わたしはまだひっかかってるんですよね。


「本職」を圧倒した素人の演技


「キリング・フィールド」は、ピューリツアー賞をとったNYタイムス記者のカンボジア・ルポが原作。

1970年代の半ば、カンボジア内戦下で、ともに決死の取材をこころみた、アメリカ人記者と、現地ガイド・通訳を兼ねたカンボジア人記者の友情を描いた作品です。

つまり、実話を描いた映画。

プノンペンで開業していた産婦人科医で、虐殺を逃れてアメリカに来ていたハイン・S・ニョールは、たまたまオーディションを受けて、映画に抜擢されたのでした。


ハイン・S・ニョールがいかにすごいかは、「キリング・フィールド」を見てもらわないと、伝わらないかもですけどねー。

演技のド素人が、主役のアメリカ人記者を演じたサム・ウォーターストンや、戦場カメラマンを演じたジョン・マルコヴィッチを、完全に食ってますからね。

サム・ウォーターストンも主演男優賞でノミネートされ、ジョン・マルコヴィッチもべつの映画でノミネートされていたんですが、かれらを差し置いてド素人が演技賞を受賞した。それも「キリング・フィールド」を見たら納得できます。


ハイン・S・ニョールが演じたカンボジア人記者は、実際には、ほとんど主役ですからね。映画の後半は、かれのクメール・ルージュからの逃避行で、そこがこの映画の見どころですから。

この年に「アマデウス」のサリエリを演じて主演男優賞をとったF・マーリー・エイブラハムより、主役を張ってましたよ。ニョールが「主演男優賞」で、マーリー・エイブラハムが「助演男優賞」でよかったのでは、とよく思う。


ハイン・S・ニョールが演じたカンボジア人記者は、いっさいアメリカ人や白人に媚びない。背は白人より低いけど、知性でも威厳でも、ひけをとらない。それでいて、情感に富み、ほんものの人間的苦悩を表現している。

そりゃそうで、「ほんもの」ですからね。


サム・ウォーターストンやジョン・マルコヴィッチのような「ただの俳優」とはちがう。ほんものの知識人で、知識人ゆえに迫害されたほんものの「大虐殺の生き残り」ですから。並んでいるだけでも、人間的な迫力がちがいます。

もちろん、ハイン・S・ニョールが受賞したのには、カンボジアの状況への同情もあったでしょうが、かれの「演技」の迫真性に、この年はだれもかなわなかったのは仕方なかった。

映画のなかのかれの威厳は、アジア人として、見ていて誇らしくなります。


カンボジアの悲劇


わたしは、かれの自伝である『キリング・フィールドからの生還』も読みました。


『キリング・フィールドからの生還』(1990、光文社)


多くの人が言及するように、自分の妻を、目の前で死なせてしまうーーその部分の描写が有名で、わたしもトラウマ的に心に残りました。


妻は難産がもとで死ぬ。自分の子である胎児が助からないのはわかっていた。でも、産婦人科医である自分が手を貸せば、あるいは妻は死ななかったかもしれない。

しかし、かれらはクメール・ルージュの監視下にあった。医者であることがばれれば、殺される。クメール・ルージュは、知識人を「カンボジアの苦難のときに特権をむさぼっていた」敵とみなし、片っぱしから殺していました。

眼鏡をしていただけでも殺されたから、ニョールも眼鏡をはずし、英語ができることも隠して、無学な農民を演じていました。


家族を助けたいけど、助けられなかったーーそういうことは、当時のカンボジアで無数にあった悲劇でしょうが、ちょっと忘れがたいエピソードです。


突然の死


そして1996年、その亡くなった妻の写真が入ったロケットペンダントを、カリフォルニアの自宅前で強盗に奪われそうになって抵抗し、かれは射殺されたことになっています。

