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00'〜02’年代大学生5人が金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』を読んだら

*以下、ネタバレを含みます! ご注意ください!

どうでした? おもしろかったですか?

「ぼくは金原ひとみの小説をよく読むんですけど、最近読んできたものと比べると、正直、厚みはだいぶ無いなと思って」
「たしかに」
「娘側の視点から描かれていて、母親は他者の方に置く書き方だから、そうなるのは自然だなと思いつつも、でもやっぱり、読んでる感覚として、ひとつまえの作品と比べてしまった気はします。ひとつまえの『デクリネゾン』は、母親が視点人物で、二度の離婚を経て中学生の娘と暮らしているシングルマザーが、大学生の彼氏と付き合っていて……って感じのストーリーで、それは読んでいてヒリヒリしたんですよ」
「わたしも『アンソーシャルディスタンス』が好きなんですけど、それとはテイストがちがいますよね。まあ主人公の人格がちがうから、語り自体もぜんぶちがうのは当然なんだけど」
「あ、でも、わたしは『蛇にピアス』の文脈なのかなと思ったかもしれない。デビュー当時の金原ひとみの延長にあるみたいな……? 金原さんは、その時代の最新のギャル的若者を書いてきたイメージがある」
「そうかあ。ぼくはデビュー作から数作も、たしかに雰囲気はわかるけど、本質的には結構ちがうように感じるかな。初期作の主人公の心内語が勢いをもって連なっていく感じとか、主人公の思考と身体が乖離してる感じとか、いわゆるギャルみたいな子の内側で渦巻いてるっていう書き方と、今回のレナレナの人物はちがうと思った」

金原ひとみ『蛇にピアス』集英社文庫、2006年

レナレナの人物造形

「レナレナってだいぶ頭いいですよね」
「冷静かも」
「わたしはギャルというよりは陽キャだと思った」
「あ、帯文でも陽キャって書き方になってるよね」
「まあ、そこのちがいは微妙なんですけど、わたしは妹が陽キャなんですよ」
「へえ!」
「だから、同じ部屋にいるあの子だな〜くらいの感じで読みました」
「わかる、ギリギリ視界の端にいるっていう。わたしも自分自身は陽キャじゃないけど、クラスにはこんな子いたなみたいに読みましたね」

レナレナとお母さんの関係性

「レナレナが怒ってお母さんがそれに言い返すところは、ヤマシタトモコ『異国日記』の朝が怒って槙生が言い返すところにちょっと似てると思いました」
「あ、わかるかも。母親的な存在が論理の人で、娘的な存在が感情の人みたいな」
「ぼくは、たしにかに関係性としては似てなくもないけど、槙生とレナレナのお母さんっていう人物ふたりを取り出してみたときには、結構ちがう感覚です。槙生は朝をわかろうとしてるけど、レナレナのお母さんはもうわからないものとして見てるみたいな」
「なるほど。それを聞くと、レナレナのお母さんはレナレナを他者だとは思ってないですよね。愛すべき娘だと認識している? 槙生ちゃんは朝ちゃんのこと、他者? ひとりの人間? として扱おうとしているじゃないですか」
「槙生は、ちゃんと傷ついてきた人ではありますよね。まあ、レナレナのお母さんもそうなのかな……。レナレナのお母さんは、自分のスタンスをきっちり固めてるように見えるのが、自分の印象としてはだいぶちがいました」

ヤマシタトモコ『違国日記①』祥伝社、2017年

「わたしは、『文藝』掲載時に「狩りをやめない賢者ども」の、お母さんがライブで席を取っておいたら注意されて、それに対しての悪感情がわーってでてくるっていうところ。あのお母さんの長い語りを読んだのがすごく印象に残っているんですよね。原稿用紙5枚ぶんくらいしゃべってるでしょう。ここのセリフが好きなんです」

「ソクラテスから端を発した偉大な哲学者や思想家たちが積み上げ続け、その一端を享受しながら私たち各々が少しずつ身につけてきた倫理が。瞬間的な怒り一つで無効化されてしまうという事実に、個人の脆弱さ、人一人の可能性の小ささに、私は言葉をなくしたと言える」

金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』河出書房新社、2023年、109ページ

「これを自分の怒りへの反応として言っているのがすきで。感情と論理のせめぎ合いって言ったら簡単にしすぎなんですけど。だから、なんとなく自分はレナレナのお母さんが不倫してるのがなんで? みたいに思ったかなあ」
「え、わたしは疑問に思わなかった」
「わたしも、それがこの人の前提として読んでるから『なんで』とはならなかったかな」

