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最終回『くちびるリビドー』第20話/3.まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風(8)


「そういえば……マモルね、このところ体調崩しててさ。お店、閉めちゃってるのよ」
 真夜中。寧旺が口をひらいたのは、ゆうべと同じように星を眺めながら過熱した思考をクールダウンさせようと、寒空の下を歩きはじめたときだった。
「偉そうに、アンタにアドバイスなんかできる立場じゃないのよ、実際は」
 そう話す寧旺の雰囲気から「マモルさんの状態は相当よくないのでは?」と感じ取ってしまった私は、返す言葉が見つからぬまま、耳を澄ませて次の言葉を待った。
「病気のことはね、最初からわかっていたのよ。だからできるだけ長く一緒にいたくって、店なんかはじめちゃったのよね。可笑しいわよね。別に店なんてやらなくても、一緒にいられたはずなのに。ワタシもまだまだ子どもだったってことかしら」と、寧旺は前を向いたまま小さく笑った。

 思えば、私は何も知らされていなかった。最近の寧旺のことも、マモルさんが何者で、ふたりはどうやって知り合い、一緒に店をはじめることになったのか、ということも。
 店のオープンを知らせるハガキは、ある日唐突に届いた。その開店祝いに訪れたときにはもう、ふたりは友人たちに囲まれて(多くは寧旺の仕事関係者なのだろう……酒好きの妙におしゃれな人たちだった)、まるで公認の「恋人同士」のような振る舞いを見せていた。
 そして私は、そんな寧旺に違和感を覚えずにはいられなかった。もしも、おそらく五十代(だけど年齢不詳っぽくて確かにステキ)のマモルさんが寧旺のことを「俺の隠し子なんだ」とでも言ってくれたなら、そっちのほうがよっぽど納得できる……なんて思いながら(そうだ。確かにマモルさんは、いたって普通に、自分の息子や娘に接するみたいに、寧旺の相手をしていただけではなかったか? 私たちはまんまと寧旺の演技に騙されていただけなのかもしれない)。







くちびるリビドー


湖臣かなた








〜 目 次 〜

1 もしも求めることなく与えられたなら
(1)→(6)

2 トンネルの先が白く光って見えるのは
(1)→(6)

3 まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風
(1)→(8)


3

まだ見ぬ
景色の
匂いを運ぶ風


(8)


「マモルさんって、何者なの?」と、今さらながらに私は尋ねた。
 星空を求め、足は自動的に海へとひらける大地の上を進んでいく。
「う~ん……恋人?」と横を歩く寧旺は、白々しく答えた。
「そんなの信じられない。寧旺は誰のことも好きになったりしないでしょ!」
 発せられた私の声は、近づく波音に混じり合いながら不自然なほど大きく響く。
「いいじゃない。恋人ごっこだろうと、親子ごっこだろうと、アンタには関係ないでしょ。やきもちなんか焼かないでよ、自分には恒士朗くんがいるくせに」
 応える寧旺の声は、どこまでもクールで隙がない。
 そうだった。とりわけ自分のこととなると、その冷静さはいっそう際立つ。私はもう慣れているけれど、この反応を前に踏み込める人はほとんどいないだろう。
 相手を自分から完全に遮断する、透明な氷の壁。見えなくても、その圧倒的な冷気で、思わず相手は身を引っ込める。
「この壁を越えたってわけ? マモルさんは」と、私は頭を働かせて言葉を返した。
 そうだ、私は知っている。ここで「関係なくないよ! やきもち焼かせてよ!」なんて感情的になっても無駄。そよ風のように笑われて、そのままスルーされるだけ。少しでもその心に近づくには、同じだけのクールさとクレバーさが必要なのだ。
「まぁね……そんなところよ」
 夜風が、重みのないその言葉をすぐに吹き飛ばす。
 寧旺はそれ以上語ろうとせず、私たちの一歩一歩には濃紺の沈黙が滴り落ちていく。


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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