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良く分からないから

人間は、死んでも生きる。この大事な真理をどう捉えているか。自分の大切な人が亡くなり(水子も同様)、この世と離別したとしても、“生きている”“生き続けている”ことを真に押して知るべし。であるならば、世間一般の真似事のいわゆる儀式を、並みに執り行ったから、後は「ちゃんと成仏しただろうから大丈夫」、もう終わりということにはならぬ。ましてや、「良く分からないから」と、供養事を金を掛けて、豪華なお供えをして他に任せたところで、果たしてその大切な人が、この世での事態を本当に理解し、あの世への修行に旅立っているのかどうか…良しと出来るのか。そのことは、己がどれだけ真剣に愛情をもって送り出したか、送り出した後も、その人を思い、心から感謝をし、自分の言葉で語り掛けているかが大事なのである。現代人は、世間体や形などばかり気にして、肝心の心が入っていない。そのことは、故人が良く分かっている。分かっていないのは、この世で生きる人間たち。その実相、真実を理解し、大切な人が今も生きていることを察したならば、その供養の仕方や語り掛けも変わってくるはず。加えるならば、己の今の生き様そのものが、先祖や故人への最大の供養になることも知っておくがいい。



そのことを肝に銘じ、今の自分自身の生き様を見つめ直し、その在り様が、故人や祖先への思いや、供養になることを悟り、日々精進します。


有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者