彼方ひらく

掌編小説を書いています。俳句も少々。

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  • 俳句をかんがへる

    気まぐれに、俳句についてあれこれ考察していきます。

  • ひらく紀行

    日本各地に訪れた体験をまとめた旅行記、紀行文です。 俳人なので、折々季語についてふれます。

  • ひらくヨムヨム

    彼方ひらくが現代の俳句を鑑賞します。

  • 杉山久子の俳句を読む

    俳人の杉山久子さんの俳句を不定期に一句ずつ鑑賞します。 【プロフィール】 山口市在住。「藍生」「いつき組」所属。山口新聞俳壇 選者。俳句甲子園地区予選審査員。 1997年 第三回藍生新人賞受賞 2006年 第二回芝不器男俳句新人賞受賞 他 句集『春の柩』『猫の句も借りたい』『鳥と歩く』『泉』 その他、著書に四国八十八箇所巡りのエッセイ『行かねばなるまい』など。 【作品・人物評】 ”繊細にして逞しい” 坪内稔典氏(『春の柩』より) "杉山久子さんの作品は、短く俳壇を通過する「彗星」ではなく、また太陽の光によって初めて耀く「月」のような衛星でもなく、正しく位置を保ちながら、自ら発光する「恒星」のように力強い"(『春の柩』より) "杉山久子というのは不思議な生き物だ" 夏井いつき氏(『鳥と歩く』より)

記事一覧

固定された記事

杉山久子の俳句を読む 23年01月号

太箸をとればゆるりと猫のきて(句集『猫の句も借りたい』所収)  季語が新年の「太箸」であるから、作者が食べようとしているのはきっとお節だろう。人間の食べ物で猫…

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季語体験「芝焼く」岡山後楽園にて

 2024年2月7日(水)の午後、半日有休をとった。週のど真ん中に有休をとるのは、平凡に生きる会社員としては非常に目立つ行為だが、イベントがあるのは何かと水曜日である…

彼方ひらく
3か月前
16

季語の分類をかんがへる「大試験と入学試験」

 2024年2月4日放送の『NHK俳句』は、兼題が春の季語「入学試験」だった。冒頭、選者の夏井いつき先生が「入学試験は大試験の傍題」と説明したので仰天した。「大試験」…

彼方ひらく
3か月前
24

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム006

くちびるの奥に歯バレンタインの日稲畑とりこ 第5回令和相聞歌 最優秀賞より  情熱的な想いで手渡された女性のチョコレートが、清潔で真っ白な歯によってかみ砕かれ、…

彼方ひらく
4か月前
16

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム005

甘やかす孫と昭和の扇風機杏乃みずな 「2024年版夏井いつきの365日季語手帖」特選より  シンプルに因数分解されている句だ。「甘やかす」は「孫」と「昭和の扇風機」の…

彼方ひらく
4か月前
13

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム004

風花や相手のいない糸でんわ平田素子 第二十五回横光利一俳句大会 一般の部 野中亮介選者賞より  相手がいなくなったのではない、最初からいないのだ。糸電話のぴんと張…

彼方ひらく
5か月前
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書評 句集『地球酔』土井探花

はじめに 健康的な朝顔の表紙をめくり、淡い萌黄色の遊び紙とシックな扉、橋本喜夫氏の序文を過ぎると、目次には「退化」「賞味期限」「腐臭」など暗い言葉が並んでいる。…

彼方ひらく
6か月前
25

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム003

月白し膝に手を置く国家たち木之下みゆき 第60回現代俳句全国大会特別選者特選より  膝に手を置いているということは、面接か、式典か、はたまた誰かの葬儀だろうか。「…

彼方ひらく
6か月前
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俳句の鑑賞文を考へる

 こんにちは。彼方ひらくです。ヘッダーの写真はマヌルネコですが、特に意味はありません。考えごとしてるような風で多分何も考えてないのが気に入っているだけです。 は…

彼方ひらく
6か月前
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砥峰高原・立雲峡紀行(2023年10月)

