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新100万都市「南武蔵市」爆誕! 4市区(町田、稲城、青葉、麻生)合併で

「居心地の悪さ」を解消


2030年4月1日、「南武蔵市」の誕生を祝って、市庁舎のある町田区(旧町田市)でセレモニーが行われた。

南武蔵市は、かつての東京都町田市、東京都稲城市、神奈川県川崎市麻生区、神奈川県横浜市青葉区が合併してできた新しい市である。

2030年に誕生した南武蔵市


南武蔵市設立推進委員長の町田町助氏(71)は、祝辞の中で、誕生のきっかけとなった出来事について語った。


「もう皆さん忘れているでしょうが、2023年5月に、当時のJR町田駅前で暴力団員が撃たれる事件がありました。犯人は同じく暴力団員でしたが、警視庁ではなく、神奈川県警に自首したんですね。ああ、地元のヤクザですら、町田は神奈川だと思っている、東京と思われていなんだな、と。これはいよいよ何とかしないと、と思ったわけです」


それまでも、町田市が東京都にあるのはおかしい、ニセ東京だ、という声に市民は悩まされ続けていた。


「それで、近隣の麻生区や青葉区の友人たちに、相談を持ちかけたわけです」


運動の中心となった「都筑郡の会」


当時、横浜市青葉区の住民だった青葉寿司郎氏(68)は、町田氏らと「都筑(つづき)郡の会」を主宰していた。


「古来、横浜市青葉区、川崎市麻生区、東京都町田市は、同じ文化圏でした。武蔵国の都筑郡です。町田市も、東側は都筑郡であったと思われます。同じ鶴見川水系なんですね。青葉区の鉄(くろがね)や、町田の奈良や三輪といった地名は、このあたりが関西から来た鍛治職人集団、当時の最先端技術者の拠点であったことを示しています。いにしえのシリコンバレーというか」


青葉氏らは、東京と神奈川、横浜と川崎といった行政区の違いを超えた文化圏の構築を模索していた。


「東京や神奈川、横浜とか川崎とかは、しょせん、明治になって役人が適当に決めた人為的区切りにすぎません。当時の線引きの経緯を調べれば調べるほど、いい加減さにあきれます」


と青葉氏は言う。

南武蔵市の位置


同じく「都筑郡の会」会員で、川崎市麻生区に住んでいた柿生幾多郎氏(92)は、こう言う。


「2023年に発表された市区町村別平均寿命調査で、川崎市麻生区は全国約2000市区町村中、長寿1位でした。その前回の調査では、横浜市青葉区が1位だったんですね。麻生区と青葉区はいつも長寿1位を争っていて、それも、この2区が同じ社会・自然的環境にあることを示しています。地域として一体性がある、というか、つまりは同じ地域なんですよ」


「でも、おかしなことに、麻生区が長寿1位になれば川崎市麻生区役所に、青葉区が1位になれば横浜市青葉区役所に、マスコミは取材に行く。そうではなく、今は目に見えないけど『武蔵国都筑郡』の役所に取材に行くべきなんです。ずっとそう思っていました」


麻生区と町田市との関係も、因縁含みであった。


「麻生区の岡上地区は町田市の中の飛び地であり、町田市の三輪地区は麻生区の中の飛び地になっていた。それには歴史的な因縁があったのですが、とにかく境界がわかりにくく、それぞれの住民も居心地の悪さを感じていました。小田急の電車で走ってもそうでしたが、とにかくあの辺りは、少し歩くと、東京、神奈川、東京、神奈川、とめまぐるしく変わるのです」


「ブルーライン延伸」を契機に


また、横浜市青葉区民と、川崎市麻生区民は、市の行政の中心である市庁舎から遠い、という同じ悩みを抱えていた。


柿生氏がこう述べる。


「2023年の麻生区桜まつりは、コロナ明けで4年ぶりに開かれたものでした。それで、初日のセレモニーに、川崎区から市の観光協会のお偉方を呼んだのですが、遅刻してきたんです。祝辞の冒頭での言い訳が『麻生区がこんなに遠いと思わなかった。1時間半もかかったよ』でした」


「同じ年、麻生区の市民オーケストラ、麻生フィルハーモニー管弦楽団が、創立40周年の記念コンサートをミューザ川崎シンフォニーホールで開きました。幸区のミューザ川崎に行くには麻生区から1時間かかる。それなら、サントリーホールで開こうが東京芸術劇場で開こうが同じだ、と思ったものでした。何をやるにせよ、麻生区から市の中心に遠いのです」


南武蔵市の市庁は、旧町田市庁舎があった町田区にある。それによって、麻生区も青葉区も、市の中心へのアクセスは、かつて1時間近くかかっていたのが、20〜30分と格段に早くなった。



稲城市が合併に加わったのは、「都筑郡」とは別の理由であり、きっかけは2030年に実現した横浜市営地下鉄「ブルーライン」の延伸だった。

「ブルーライン」は当初、青葉区の「あざみ野」(東急田園都市線)と麻生区の「新百合ヶ丘」(小田急線)を結ぶ計画だったが、それを麻生区と稲城市の境にある「若葉台」(京王相模原線)まで延伸するよう計画変更となったのだ。


南武蔵市の主要交通網


当時稲城市の住人で、推進委員に加わった稲毛三十郎氏(55)は、以下のように述べる。


「だいたいめちゃくちゃなんですよ。稲城市はもともと、東京都の多摩地区よりも、川崎市と関係が密接でした。よみうりランドが川崎との境界にあるように。それなのに、旧『多摩郡』だからと、全部まとめて東京への帰属になっていました。住民は誰も納得していませんでした」


「横浜のブルーライン延伸の話を聞いて、これは千載一遇のチャンスだと思ったのです。新百合ヶ丘と稲城市は市街地が連続している。ブルーラインを稲城市まで伸ばしてください、と猛烈に運動したわけです」


運動が実り、青葉区、麻生区、稲城市は、ブルーラインで結ばれることになったのだ。都庁から遠いのは稲城市も同じだったが、その問題もこれで解決した。


「稲城は、都筑郡ではなかったかもしれませんが、同じ武蔵国だったではないか、と都筑郡の会の人たちに呼びかけました。稲城も一緒になった方が、よみうりランドの帰属もはっきりする、というのが決定打になりました」


4市区の猛烈な住民運動によって、ブルーライン延伸開通とともに誕生した「南武蔵市」。

東京の端っこと神奈川の端っこが結びついた形だが、それ以前の武蔵国は、現在の埼玉県、東京都多摩地区、神奈川県に広がっていた。旧武蔵国の旗の下に結びついた4市区であり、「南武蔵市」という名前は、その精神を表している。


「これでスッキリしました」


4市区の合併により、関東に新たな100万都市が誕生した。


東京都町田市  431254人  71.55km2 

東京都稲城市   94780人  17.97km2

川崎市麻生区  180863人  23.25km2

横浜市青葉区  310083人  35.22km2

 南武蔵市  1016980人 147.99km2<NEW> 


「これでスッキリしました」

と4地区の住人は口をそろえる。


スッキリしないのは、この南武蔵市が、東京都に属するか、神奈川県に属するか、まだ決まっていないことだ。


「できれば、もうどちらにも所属したくない」


それが、住民たちの本音のようである。

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