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【演劇】ねじまき鳥クロニクル

 2023年11月21日(火)、池袋の東京芸術劇場(プレイハウス)に、舞台の『ねじまき鳥クロニクル』を観に行きました。メモを残します。

■公演期間

 東京公演は、2023年11月7日(火)〜11月26日(日)です。この後、大阪公演が12月1日(金)〜12月3日(日)、名古屋公演が12月16日(土)・17日(日)と続きます。

■公演スタッフ

(※一部分だけですみません)
・原作:村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』
・演出・振付・美術:インバル・ピント
・脚本・演出:アミール・クリガー
・脚本:藤田貴大
・音楽:大友良英
・照明:ヨアン・ティボリ

■原作小説について

 『ねじまき鳥クロニクル』は、村上春樹(1949〜)が、1994年・1995年に出版した長編小説です。国内では1996年に第47回読売文学賞を受賞し、海外でも多くの国で翻訳され、高い評価を得ています。
 簡単なあらすじは、以下のとおりです。

岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに、奇妙な出来事に巻き込まれ、思いもよらない戦いの当事者となっていく――。

舞台『ねじまき鳥クロニクル』あらすじの冒頭より

■感想

(1)主人公の岡田トオルについて

 主人公の岡田トオルを、成河さんと渡辺大知さんが二人一役で演じています。キャストの表を見ながら最初私は、場面ごとに分担するのかなぐらいに考えていました。しかし、同時に出てくる場面も多く、一人がもう一人の影のようにも思えました。ドッペルゲンガー(自己像幻視)という言葉を思いだしたり、自己の多様性や自己理解の複雑さ・難しさについて考えたりもしました。

 更にその効果を増幅させた(ように思えた)のが、8人のコンテンポラリーダンサーたちでした。登場人物たちに連鎖・連動して踊る姿は、感情の増幅であり、時として、登場人物たちの動きをコマ送りのように見せる働きをしていました。

(2)岡田トオルと綿谷ノボル

 読み手のスタンスにもよるのでしょうが、多くの人は、主人公・岡田トオル側の立場から世界をとらえ、義兄である綿谷ノボルは「悪」や「暴力」の象徴として見るのでしょうか?この点、いつも疑問に思ってしまいます。論点として、他の読者と話してみたい部分です。

 もちろん私も、綿谷ノボルの行為・行動を肯定的に捉えている訳ではないのですが、彼の持つ「暴力性」というものは、誰しもが持っているもののようにも思うのです。逆に、岡田トオルという主人公は、ややもすれば(私には)ノンビリとも映り、彼のように生きれたらどれだけ素晴らしいだろうと思いつつも、何か全てのものを透かしてしまう透明な存在のようにも思えてしまうのです。

 物語の設定上、岡田トオルは30歳、綿谷ノボルは30代後半くらいでしょうか。私も、いつの間にか、彼らの年齢を超えてしまいました。そのこともあってか、尚更彼らが、比較的生活感の薄い抽象的な存在に映るのです。これは、登場人物を何らかの象徴・メタファーとして描く村上春樹のある意味副作用かもしれません。

 ※綿谷ノボルは、大貫勇輔さんと首藤康之さんのWキャストでした。(私が観た回は、大貫さんでした。)

<追記>
 私の疑問点をもう少しまとめると、綿谷ノボルの「暴力性」は、「絶対悪」なのか、誰もが持ちうる「相対悪」なのかということだと思います。あまり文献は読んでいないのですが、「絶対悪」という記載を見かけることが多いような気がします。<追記ここまで>

(3)舞台演出について

 村上春樹の作品には、塔に登ったり、井戸に潜ったりする場面が多く出て来ます。本作(原作)でも井戸に潜る場面があり、どのような舞台演出になるのだろうかと楽しみにしていました。詳細は伏せますが、舞台の奥行きを活かした演出で、面白かったです。冒頭・表題の写真は、劇場ロビーに展示されていた舞台の模型です。

 また、音楽や照明も合わせて、村上春樹の世界を表現しようとしており、ハルキストや村上春樹の世界に詳しい人は、もっと色々な気づきが出来るだろうなと思いました。

(4)赤坂シナモンについて

 他に、登場人物としては、笠原メイ(門脇麦)、岡田クミコ(成田亜佑美)、加納クレタ/マルタ(音 くり寿)、赤坂ナツメグ(銀粉蝶)、赤坂シナモン(松岡広大)、牛河(さとうこうじ)、間宮(吹越満)などが出てきます。

 私が印象に一番残った役は、赤坂シナモンでした。ナツメグの息子で、6歳の時に声を失っています。なぜ声を失ったのか、動物園とは何か、小説でも難しく感じた部分だったことを思い出しました。

■最後に

 文学作品の舞台化であり、しかも長編小説なので、どんな風におさめられるのか、期待半分・不安半分で臨んだ観劇でした。
 私が小説を読んだのはずっと前で、記憶も曖昧な部分があるのですが、要所要所に村上春樹の台詞や言葉が織り込まれているのを感じました。
 欲を言えば、岡田トオルと笠原メイの出会いなどゆっくり観てみたいと場面もあったのですが、そこは時間の都合上、制限がありそうです。

 小説の組み換えや再構成を通じて舞台は成り立っており、人の「深層心理」「性」「暴力」などについて想起し、考えさせられました。
 もう一度、原点である小説を読み返してみたいと思います。

 本日は、以上です。

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