吟行に誘われる 俳句をやっていない人でも「吟行」という言葉を一度は耳にしたことがあると思う。俳句をやっているという理由だけで全国から老若男女がわらわら集まって、…

彼方ひらく
6か月前
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北アルプス紀行(2023年8月)

死ぬまでに雪渓が見たい 自分で言うのもなんだが、運動が苦手だし嫌いだ。学生時代は運動会とか体育祭はただの生き地獄だったし、放課後は文化系の部室で息を潜めていた。…

彼方ひらく
7か月前
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俳句鑑賞 ひらくヨムヨム002

ソフトクリーム舐むれば個人的な崖西生ゆかり  二十一世紀に入って日本人の主語は小さくなった。団塊から少子化へ、高度経済成長期から失われた20年へ、SNSの流行とか…

彼方ひらく
8か月前
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杉山久子の俳句を読む 23年08月号

香水や仏蘭西映画わかるふり(句集『泉』所収)  句の中の香水をつけているのが作者なのか、他の人なのかで読みが分かれる句だ。  他の人の香水の場合、たとえば偶然フ…

彼方ひらく
9か月前
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俳句鑑賞 ひらくヨムヨム001

巨大蛸(クラーケン)の白夜を歩く針のごと小田島渚 第39回兜太現代俳句新人賞受賞作「真円の虹」より  天地創造の頃より存在するという得体の知れない怪物が、ノルウェ…

彼方ひらく
9か月前
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杉山久子の俳句を読む 23年07月号

人の恋かたしろぐさのつめたさに(句集『鳥と歩く』所収)  「人の恋」という、突き放した言葉が目に飛び込んでくる。友の恋でも肉親の恋でもない。「他人の恋」という意…

彼方ひらく
10か月前
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杉山久子の俳句を読む 23年06月号②

珈琲におぼるゝ蟻の光かな(句集『泉』所収)  蟻はさまざまな俳句で溺れてきた。まず、これまで詠まれてきた溺れっぷりをいくつか見ていきたい。 ほとけの水に溺るゝ蟻…

彼方ひらく
11か月前
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固定された記事

杉山久子の俳句を読む 23年01月号

太箸をとればゆるりと猫のきて(句集『猫の句も借りたい』所収)  季語が新年の「太箸」であるから、作者が食べようとしているのはきっとお節だろう。人間の食べ物で猫が食べることができるものは意外と少ないが、極端な味付けのないものなら、かまぼこなり海老の剥き身なり、重箱の中にご馳走がある。  猫は高いところが好きだが、室内を移動するには床を歩かなければならないから、脚の長いテーブルの上は勿論、座卓の上の料理を確認するのも難しいものだ。しかし、彼ら彼女らは重箱を開いた瞬間に、その音

季語体験「芝焼く」岡山後楽園にて

 2024年2月7日(水)の午後、半日有休をとった。週のど真ん中に有休をとるのは、平凡に生きる会社員としては非常に目立つ行為だが、イベントがあるのは何かと水曜日である。同僚は僕が県外の大学に俳句の授業に行ったり、東京のベストドレッサー賞のパーティーに参加しているとは夢にも思わないだろう。人には誰でも秘密がある。 岡山後楽園について この日はなんということはなく、地元、岡山後楽園の芝焼を見学した。俳句を始めてから後楽園の芝焼があることを知って、一度見に行きたかった。いや、正直

季語の分類をかんがへる「大試験と入学試験」

 2024年2月4日放送の『NHK俳句』は、兼題が春の季語「入学試験」だった。冒頭、選者の夏井いつき先生が「入学試験は大試験の傍題」と説明したので仰天した。「大試験」は期末テストなどを小試験としたとき、学年の終わりの試験または卒業試験のことだから、いずれも在学中の試験である。対して「入学試験」のときはまだ在学していないわけで、「大試験」とは根本的に性質が異なるのだ。これらをまとめて扱うのは「卒業」の傍題に「入学」があるようなものではないか。実際、筆者の持っている三冊の歳時記で