しかし、当時から、ポル・ポトの指令で殺された、つまり暗殺だという噂がありました。

ポル・ポトはまだ生きており、ソ連が崩壊してもクメール・ルージュはまだカンボジア国内に勢力をもっていた。


ニョールが殺されたことを伝えるテレビニュース↓ 殺害の原因になったとされる亡妻のペンダントも映っている



「キリング・フィールド」によって、世界の多くの人はカンボジアでの大虐殺を知りました。

それで有名になったニョールは、「反ポル・ポト」の象徴であり、もっとも有名な虐殺の生き証人でした。

もしカンボジアに帰国していたら、確実に殺されていたでしょう。だから、「ポル・ポトの指令で殺された」という話に、信憑性があったのです。


しかし、必ずしもポル・ポト派でなくても、ニョールを敵視している人はたくさんいました。


このあたりは、当時の空気を知らないと伝わらないと思いますが、

「ポル・ポトの虐殺は肯定できないにしろ、ベトナム戦争のいきがかりで、カンボジアをこんな状態にしたのはアメリカだ。アメリカがいちばん悪い」

と考えている人は、たくさんいたんです。


揺れ動く評価


実際には、「キリング・フィールド」が公開される前から、難民の証言でポル・ポト派の大虐殺は知られていました。

しかし、上記のような反米感情から、虐殺を過小評価したり、アメリカのでっち上げだととらえる人もいた。

ちょっと「北朝鮮拉致」を無視した左派日本人に似ています。「ちょっと拉致とかあったかもしれないけど、その前に日本が朝鮮にしたことのほうが悪い」みたいな。青木理とかが言いそうな。


だから、映画「キリング・フィールド」にも、批判があった。

冷戦中の当時では、左派に「反共映画」のように見られた。

ポル・ポト派を賛美したことがある朝日新聞の本多勝一が、この映画をこき下ろしたのは有名です(本多勝一「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」『潮』1985年8月号など)。

しかし、それは本多だけではない。

たとえば2006年に出たジャーナリスト・馬渕直城の『わたしが見たポル・ポト』(集英社)も、そういう見方をしています。馬渕は一貫してクメール・ルージュを「解放者」と呼び、内戦などなかった、虐殺の焦点化はアメリカの責任逃れだと主張しました。


馬渕直城の『わたしが見たポル・ポト』(2006、集英社)。かれは1998年にポル・ポトの遺体を撮り、ポル・ポト死去の世界的スクープを放った。反米・親ポルポトの姿勢をつらぬき、ポル・ポト派に食い込んだ成果でもあった。本書の帯に「ポル・ポト派の虐殺は本当にあったのか!?」とある


ここで当時の複雑怪奇なインドシナ情勢を説明し始めると泥沼だし、わたしにそんな知識もない。どういう見方が正しいか、は各自にお任せします。



実際には、「キリング・フィールド」は、「ベトナム反戦の気分」で製作されており、「反米」色も強いです。ジョン・レノンの「イマジン」が流れるなかで白人とカンボジア人が抱きあうシーンは、クサすぎるくらい。

いっぽう、クメール・ルージュの虐殺については、生々しくはあるけれども、その背景の共産主義思想にくわしく触れているわけではない。ちょっと「後進国だから仕方ない」的な描写もなくはない。

つまり、この映画は、「反共」側からも「反米」側からも、いろいろ批判される余地がある、中途半端さがあるんですよね。それは、時代の制約かもしれませんが。


歴史の記憶


いずれにせよ、映画「キリング・フィールド」の評価は、そうした政治状況のなかで揺れ動いたんですね。

それは、いまなおそうかもしれません。

それとともに、ハイン・S・ニョールの評価や、かれについての記憶も、いまだに揺れ動いている気がします。


彼の殺害に「ポル・ポトがからんでいる」説は公式に否定され、ただの路上強盗殺人だとして処理されました。

でも、わたしなどは、いまだにすっきりしません。


カンボジアの特別法廷で2006年から始まった「クメール・ルージュ裁判」は、すでに余命いくばくもない生き残りポル・ポト派幹部に「終身刑」を言い渡し、コロナ中の2022年に「ひっそりと」幕を閉じました。

あの時代のことは、もう忘れられはじめています。

ユダヤ人のホロコーストは、その政治力もあり、無数の映画の題材となり、つねに国際的に話題になりますが、それに匹敵するポル・ポトの大虐殺は、それほど話題にならないーーアジア人として、問題だと思っています。

今回のアカデミー賞「アジア人差別」騒動で、ハイン・S・ニョールの名前が出なかったことにも、それを感じました。


ただ、「アジア人差別」をいうなら、スクリーンのなかで白人俳優に堂々とアジア人の威厳を示したかれの演技とともに、かれのことを忘れないでくださいね。


<参考>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?