【感想】聲の形〜人間関係の儚さと尊さ〜
1.あらすじ
“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。
やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。
“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。
<引用元>
2.感想
■この物語のテーマは?
すごく大きな話から始まりますが、人間が地球上で最も高い地位を築けたのって何でかわかりますか?
それは「分業」という仕組みを作ったからです。
分業とは、、、
分業(ぶんぎょう、英:division of labor)とは、複数の人員が役割を分担して財(モノ)の生産を行うことである 引用元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
分業は生産過程における効率性を高めるためにとられた役割分担のシステムである。財を生産していく工程をすべて一人だけでこなしていくのは、完成までに時間がかかり、しかも少量しか生産ができないうえに、生産者への負担が大きくなるというデメリットがある(伝統工芸を担う職人などが典型例である)。これを解消し、より迅速に大量の財を生産するために、複数の生産者が生産工程において役割を決め、スケジュールに基づいて作業していくのが分業のメリットである。 引用元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
要は、生きてく上で必要な「衣・食・住」といった生産活動を全てひとりでやっていくことは時間も掛かるし、効率が悪い。だったら、それぞれの分野で役割を分けて、他人の分まで生産活動をしていった方が圧倒的に効率的だよね?という考え方。
この「分業」のおかげで、人類は圧倒的なスピードで、あらゆるテクノロジーを生み出し、地球上の頂点に登りつめたのです。
その反面、「分業」により人間は互いの関りなくしては生きていけない状況も生み出します。
人間同士が交われば、多かれ少なかれ必ず問題は発生します。
それでも関わっていくしかないのが人間の宿命なのです。
「聲の形」はそんな人間関係で生じる弊害をテーマとした作品となります。
■なぜ人間関係で弊害が生じるのか?
それは人間が本能的に思い込みの塊だからだとボクは思います。
相手の気持ちなんて当の本人にしかわからないのに、人間は自分基準で相手を勝手に想像する癖があります。
でも人間全く同じ考えの人はいないし、誰しも完璧な人なんていない。
そんな人間の想像なんて大して当たるはずがないですよね。
なので、当の本人はそうは思っていないのに、
「自分だったら偽善だと思うからあいつは偽善者だ」 「自分だったら嫌いになるからあいつは自分のことを嫌い」 「自分のせいで皆が不幸せになっていくから、自分なんか居ない方が良い」
など、勝手にネガティブな想像を膨らませ相手と関わることを避けていくのです。
この作品は幼少期に起きた悲劇から心の傷を背負った者達の物語。
それぞれがその罪悪感から自らの心を閉ざし、相手と向き合うことを恐れすれ違っていきます。
そしてそのすれ違いが更なる悲劇を生んでしまうのです。
■じゃあどうすれば人間関係は良くなっていくのか?
自ら心を開き、相手と向き合っていくしかないとこの物語は結論付けています。
そうすることで自分の思い込みを修正していくしかないんだ、と。
その為に自信を付けろ、と。
ただ勘違いして欲しくないのはここで言う自信は成功体験の積み重ねで得られる自信ではないということ。
そこで得た自信なんてその体験が「過去の栄光」となった時に揺らいでしまう賞味期限付きの様なものです。
そうではなく、ここでいう自信は過去の過ちや自らの欠点を受け入れることで得られる揺るぎないものを指します。
将也はその揺るぎない自信を大きな過ちを犯しても尚、自分を必要としてくれる仲間達の存在から見出します。
皮肉にも人間関係によって救われるのです。
悲劇を生むのが人間関係であれば、それを救うのもまた人間関係でした。
そんな普遍的すぎるが故に気付き難い「人間関係の儚さと尊さ」。
それをこの作品は丁寧に描いてくれています。
3.参考文献
○嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]
○幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え2 [ 岸見一郎 ]
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