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム006

くちびるの奥に歯バレンタインの日稲畑とりこ 第5回令和相聞歌 最優秀賞より  情熱的な想いで手渡された女性のチョコレートが、清潔で真っ白な歯によってかみ砕かれ、口中の熱によって融け、男性を官能的な甘みで包み込む。気をつけなければ恋の病で虫歯になってしまうかもしれない……というような単純な句ではないだろう。掲句には固有名詞の力がある。  日本の季語であるから、「バレンタインの日」という季語も日本の文化のありように従えばいいのだろうか。古代、ローマ皇帝の禁令に背いて密かに兵士た

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム005

甘やかす孫と昭和の扇風機杏乃みずな 「2024年版夏井いつきの365日季語手帖」特選より  シンプルに因数分解されている句だ。「甘やかす」は「孫」と「昭和の扇風機」の双方に掛かる。孫を甘やかすのは普通だが、昭和の扇風機を酷使もせず、捨てもせず、眠らせもせず、甘やかしてしまう作者の年の功。例えば首振り機能が壊れてガタガタ鳴っていたら、やさしく撫でて今日はちょっとご機嫌斜めみたいだから休ませてあげましょうかね、といったところだろうか。分解して油でも差してやるかもしれない。  令

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム004

風花や相手のいない糸でんわ平田素子 第二十五回横光利一俳句大会 一般の部 野中亮介選者賞より  相手がいなくなったのではない、最初からいないのだ。糸電話のぴんと張った糸が伸びる先は、風花の支配する、明るく華やかで、茫漠とした空間である。なにかを喪失したわけではないが、虚無でもないことが却ってさみしい。相手を切望しないことがさみしい。  この人は子供だろうか、大人だろうか。一人の糸電話はちょっとした手なぐさみか、ある種の儀式のようなもので、相手など必要ないのだろうか。望むと望

書評 句集『地球酔』土井探花

はじめに 健康的な朝顔の表紙をめくり、淡い萌黄色の遊び紙とシックな扉、橋本喜夫氏の序文を過ぎると、目次には「退化」「賞味期限」「腐臭」など暗い言葉が並んでいる。歴史的仮名遣いを生かす癖のあるフォントで記された299句からは、作者の宇宙まで広がる想像力、政治家や哲学者、画家などの歴史的人物に対する知見、育てている朝顔や鈴虫への想いが伝わってくる。アニメやゲームなどサブカルチャーへの愛着も隠さない。  本書において生きづらさを詠んだ句は無視できないが、前述の句材とも不可分に絡み合

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム003

月白し膝に手を置く国家たち木之下みゆき 第60回現代俳句全国大会特別選者特選より  膝に手を置いているということは、面接か、式典か、はたまた誰かの葬儀だろうか。「国家」が集まっている場ならば、環境問題・飢餓・人道危機・戦争など、世界の行く末を左右する議題が活発に議論される国際的な議場が相応しいだろう。今、国家たちはじゃエスチャーを交えて話しているのでもなければ、身を乗り出してもおらず、考え込んで腕を組んでいるわけでもない。ただ膝に手を置いているという。その様子を、月に白白と

俳句の鑑賞文を考へる

 こんにちは。彼方ひらくです。ヘッダーの写真はマヌルネコですが、特に意味はありません。考えごとしてるような風で多分何も考えてないのが気に入っているだけです。 はじめに 俳句をやっている皆さん、鑑賞文を書いたことがありますか? そもそも鑑賞文って一体なんなんでしょうね。句会の選評と何がちがうんでしょう。有名な鑑賞文ってあるんでしょうか。  僕はこの1年で40本くらいの鑑賞文を書きました。この記事では今よりもっと初心者だった頃の自分に説明するつもりで、鑑賞文の書き方について考え

砥峰高原・立雲峡紀行(2023年10月)

吟行に誘われる 俳句をやっていない人でも「吟行」という言葉を一度は耳にしたことがあると思う。俳句をやっているという理由だけで全国から老若男女がわらわら集まって、観光名所などを巡ったあと、そこで見た景色や体験から作品を作って、作者を伏せて評価し、あーだこーだ意見交換をし、解散するというイベントである。  普通は市内くらいの範囲で、10~20人くらいが昼過ぎに集まって3~4時間で解散するくらいの規模のものが多いのだが、俳句結社が開催するものになると、バスを借り切って団体で泊まりが

