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脱・社会にメンヘラしてた私

しばらく発信や活動をしない日々が続きました。理由としては、この数年での心境の変化があります。うまく伝えられないかもしれませんが、「今ここに記す」ことを試みます。気になる方は読んでみてください。

コロナ禍とSNS

「かんもくの声」として発信・活動を始めたのは2014年頃ですが、SNS疲れは常にありました。

思うままにつぶやくこと、もっともらしい発信をすること、日常の何気ない投稿、リプライすること。どれも苦手でした。

性に合わないことを続ける疲弊の向こう側に、「命綱としてのSNS」でつながり合う場面緘黙の人たちの幻影がありました。この幻影こそが、「救われたから救いたい」と思っていた私の問題点でしょう。

それとは別に。コロナ禍をきっかけに、以前にも増してSNSの危うさを実感するようになりました。一定の雰囲気が瞬間的に高まるさま、反射的で感情的な言葉の応酬、価値観の違いによる異常な相容れなさ、ネットスラングによる軽い調子の断罪、弱者対象の搾取と見分けがつかない内輪ビジネス……ここは、まともな発信をするのにはものすごく足場が悪いのではと、そう思わずにいられませんでした。

長いことSNSを利用してきた私自身、無意識に上から目線にもなっていましたし、気軽に人をジャッジするような気持ちにもなっていました。極度にネガティブな発言や、常にネガティブなジャッジを投稿し続けるアカウントを見かけると動揺し避けることも増えました。もちろん、苦しいことを吐き出す場所は必要ですし、以前の私もそのようにSNSを使っていました。でも、現在の私の健康のためには、SNSとの距離が必要、そして、無責任で軽率な発言をしないことは大前提として、実際に面と向かって言えないことはSNSでも言わないことにする。そう心に決めました。

頼まれてもいないのに自らの内をさらけ出して、承認や賛同を得ようとしていたのではないか?その欲求に抗えていたか?その際、反論に先回りして、そういうつもりはないが、と主張したが。そういった葛藤を生む言動が日常なのは、よいことなのだろうか。真正直が美徳ではないと思うし、私的なことを切り売りしてはいません。けれど、私の当事者研究としての正直さは自己顕示的な露悪性と接近しがちであったし、誹謗中傷がこわくて自分を下げて書きがち(もともと自己評価が低いし不安症でもある)でもありました。そういった態度はネット空間の影響を受けていた気がします。

SNSによって、正しいことを正しいと言うことの大切さが垣間見えたり、弱い立場からの告発が届くべきところに届いたりといった様子には勇気づけられもしましたし、コロナ禍ではそのような経過も見ていました。そういった希望を信じて発信を続けてきたところもあります。

一方、コロナ禍の実生活では、対話、共感、絆、多様性を尊重し合いながらの共存といった現実の複雑さ・困難さに出くわし、打ちのめされました。自分が信じてきた対話可能性も、自分が使ってきた言葉たちも、現実においてはあまりにも無益で空疎でした。それを肌で痛感させられたコロナ禍だったと思います。身を守るためには本音はどんどん言えなくなります。正しさや善悪も人の数ほどあります。まず、お互いの立ち位置での前提を共有できない限り、対話など可能ではありませんでした。

結果として、コロナ禍がもたらした嵐のような状況は、疲弊した私に問いかけました。あなたはどこに立っているの?と。

承認欲求のための活動か否か

そもそもの活動の目的は「場面緘黙を知ってもらうこと」「(私の場合に限りますが、)場面緘黙であるとはどういう状態かを伝えること」「当事者・経験者同士の交流や居場所づくり」でした。

自分なりのペースとやり方で、日常生活を守ること(当事者にとっては日常生活を送ること自体が闘いである)を最優先にし、活動していました。

私は承認欲求のための活動ではないことを最初から強調し、それならば自己満足の方が何倍もマシであるという考えで発信してきました。場面緘黙=症状として自己を表に現すことができないため、「自己表現」「自分らしさ」のような側面も大切にして、でも自己中心的にならないように、価値観の押し付けにならないように、と気を付けてもいました。同時に、人の役に立つためではなく自分がやりたいからやる、結果的に誰かの役に立っていたらよいとも言っていました。

活動を始めた当初からあったのは、「人の役に立つため」という自分の言動への懐疑と、「自己承認欲求のために活動をしかねない」という自身への危惧だったのだと思います。「かんもくの声」の発信には、場面緘黙を含む私を理解されたくて、自分語りしたくて、それが人の役に立つならば肯定される、それならば相手の自分語りをも引き出したい、という感じがありました。当事者同士が深い部分でわかり合うことはピアとして必要ですが、一方的な発信に常に共感でつながり合う危うさはどこかカルトじみて共依存的です。

