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言語との情事――ナボコフ『ロリータ』

作家ウラジーミル・ナボコフは、自身の小説『ロリータ』を、「私と『英語という言語』との情事の記録」であったと振り返りました。 ここでは、そのナボコフの一節をこねくりまわすことで、はじめて『ロリータ』を読んだ(そして読み切れなかった)感想の代わりとしたいと思います。 「情事」というワードが意味するものが、主導権を握り握られ、支配することが服従することであり、服従が支配であるようなシーソーゲームであるなら、「言語との情事」という表現は『ロリータ』にぴったりです。 語り手ハンバート

ナボコフ『ロリータ』

unigakikoeruです。かなめくんと信濃さんがやってるToughという読書会メンバーに入れてもらいました。いぇい。 さて、今回はナボコフの『ロリータ』です。これは僕が提案しました。なんで『ロリータ』なのかを書いてたら長つまらない文章ができたので、一番最後に置いておきます。これも後述するんですが、今回は読解というよりは、プリミティブな感想を書いていこうかなと思います。 ①語り手の自己主張が強い 『ロリータ』はハンバート・ハンバートという男の手記の体裁をとっています。

『ロリータ』

僕たちはナボコフの『ロリータ』を次に読む本として選んだ。 ナボコフは1899年生まれ、1977年に亡くなった。 帝政ロシアで生まれて、ヨーロッパ、アメリカと亡命した作家。昆虫に詳しい。チェス・プロブレム作家。 貴族の家に生まれたナボコフは、20歳ごろロシア革命で西欧へ亡命。イギリスやドイツのベルリンで過ごしていた。 父親の暗殺からフランスのパリへ。このころから詩や小説を書いていた。その後最終的に行き着いたアメリカで1945年帰化。1955年『ロリータ』を書いた。 (以上評伝

一般名詞としての哲学ーー廣松渉『新哲学入門』

廣松渉『新哲学入門』(岩波新書、1988)の感想です。 一般名詞としての哲学 新鮮だったのが、『新哲学入門』は固有名詞がほとんど出てこない哲学書、いわば「一般名詞としての哲学」の本だったことです。 普段読み慣れている思想の本は、カントのあれがこうとか、ハイデガーのこの概念がこう、とか、とにかく固有名がたくさん出てきます。國分功一朗の『中動態の世界』にしても、東浩紀の『訂正可能性の哲学』にしても、帯にはアーレントやらルソーやら、言及される哲学者の名前が列挙されるのが常です。

廣松渉の存在について

我々は廣松渉「新哲学入門」を読んだ。 新書。読みやすいかと思って手に取ってみたが、完全に廣松の文章だった。現代語とは言いづらいと個人的には思う。漢文や欧州語を扱ったであろう知識人の独特の言語に圧倒させられる。 緒論、つまりはじめの章を読んで、まずヒュポダイムという用語についてが気になった。廣松においてヒュポダイムとは「不協和を明識しない信念や知識の秩序態、そこでの基幹的発想の枠組み」(p.5)を指す。私なりに解釈すれば、当たり前の物事、自明の論理といったところか。 哲学と

欲望の結び目をほどく――ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』

今回の読書範囲は、ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』の後半でした。 この本を読むまで、精神分析は何を目指して行われるのか、について考えたことがありませんでした。分析のプロセスについて、自分なりにまとめてみます。 ラカンは、分析の過程を「欲望の結び目をほどくこと」と表しています。 欲望の結び目とは、本来色々なものに向かって動き続けるはずの欲望が「固まっている」状態を指します。これをほどいて、欲望本来の流動性を取り戻すのが分析の目標です。 といっても、実際に欲望がドロド

倒錯的な現代社会

はじめに信濃さん、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 この「はじめに」を書いているのが、2024年1月2日、20時ちょうどです。 この前から僕はこの文章を準備していて、もう少し直そうかなとぼんやり考えていたのですが、どうしても年明けから不幸が続いている気がして、信濃さんには本当に悪いのですが、どうにも文章を大きく編集したり、新たな部分を加えたりするやる気が起きませんでした。 自分の予定を考えても、とりあえずざっと書き終えて公開してしまったほう