北アルプス紀行(2023年8月)

死ぬまでに雪渓が見たい 自分で言うのもなんだが、運動が苦手だし嫌いだ。学生時代は運動会とか体育祭はただの生き地獄だったし、放課後は文化系の部室で息を潜めていた。そんな僕が北アルプスへ登山に行ったきっかけは、雪渓が見たかったからだ。  「雪渓」は僕が趣味にしている俳句の季語にもなっており、俳句を通して2018年にその存在を知った。雪の字が入っているが、季節は冬ではなく夏である。山の谷間を埋めた雪が、標高が高く、気温が低いために融けずに夏まで残っているのだ。  雪渓にこれほど惹か

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム002

ソフトクリーム舐むれば個人的な崖西生ゆかり  二十一世紀に入って日本人の主語は小さくなった。団塊から少子化へ、高度経済成長期から失われた20年へ、SNSの流行とか価値観の多様化とか、理由を挙げれば枚挙にいとまはないだろう。いつしか周囲に気を遣った「個人的には」という言い回しが一般化した。  対して俳句では、以前から「私」とか「吾」とか書いて自己主張することは嫌われがちで、なんとかこの言葉を使わずに表現するという配慮が要求されがちである。  掲句は一物仕立ての顔をしながら、こ

杉山久子の俳句を読む 23年08月号

香水や仏蘭西映画わかるふり(句集『泉』所収)  句の中の香水をつけているのが作者なのか、他の人なのかで読みが分かれる句だ。  他の人の香水の場合、たとえば偶然フランス映画の話をする人たちの中に混ざってしまい、人がつけている香水の香りに気持ちがふわふわして、「わかるふり」をしてごまかしたと読める。  作者が香水をつけているなら、普段は見ないフランス映画を一人で見てみたところ全く理解できず、誰にともなく分かるふりをしてみた、と読んだ方が面白い。いずれにせよ愛すべき作者である。

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム001

巨大蛸(クラーケン)の白夜を歩く針のごと小田島渚 第39回兜太現代俳句新人賞受賞作「真円の虹」より  天地創造の頃より存在するという得体の知れない怪物が、ノルウェーの白夜に身を晒している。大きさは一つの島ほどもあると云う。何本あるか知れない足と触腕を、針のように鋭く、街に森に氷原に突き立てて歩いている。本来ならば、この偉躯を人が目にすることはないのだが、日の沈まぬ時計の壊れた世界ならばむべなるかな。  いやひょっとすると、クラーケンは異空間にある時計盤の上を歩いているのでは

杉山久子の俳句を読む 23年07月号

人の恋かたしろぐさのつめたさに(句集『鳥と歩く』所収)  「人の恋」という、突き放した言葉が目に飛び込んでくる。友の恋でも肉親の恋でもない。「他人の恋」という意味だろう。しかし、つづく中七下五の平仮名はやさしい。さほど親しくはない誰かの恋愛に思うところがあって、作者にできることはないのかもしれない。  「片白草」という植物の季語は「半夏生(はんげしょう)」の傍題であるが、葉が半分白くなるために半化粧と掛けた名前でもあるから、恋する人は女性のように思える。ドクダミ科なので十薬

杉山久子の俳句を読む 23年06月号②

珈琲におぼるゝ蟻の光かな(句集『泉』所収)  蟻はさまざまな俳句で溺れてきた。まず、これまで詠まれてきた溺れっぷりをいくつか見ていきたい。 ほとけの水に溺るゝ蟻を出してやりぬ 林原耒井  おそらく墓石の手前にある窪みの水受けに溜まった水だろう。他の水ならば救わなかったのかもしれないが、正に仏心か。 閼伽桶に溺るゝ蟻を吾れ見たり 森田峠  「閼伽桶」は仏に供える水の器である。殺生を禁じる仏教の観念から見ると、仏のために蟻が溺れているような矛盾を錯覚する。 打水や溺るる蟻