SNSと同じ、エコーチェンバー的な側面もあります。否定や批判を排除してしまう(建設的なものもそうでないものも)閉鎖性・排他性にも自分なりの警戒がありました。

結果的には、私が承認欲求のために活動をしていたかどうかは証明できませんが、その部分は確かにあったと思います。そして、決してそのためだけの活動ではなかったということもまた言えます。とりあえず、いいね!の数を気にしないためにも、発信を控え、SNSと距離を置きました。発信・活動・そのためのツールであるSNSがなくても私の生活は成り立つのだと、まずは自分にそう示したかったのです。常につきまとっていた「私は場面緘黙(の活動)に依存してるのではないか?」という疑いは、今は晴れています。この数年で、私は場面緘黙の活動がなくても大丈夫と言えるようになりました。それでも場面緘黙に関わるかどうかは、これから私がどの程度自己覚知できていくかにもよるでしょうから、まだほんの少し残っている関わりのなかで自ずと決まっていくのだと思います。場面緘黙界隈から、また別の場所に身を置くことも、私にとってはよりよいこととして必要になるかもしれません。

活動したことで「こんな自分でも社会と関わることができる。社会での居場所を自力で見つけ出しつくり出すことができる」そういう自信を得ました。社会的な経験値も積ませてもらいました。でもそれは結果論で、もともとの目的からはズレています。振り返ると、私は本質的に人の役に立てるような段階には、到底いなかったのではないかと思います。未だに場面緘黙当事者の手記を読むと涙が止まらなくなってしまい、冷静さを欠いてしまうほどなのです。自己覚知が足りません。傷やトラウマも癒えていません。今振り返ると、基本的に自分のための活動だったのだと思います。それでも、もともとの目的を追いかけたその時の気持ちにも、嘘はありませんでした。ほんの少しでも目的を達成できたのは、応援してくださった人たちのおかげです。心より感謝しています。

「かんもくの声」には個人的な感情も大いに混ざってしまいましたが、「かんもくフォーラム」の方では割とフラットに社会への発信ができた気がしています。ひとりきりの活動ではないことのメリットを感じています。

活動への個人的動機や背景は、本来はここまで書く必要はないのかもしれません。多くの当事者本がそうであるように、私が体験したことがもしも誰かの役に立つことがあるのなら、というシンプルな動機もまた実際にあった気持ちです。

承認を求めては拒む人

以下は日常生活で実感することなのですが、私の未成熟は対人関係において共依存的?な構図を生むことが多いのです。それゆえ数年前から、人と、一対一で親密になりすぎることがないよう心がけています。

また、すぐに被害者レイヤーにとらわれてしまいがちです。怒りのままに被害者ポジションから自分の正当性を訴え続けるというスタンスを取りがちなのです。こう書くと激しい感じがしますが、普段は穏やかで平和主義です。トリガーになるのも、他者や社会に対するまっとうな怒り、つまり誰が見てもおかしなこと・怒るべきことが多いです。弱者の存在を見据えない社会への憤りや怒りは大切です(が、社会的であることを媒介にして、誰が見ても否定しようのない点を確認しながらしか進めないならば、それは私個人の不安症と劣等感の問題なのかもしれません)。私の深い部分に、〈自分=被害者〉の構造を引き起こしやすい要因がある。そのパターンを繰り返していることに、ようやくはっきりと気が付き始めました。


社会から黙殺されている場面緘黙のことを、当事者が知ってほしいと叫ぶ。そのこと自体は批判のしようがありませんから、共感が湧き起こるのもある種当然です。でもその共感を養分にするのは、場面緘黙当事者という大きな主語を隠れ蓑にした自分満たしです(深い自戒)。自省として、たまたま通りかかった人に一方的に理解を求めるような啓発のあり方を疑問に思ってきましたが、「こちらこそ場面緘黙を知ってなくてごめんね」と思わせるような、人の罪悪感につけ込んでいるような居心地の悪さもまた、私にはあったのです。本来、場面緘黙当事者は社会の被害者なのではなく、まず社会から見つけてもらえていないことが原因で、何かしらを被っていることが多いのだと思います。

そして、場面緘黙を利用しないことを何より気を付けていたつもりでしたが、その警戒心こそが最初から「やりかねない」と危惧していた証だったのです。私の「救われたから救いたい」は、「救われたいから救いたい」でした。「場面緘黙のために」は純粋な気持ちでしたが、突き進むほどに「自己実現や承認欲求のために場面緘黙を利用すること」との境界は曖昧になっていきました。「場面緘黙を知ってもらうため」と「自分を理解してもらうため」が結果的に表裏一体になってしまい、「私は何の目的で語っているのか?(場面緘黙なのに場面緘黙のことを?)本当の目的は何なのか?」と自分を信じられなくもなりました。そんなつもりは全くなかったけれど、本当にごめんなさい(メンヘラのセリフで本当にごめんなさい)。

人間関係においても、自ら承認を求めた相手だというのに、うまく承認を受け取れなくて、それに値する自分だと信じられなくて、不当な怒りをぶつけてしまう。そうして相手の罪悪感につけ込み、謝らせようとする、そういうやり方でしか相手の懐に入れない。いつの間にか私は、そんなやり方を身に付けてしまったようでした。拗れの根幹は「こんな私がただ私としてこの世に存在していてよいのだろうか?」というただ一点でした。その一点がどうしても信じられないために、ずーっと社会・他者に対してメンヘラし続けていたのです。生き延びるため必死で適応しようとした誤学習が身に染みて、幸せを遠ざける。30代後半にもなって、そういうことが確証を持てるほどに分かってきました。当然こんな人間でい続けたくはないです。私の被害者スタンスはつまり加害性、依存癖は自他への暴力なので、降りなければいけない。そのことを自覚しつつ、今後は以下のことをやっていきたいと思います。


