見出し画像

mixi的SNSが衰退して絶対に復活しない理由についてのお話〜SNSにおけるコミュニティと利権について

お世話になっておりますKANOENOです。

世のSNS論議を観察していると、たまぁに「mixiの復活が望まれる」とか「mixi的なサービスが欲しい」「そろそろmixiがもどってくるんじゃないか」みたいな論調をみかけるんですが、それって結構無理な話だと思ってます。

ていうかこの手のmixi復権話って、一般人じゃなくてIT系のサービス関係者からもたまにでてきたりするんですけど、ちょっとどうかなーなどと聞いていていつも思っています。

実はmixi的サービスが衰退する決定的な理由は、とある機能がメインになっちゃったせいだったりするんですよね。その機能を有するSNSはわりと廃れるようになっています。

今回、そのあたりをmixiの話とセットでいくつか解説したいと思います。

ヘッドラインは以下の通りです。


1.mixi的SNSが廃れる決定的な理由

まず1つ目。mixi的SNSが絶対に廃れる理由なんですが、これを説明する前にmixi的SNSを定義を勝手にしたいと思います。

mixiっていろんな特徴的機能ありますよね。足跡だったり、紹介制だったり(なくなったけど)、コミュニティだったり、プロフィール要素だったり。というかインターネット黎明期に流行ったSNSってだいたい似たようなシステムを持っていましたよね。

僕はこの中でmixi的SNSの特徴的な要素としてあげるものは「コミュニティ要素」だと思っています。

当時mixiはたしか、紹介制でいろんな知り合いと繋がった後で、コミュニティを軸にして盛り上がっていました。その盛り上がりは、ネット黎明期のアーリーアダプターの原体験として心に残っているものです。

というか、mixi復権論を唱える人って、このコミュニティ軸のネット体験をもう一度体験したい懐古主義者だと思うんですよね。

彼らはその後流行った面白い人間が求められるツイッターにはうまく乗り換えられず、フェイスブックの公的すぎる空気感では自分をだせず悶々として楽しくない、と。友人で繋がれて、ある程度個人を出しつつゆるくやりとりができたコミュニティ要素のつよかったmixiが一番いいと思っているんじゃないかな、

別に、その人にとっての楽しかったSNSの原体験がmixiあることについて構わないとは思うんですけど、個人的には、実はその「ゆるいコミュニティ要素」っていうのが、mixi衰退につながっていると思っています。

というか、コミュニティ要素の強いサービス、メインのサービスというのは間違いなく廃れやすい。

2.ネットにおけるコミュニティの問題点

コミュニティというのは、人間社会ではmixiにかぎらずいろんなところに発生しますよね。それ自体は人にとってとっても大事なものです。

旧2ちゃんにもあったしグリーにもあるし、もちろんフェイスブックやXにもyoutubeにもあるっちゃあります。一方でローカルなところにも、例えば会社はコミュニティだし、企業の組合だったり、土地の商工会だったり、大学のサークルだったりもそう。人間社会というのは様々なところにコミュニティ要素は存在しています。

ただこのコミュニティについて、ネットとリアルでは決定的に異なっている要素が存在している。

それは「ネットコミュニティは次世代への引き継ぎがされづらい」というもの。

インターネットコミュニティというのは、バーチャルな場所に存在しているので、その発生と維持はリアルコミュニティ以上に人に依存しています。

ネットコミュニティはある発案者が作ると、そこに賛同者があつまって、フォロワーが増えて規模が大きくなる。発案者が辞めると、ルールに従って次世代に引き継がれますが、だいたい2代目以降で衰退していく。その最も大きな理由は「消える人たちと同じだけの新規参加者がいない」から。

では、何故ネットコミュニティというのは新規参加者が少ないのか?

まあまあ大きなものの一つは、古参が作ったローカルコミュニティには新規参入者が入りづらいというあたりまえの話があります。これは古今東西ネットだろうがリアルだろうがどんなコミュニティでも絶対に発生するものですね。ジャンルにおける古参はうざい。古参のマウントやルールはめんどい。だから新人は入らない。

これ、リアル世界でも同じだって思われるかも知れません。ですがリアルコミュニティでは、なんのかんのと新規参入者ははいってきます。

何故か?