まずはどこが連帯のベースラインなのかを考えよう

こんにちは。 お疲れ様です。 元気ですか?こちらは・・・来月からの仕事がなさそうで、どうしよーって焦ってます・・・😂 まあお休みを少々取ってもいいかなとは思ってはいます。正直今は仕事らしい仕事があんまりできてない感触があって。The・仕事をやらせてもらえないなら、やんなくてもいいかなー、だったら勉強したいな、みたいな。そんなふうに思ってたり、思ってなかったり。フラフラしてます。 僕らのToughの活動もフラフラしているし、どうすんべなーって思ってます。何か軸がほしい今日この

ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』を読んで

精神分析は分析主体と分析家との言葉のやり取りを通して行われます。「分析主体」とは精神分析を受ける患者を指し、「分析家」は治療者を指します。 分析主体が自分の考えていることや苦しんでいることについて話し、分析家はその言葉のなかから、分析主体が直面している問題を読み取ります。 それでは、「何を言わんとしたか」と「実際に言ったこと」の違いとは何でしょうか。 まず「言わんとしたこと」です。当然ですが、患者は言葉に自分なりの意味を持たせて話します。これについてラカンは、「意味は想像的

健康概念の拡張としての精神分析

はじめに今回僕らはブルース・フィンクの『ラカン派精神分析入門』を読んでいる。 だけど、僕はそれにもまして、そもそも「健康」ってなんだっけと思うようになってしまった。(いきなりでごめん) 僕は本当に不用意な人間で、とにかく色々と想像する。『ラカン派精神分析入門』の4ページ目に とあった。この部分を読んで、あれ、そもそも「症状」ってなんだろうかと思う。というか、満足を症状が与えているなら、それでいいじゃないかと思った。それが健康ってことではないの? 健康とは?僕は健康につい

資本のしくみ――佐々木隆治『マルクス 資本論』後半

佐々木隆治『マルクス 資本論』の後半部分を読みました。 改めて「資本ってなんだ?」というところをまとめておこうと思います。 「自己増殖する価値」という不思議 資本とはなにか。私はなんとなく「貨幣(お金)の集まり」だと思っていました。マルクスは「自己増殖する価値」と規定しています。 価値が自己増殖する、とはどういうことでしょうか。 商品と貨幣をただ交換しても、それは資本を生み出すことにはなりません。仮に純粋な商品交換が成立するなら、一万円で本を買ったとして、それを一万円で売

働く価値たる幻想性

私には毎日の違和感があります。 私は平日に労働しております。時に会社におもむき、日々会社に向き合って何らかの資料やコードに向き合う日々です。 私が契約している会社には服装に関するルールがあります。私はこれについておかしいと感じています。私は技術者で、他社と交渉したり商品を売る役割の営業ではありません。 もちろん身なりを汚くしてよいというわけではないですし、個性を出しまくるべきだというわけでもないです。ではどういう服装にNGが出たか。チェック柄でした。 ・・・たかだかチェック

価値のはなしーー佐々木隆治『マルクス 資本論』前半を読んで

今回の課題本は、佐々木隆治『マルクス 資本論』(角川選書)の前半部分でした。 マルクスの『資本論』について、章立てに則りながら要点をかいつまんでいくスタイルの本です。 思いついたことを思いついた順に、箇条書きで並べていきます。 ・資本論は、資本主義の仕組みを、根っこの部分から順番に解き明かしていくという筋立てです。初めの部分を要約してみたいと思います。 ・資本論は「商品とは何か」という問題から始まります。なぜなら、資本主義社会とは「あらゆる物が商品になった社会」だからです

マルクス『資本論』の解説書(半分)や関連書籍を読んで

はじめにカール・マルクス。ウィキペディア曰く、1818年プロイセン生まれ、1883年没。1845年に無国籍者となってイギリスへ亡命。言論活動をしながらヨーロッパを家族で転々と渡り歩き、生活した苦難の人。 僕らは佐々木隆治の『マルクス「資本論」』解説書を読もうという話になりました。それで僕ももちろん読んでいたのですが、9月に入る前にどうしてもこれだけじゃ足りないなと思って別の本を読み始めてしまいました。なんだか佐々木さんの説明は、精読すぎて頭の働かない僕には解読されてゆくマル