自己覚知と成熟のために

●ASDや不安障害、複雑性PTSDなど場面緘黙以外の症状について診断を求める、受診や治療、カウンセリングなどを受ける
(未診断の元当事者として啓発してきてしまった責任があるのではないかと考えています。27歳まで場面緘黙を知らなかったので仕方ない面があるとはいえ、場面緘黙だけの当事者性を押し出してきたことが果たして正しかったのだろうかと振り返ることがあります。結果的に自己流で話せるようになりましたが、それは必ずしもいいことでは全然ないですし、場面緘黙以外の困り事も私にはずっとあったので)。

●社会的に必要なことを発信する際に、あるいは人との関係性を築く際に、個人的感情に起因した欲求を切り離せる知性と胆力を身に付ける。

●無理しない。目の前の毎日をなるべく楽しく穏やかに過ごす。家族や友人を大切にする。人に親切に生きるけれども、距離を詰め過ぎない。他者に大きく貢献できるという過信をしない。

●「かんもく人→社会人→人間」を目指す。詳しくは以下に記す。

「はやく人間になりたい!」

私が社会に居ていいのかどうか?いつも他者や集団にジャッジされている感覚がある。しかし、社会に存在していてはいけない命などないのは明白である。

私は、社会での存在を承認されていない感覚を持つ「かんもく人」から、社会での存在を承認されている感覚を持つ「社会人」を目指そうと思う。ここで言う「社会人」とは、会社などの社会的組織に属している、収入を得られる能力や生産性がある、といった条件的なことではない。普段どこにいても何をしていても、「私はここに居てはいけない人間なのではないか?」といった疑いが微塵も湧いてこない人になることを指す。そのためには社会での存在意義を見出せる活動が必要と感じる。現時点の私個人の内面を掘り下げつつ生活状況も鑑みると、「働くこと」が大事な気がする。だから私はまずがんばって「働く」。できれば、それ以外のやりたいことも無理なくやっていく。それを続ける。

そして、その次の段階として、やっと「人間」になれる。ここでいう「人間」は、社会に存在することに対し、他者からの承認などもともと必要がないという感覚を持つ者である。私は生きているだけで社会にいるのだし、ただいるだけで100%OK。存在意義や役立つという理由などもなくて大丈夫。もともと誰も自分の存在の有無をジャッジなどできるはずがないと、当たり前にそう思えている状態だ。「何があっても何がなくても私はここに居ていい。」

直感的推測だが、この過程で私は私の望む「健全」に近付いていける気がする(言い換えると、社会適応としての「擬態」が板に着くようにしていくこととも言えるが、それはそれで大事な気がする。自分が「擬態してる意識」をどんどん薄れさせていくことができれば、それは自分にとってよいことだと思う)。

大人になって話せるようになっても、「社会で生きること」がネックになり続けている。そう思うと、場面緘黙は社会不安障害や社交不安障害に通ずるのだとあらためて実感する。

場面緘黙関連の活動をすることは「かんもく人」から「社会人」への道中にあった。次は「社会人」から「人間」へのタームに突入できたらいい。

平らな地面を歩く

死ぬ前に、なるべく他者と、そして社会と、フラットに関われるような自分になりたい。これまで出会ってきた他者はイコールこの世の全てでも社会の全てでもない。社会は私が存在してもいいか否かをジャッジなどしていない。そう心から信じられる日々を生きてみたい。子どもの頃の私に、話せない私でも存在してよかったのだと言ってあげたい。

宇多田ヒカルさんの曲に、母さんどうして?自分で育ててきたものを自分で壊さないといけないの?というような歌詞があったように思う。

「被害者ポジションから断固として動こうとしない承認欲求強メサイアコンプレックスおばさん」

を壊さないと、今は先に進めないみたいです。笑

(初めて当事者研究で言うところの自己病名、しっくりくるのが付けれた気がする!!)

いくら「私はこの世に存在してていいって言ってよ!」と叫び続けても、自分が「この世に存在してていい」と信じられなかったら、私のメンヘラ(=相手に一方的な言いがかりをつけては自分を承認させようとして、でもしてもらった承認を結局自分が信じられなくて突っぱねて、そんな風に振り回すような言動……)は永遠に終わらないですよね。

いつでも見えない不安に怯え、薄氷を踏むように生活して、ふとしたことで不安に人生を乗っ取られかけて……気が付くと閉じこもってしまうから。動け!と一千万回くらい唱えてやっと動ける。それくらい腰が重い私だけど。

自分にも他者にも興味関心を持ちすぎないのが「フラットに関わる」なのだとしたら、夢見る「健全な日々」は想像の何倍も退屈で空虚なのかもしれないけれど。今はそれがいいと思える。




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