お母さんの人物造形

「お父さんがいう結婚システム理論の上には、最初はこの人はいなかったわけじゃないですか。離婚しようとしていたわけだし。で、4話では離婚の方向で話が進んでいる」
「そこわりと唐突ですよね。なんでだったっけ」
「ぼくは、金原ひとみの小説に不倫や変な形の夫婦生活がよく前提としてあるから、そこに理屈はついてない気がします」
「理屈はたしかにないですよね」
『デクリネゾン』でも感じたんですけど、一種の諦念というか。自分はこういう人間だ、っていう、あきらめみたいなものをもって、結婚生活を築き上げても不倫してしまうということについて言葉を交わし合う場面があって、だからぼくはその延長みたいに思ったかもしれない」
「わたしは、お母さんのセリフで納得しちゃいました」

「最後に、恋愛っていうのはこの世に於いて最も批評が及ばない範疇のもの。善し悪しを判断するなんてもってのほか、誰かが誰かの恋愛に感想を漏らすだけで滑稽。それを知っているだけで、きっとあなたの知性は十パーセントくらい向上するだろうね」

金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』河出書房新社、2023年、39ページ

「……この人ソクラテスかプラトンやってません?」
「恋愛が重要な位置にあるタイプの論理の人間か〜」
この小説全体がレナレナの語りであるってことは重要ですよね。親としての人物の印象と、その人自身のの印象ってちがうから」
「そこが引っ掛かっているのかなあ。レナレナがバスケ部勝手に休部してたとき、この人はガンガン詰めてペナルティを与えるって言うじゃないですか。じゃあもうちょい彼女の自己内省を物語世界内であらわにしてくれてもよくない? と思う。もちろん人物に矛盾はあっていいけど、その矛盾が人間的矛盾にあんまり見えなかったのかも」
「言ってることはわかるけど。そんなもんじゃない?」
「その、矛盾とか乖離してぞっとする感じとかが、金原ひとみの作品の魅力だとぼくは思っているかな」
「作者としては『子どもからすると親の不倫っていやよね、社会的には問題があるよね』をわかっているが問題だとは思ってないから、だからレナレナにとっての問題を書くにあたって、『お母さんが不倫していたからこんな問題が起きちゃったよ〜でもお母さんはレナレナとちがう考え方なのでさらに親子間の問題が起きます!』っていう作劇なのでは」
「え〜うんそうだけど……」

けんけんがくがく

レナレナから見る、現代の陽キャ論

「レナレナって、歌い手を推してる陽キャじゃないですか。わたしたちの世代と感覚違いますよね」
「わかる。ここにいるのは00年代〜02年代くらいですけど、歌い手推してるって結構オタク文化圏でしたよね」
「いまだとどこが陽キャと陰キャの分れ目なんだろう。まあその区分も好きじゃないけど……」
「声優推してる、は?」
「アイドル声優の歌にキャーキャー言ってるタイプと、黙々と声優のアニラジ追いかけてるタイプでだいぶちがうなあ」
「レナレナは、大学生になったらK-popの女子グループ推しに移っていくでしょ」
「その意味で、レナレナの陽キャ描写として好きだったのは文芸部のセイラと話すところですね。『わたしには面白いとつまらないの一本軸しかなくて、その一本の上を行き来するだけだけど、セイラみたいな子にはもっといろんな軸があるってことかもしれない』みたいな文ありましたよね。あれは、読者のためのエクスキューズとして秀逸だなと思って。本を読むという行為をレナレナはそう捉えているし、読者の軸でレナレナを語るとこう、みたいな」
「ああ、本を読まない側の人間の説明であると同時に、読者という本を読む側の人間から見た、本を読まないレナレナの説明でもある?」
「そう、鏡写しになってる」

金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』河出書房新社、2023年

陽キャと一軍 オタクと非オタク

「現代の若者の中では、オタクである/非オタクであるの線引きって曖昧になっていると思うんですよね」
「レナレナはちょっとオタクだけど陽キャだしね」
「あの、思ったんですけど、陽キャと一軍は違うじゃないですか? で、レナレナは一軍なんじゃないですか?」
「ああー! わかる! 一軍にオタクはいてもいい! 陰キャは一軍になれないけど、ラブドリオタクは一軍になれる」
「わかりやすい」
陽キャは種族で、一軍はカーストだから……」
「その意味では、レナレナはなんか小説を読む人の隣人になれる陽キャ? 陽キャか一軍かわかんなくなってきたけど」
「理解の範疇にとどまってくれる感じのね。うん、その意味ではもっとドキドキしたかったかも。もっと理解できない陽キャの生態がみたかった」
「あ、じゃあみんなで新宿のクラブに行って怖いお兄さんにボコられましょう」
「先週の小泉綾子『無敵の犬の夜』につなげなくていいんですよ」

って感じでした〜。
来週は中島らも『今夜、すべてのバーで』をやる予定です! 楽しみ🥰

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