実はネットとリアルではこの参加モチベーションを左右する要素が異なっているのです。

それは「コミュニティから引き継げる利権があるかないか」と言う話です。

リアル社会のコミュニティというのは、そこに入ることでだいたい目に見えて社会的に役に立つ利権が手に入るんですね。

会社という経済コミュニティであれば、その金を稼ぐ経済システムが手に入ります。大学サークルだったら、備品、場所、人脈。地方の商工会なら人とのつながり、仕事。家族や同族なら、そのファミリーの土地が手に入る。なので、新規参加者は、そのコミュニティの利権のメリットのために、古参からのめんどくさーいマウントを我慢して参入してくるのです。あるいは別で作って、わざわざコミュニティ=人の集まりを買い取るパターンもある。

一方でネット上のコミュニティの利権、価値というのは、その当事者が得られるその瞬間の関係における楽しさがメインであり、それ以外の利権は存在しないことのほうが多い。新規参加者はそこに参加して我慢するメリットが無いんです。

だから、新規参入者はやって来ず、辞める古参と参入者とのバランスが崩れコミュニティは消え去るんです。ネットコミュニティは目に見えたモノが残らないので、時が過ぎれば劣化するのみなんですね。

これがmixi的コミュニティ型SNSが衰退した根本的な理由だと思っています。

ここから、じゃあSNSっていうのはどういうふうに流行り廃りが展開してい
くのか、という話をもうちょっと掘り下げてみたいと思います。

3.SNSの流行り廃りを左右する利権〜価値設定の自由度

SNSの流行り廃りというのは「ネットコミュニティ軸」で考えていった場合、その流行り廃りはある程度予想できるものとなっています。

つまりメインのサービスがコミュニティ要素であった場合、コミュニティ主催者が吹っ飛ぶと、衰退しやすい。ただし、リアルになぞらえて考えるなら、利権があるなら、新規参加者が入ってくるので、その限りではない、と。

じゃあネットにおける利権ってなんぞや?と。

簡単にいえばツイッターとかyoutubeとかは、マネタイズできるんでコミュニティに利権が発生するんですよね。金です。或いは金につながる要素。金に価値還元できる要素。それを引き継ぐこともできるし、新たに作り上げることも出来るSNS。

そういうSNSだから、新規参入者が入れ替われいで現れて、それによってサービス自体もなんだかんだと残るという、当たり前の話なんですね。

一方で、利権や付加価値の設定や換金がしづらいSNSというのは、消滅しやすい。あるいは古参に有利な利権設定がなされるSNSというのは滅びやすい。現実世界の様な社会にリンクする価値を生み出せないコミュニティは衰退する。

最近のサービスでいうと、Quoraやmondみたいなサービスは、あれ世代が一巡したら消滅しそう。一方でNoteは、個人軸でコミュニティ要素も強いですが、利権を作ってパイを奪い合うことができる&外部SNSのサブツールとしての機能があるのでギリ踏みとどまってるイメージ。フェイスブックは、企業アカウントOKで、コンテンツ軸の発信も可能ですが、全体としてはmixi的コミュニティSNSよりであり、個人では利権を作りづらいので、アカウント保持者が衰えて引退したらどんどん縮小しそう。

まあまあまあ、大きくはマネタイズ要素や関連する価値運用の自由度ですよね。それがコンセプトを破壊しない範囲で正しく運用できる事が、ネットではわかりやすい利権につながる。

そういうインセンティブ設定に自由度があるSNSがなんだかんだと残り続ける。継続するSNSは現実と同じように後発参入でも自由なインセンティブ/利権設定要素をもっているってことです。

mixi的コミュニティSNSは残念ながらそうではなかった。
引き継げる利権要素がないからコミュニティだけが衰退した。

4.じゃあmixi的SNSに、今挙げた足りないものを入れたらどうなるの、っと?

