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これは本当に厄介だ。

“本当のこと”を知っているか?「ああ、知ってるよ!新聞やニュースで毎日本当のことを伝えてくれている。」「学校で教わることが本当のことでしょ!?教科書に書いてある。」「え?本当のことって何?本当のことと思っていたことが本当でないことなんてあるの?」「大人はいつも本当の事だというけれど、実際にそれって本当なのだろうか。何を根拠にしてそう言っているのだろうか。自分の目で本当に見たの?自分で実際にやってみたの?誰かが言ったことを鵜呑みにしているだけじゃないの?」「ネットにあることは嘘も混ざっているかもね。でも本に書いてあることは流石に本当のことだと思う。そうだよね!?え?違うの?嘘でしょ?そんなことってあるの?」…このような問答は、まだ真実の探求の道への接続の可能性が残されている。しかし、この世の大半の人間は、本当のことなど、どうでも良いと思っている。なぜならば“忙しい”。“忙”は心を亡くしている状態。自分自身が心無い生き方を続けていることすらも感じていない。更にタチが悪いのは、「私は何でも知っている」と分かった気になって威張っている者。知りもしないことをあたかも知っているようにして、自分の感性に合わないと誹謗中傷する者。これは本当に厄介だ。自分で一から何一つ作れない人間が何をほざくか。実相では、愚かさの丸出しとして見られている。己、物事の上辺だけを見ていないか。見ているようで、本当に隠されたことは見過ごしていないか。あれもこれも、それもあれもで、一つのことにすら集中できず、全てのことにダラダラと常に何かをしながら何かをしている。「真実の探求なんてしている暇ないよ。仕事のことで頭が一杯なんだ。邪魔をしないでほしい。」「そんな効率の悪いことばかりやって、そんなんじゃ世の中のスピードについていけなくなって置いていかれるよ。これからはいかにマルチタスクをこなせるかじゃないの?」「生産性の低い人間は、干される社会なんだよ。だから、こっちも余計なことはしないことにしている。そうしないと本当に干されてしまう。こっちは生きていくのに必死なんだよ!」…。自分には関係の無いことが、もし本当のことだとしたらどうするのか。死に際に「あなたが見て信じてきた世界は全て嘘でした」と言われたらどうするか。己の人生は何のためにあるのか。真実、本当のことは、“部分だけ”を、“見えているものだけ”をぼんやりと見ていては、掴めない。従って、物事の“全体を”、そしてその“見えないもの”を集中し心を研ぎ澄まして視る。これは“忙しく”ては無理。本当のことを知るべし。真実を知れば知る程に、超大宇宙が調和の方向に進んでいく。そうでないものばかりが罷り通れば、超大宇宙は崩壊の方向に進んでいく。これが道理。


そのことを肝に銘じ、心を清め整え、澄んだ目で、物事の真実を探求し捉え、一つひとつ自分のものにしていきます。


有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者