じゃあmixiも利権を自由に設定できるようにすりゃ復活するんじゃね?みたいな話を最後にちょっと考えてみましょうか。

mixiがツイッター的な、youtube的な利権要素を付与するとしたら、考えられるのは──

1.コミュニティ軸ではなくコンテンツ軸する
2.アフィやコマースや、パートナープログラムをOKにする
3.企業アカウント/公式アカウントをOKにする
4.或いは現実と同じ様に社会的に還元できる人脈や仕事といった価値を作る

1番は、なんかもうこれやってる時点でmixiじゃないですね。コミュニティ軸でなくなった場合なにがおきるのかというと、ゆるいコミュニティはなくなって「面白いやつが勝つ世紀末ヒャッハーなSNS」になるってことです。

2番はマネタイズ要素ですね。これがあることで、1番が促進されます。考えただけでもそんなmixiは地獄ですが。

で、3番。これはもうやってますけど、改めてmixi公式企業や有名人アカウントを見に行くかと言うと、利便性や発信力でいったら、Xやyoutubeのほうに行ってしまいそう。

4は、もう何だかちがうサービスになってますね。

なんにせよ、1、2、3、4の要素を改めて整理してリニューアルしたとしてそういうSNSに乗り換えて行くか?って話なんですけど、それは今更感がすごいですよね。ハードルが高い。この仮定の話自体、雑なリニューアル企画なのでしょうが無いのですけど。

いまさらTwitterからmastodonとかに乗り換えないくらいハードルが高い。


で、ここで合わせてもう一つサービスの流行り廃りについて言いたいことがあります。

SNSというのは、そういう諸々の利権やらコミュニティ要素やらマネタイズうんチャラ以上に、決定的に流行り廃りを左右するあるものの影響を受けるものだと、個人的に思っています。

それは「利用世代との出会いのタイミング」です。

あの時mixiが流行ったのは、ネット黎明期のアーリーアダプターたちとって目新しいものとしてmixiが目に入ったからなんですよね。ネットという新天地に、特定の世代が入って、ムーブメントを巻き起こして楽しんだ。あの特別な空気感とセットで存在したのがmixiというサービスでありコミュニティってことなんですよね。

いまのmixiやmixi的なものをリニューアルしても、それは絶対に取り戻せないものなんですよね。

また新たにmixi的なものを作って流行ったとしても、それはその世代のそのタイミングにおいての特別なものにはなりえますが、懐古厨には参入しづらいものとなります。たとえばTikTokにmixi世代が入るかと言うと、やっぱりyoutubeこそギリみますけど、Tiktokあんまり見ないですよね。

もしmixi的なプラットフォームが新たに流行ったとしても、それは機能は同じでも空気感は違うものになります。そこで特定世代が作り出す笑いも、言葉遣いも、ノリも異なっているものになるので。

それはつまりSNS的なものというのは、機能やサービスではなく、世代で区切られる部分もかなり大き行ってことだと思うのです。

ネットって、ずっとあるので、特定世代以降にとっては、サービスもずっと存在するように錯覚しがちですが、それらはその時々でリアルに存在するコミュニティや世代とセットになっていて、なにげに世代ごとに区切られていて、そしてけっこう目まぐるしく移り変わるものなんですよね。

世代がかわれば使われる軸となるSNSは変わるし、タイミングによってもSNS/サービスの流行り廃りは変化する。利権のありやなしやはあるにせよ、そのあたりは現実世界の大きなコミュニティと変わらないってことです。

だから懐古厨も新世代も、まあまあその時々あるものを見渡して、自分のライフステージとやりたいことにあわせた最適なSNSを選び、育てていくのが、結局利用者に求められる考え方なんだろうな、などと思うのです。


まとめです。

・コミュニティ軸のSNSは、リアルと違って構造上どうやっても新規入会と辞める人のバランスがとれず衰退する
・マネタイズ要素があり利権の引き継ぎができるSNSは、地味に残ることもある
・しかしSNSの流行り廃りは、上記2つ以上に世代の体験とリンクしており、失われた体験や空気感は、その時代だけの無二なものである

なんかいろいろ話がとっちらかりましたが、ネットサービスにおいてmixiやmixi的SNSが絶対に復活しない理由についてのお話でした。

以上、どうぞよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?