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「哲学の日」を記念して『こども倫理学』を一部無料公開!

今日(4月27日)は哲学の日。古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前470年または469~紀元前399年)は、今から2400年以上も前の人ですが、その考えは現在の倫理にも大きな影響を与えた人物です。

そのソクラテスが時の権力者から裁判で死刑宣告を受け、毒を飲んで亡くなった日であることから、4月27日は「哲学の日」とされたそうです。そんな哲学の日を記念して、『こども倫理学』の一部を無料公開いたします。

本書、『こども倫理学』は、「倫理学の基本」を子どものみならず、これまで「倫理」という言葉から目を背けがちだった大人にもわかりやすく解説した本です。倫理的問題は、算数の計算式のようには、答えをはっきり出せません。だからこそ、倫理的問題を考える行為は、ものごとの善し悪しについて、自分で考えて向き合う力を育みます。

この記事では、本書のP10-11「1億円をもらって、誰かを犠牲にしてもいい?」からP22-23「「倍返しだ!」はいいことなのだろうか?」や、P34-35「人にされてイヤなことはしない」やP40-41「「正義」について考えてみよう」の文章をまるごと掲載。

倫理学は、「本当によいこと」とは何なのか、そんなものはあるのか、あるとすればその基準は何なのか、などを考える学問です。

「倫理学」を通して世界を見ることは、世の中で起きているさまざまな問題を「どうしてそうなんだろう」と考えるための手助けになります。皆さんも自分自身で「本当によいこと」について考えること、倫理学をすることによって、ただの人生ではなく、よい人生への道を探してみましょう。

『こども倫理学 善悪について自分で考えられるようになる本』

書影はAmazonにリンクします

『こども倫理学 善悪について自分で考えられるようになる本』

監修:佐藤岳詩
著者:バウンド
イラスト:瀬川尚志
発売日 2022年3月23日
ISBN: 9784862556301
判型 A5 ページ数 128
定価 1,430円(税込)

P10-11 1億円をもらって、誰かを犠牲にしてもいい?

1億円をもらって、誰かを犠牲にしてもいい?

<「押したいけど、押されたくない」はいいの?>

目の前にボタンがあります。そのボタンを押せば、あなたは 1 億円がもらえます。その代わりに地球上の誰かが1人犠牲になります。その誰かは全世界から適当に選ばれます。地球上には約79億人もいますから、あなたとはまったく関係のない見ず知らずの人が選ばれる可能性が高いでしょう。

そうしてヨーロッパやアフリカで誰かが犠牲になっても、遠く離れた場所の出来事なので、その人が犠牲になってしまったことすらわからず、悲しい思いをせずに済むかもしれません。でも、どこかで誰かが必ず 1人が犠牲になってしまうのです。

ここで少し見方を変えてみましょう。そのボタンを世界のどこかの誰かが押したら、その押した人は大金を手に入れる代わりに、誰か1人が犠牲になります。もしかしたら、その1人はあなたかもしれません。あなたの大切な人かもしれません。誰かが大金を手に入れるために、あなたが犠牲になるかもしれないのです。

あなたがボタンを押したいと考えているなら、ほかの「押したい」と考える人に「やめて!」と言う資格はあるでしょうか。では、あなたはボタンを押しますか? 押しませんか? なぜ押そうと思ったのでしょうか、もしくは押さないと思ったのでしょうか。

P22-23 「倍返しだ!」はいいことなのだろうか?

「倍返しだ!」はいいことなのだろうか?

<ドラマと同じことをしてもいいのだろうか?>

数年前、『半沢直樹』というドラマが人気になりました。ドラマの主人公・半沢直樹は銀行員で、銀行で悪いことをする上司にいやがらせをされながらも、その不正を暴いて仕返しします。決まり文句、「やられたらやり返す。倍返しだ!」に聞き覚えがあるかもしれません。

このドラマが人気になったのは理由があります。会社に勤める多くの大人たちは、心の中では半沢直樹のように不正に立ち向かいたいにもかかわらず、不正をする上司がいても、不正を暴いたり、歯向かったりできないことが数多くあります。現実の会社では、上司に歯向かえば、会社を辞めさせられたり、給料を上げてもらえなくなったりするのです。

しかし、半沢直樹は正義を貫き、悪い上司にいやがらせをされながらも、最後には悪い上司の不正を暴いていきます。それができない大人たちにとっては気分がいいドラマだったのです。

いやがらせをされて倍返しをすれば、気分がスカッとするかもしれません。「悪いことをしたんだから、倍返しされるのは当たり前だ」という意見もあるでしょう。でも本当に倍返しをしたら、された人も同じようにやり返したくならないでしょうか。そうなれば仕返しのやり合いになりそうです。倍返しは本当にいい方法なのでしょうか。

P34-35 人にされてイヤなことはしない

人にされてイヤなことはしない

<今も昔も未来も変わらない大切な原則>

「人にされてイヤなことをしてはいけない!」と言われたことがある人は多いでしょう。倫理について考えると、いろいろと難しい問題も出てきますが、「人にされてイヤなことは他人にもしない」は、社会生活を送るうえで大切ですし、倫理の基本原則のひとつです。

クラスメイトをいじめたり、ウソをついたりしてはいけないのはなぜでしょうか。なんとなくいけないのではなく、きちんと理由があります。「人にされてイヤなことは他人にもしてはいけない」からです。

ここで 先述した「1 億円もらえるボタンを押すか、押さないか」の話を思い出してください。もしあなたが押すのなら、ほかの誰かが押すことも認めなければいけなくなります。「他人には押してほしくない」のに「自分は押したい」では筋が通りません。それでは自信をもってその考え方が「正しい」と言えないのではないでしょうか。

約2500年前に生きた中国の思想家である孔子も、「己の欲せざる所は人に施すなかれ」と、これと同じ意味のことを言っていました。今も昔も大切なことは変わっていません。そして、この先も変わらないでしょう。何が善くて、何が悪いかで迷ったときは、相手の立場になって考えてみましょう。

P40-41 「正義」について考えてみよう

「正義」について考えてみよう

<「悪」と思える戦争に正義はあるのだろうか>

2003年3月、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器(WMD)を保有していることを理由に、多くの国が反対するなか、イラクに戦争を仕かけました。ブッシュ大統領はイラクを「悪の枢軸」と呼び、「正義」のために戦うことを強調しました。

圧倒的な戦力をもつ米英軍によって翌月にはイラクの首都バグダッドは制圧され、同年5月にブッシュ大統領は戦闘終結を宣言しましたが、結局、WMDは見つかりませんでした。イラクの立場からすると、「戦争で多くの罪のないイラク人が死んだ。何が正義だ! アメリカこそ悪だ!」と思ったはずです。戦争に無関係の国でも、「戦争をしておいて何が正義だ」と思った人はたくさんいました。

「正義」は、「すべての人にとって公正、公平であること」ですから、そもそも戦争のような暴力は、人の道から外れた「悪」なはずです。「正義」のためなら戦争をしてもいいのでしょうか。そもそも誰が「正義か、正義でないか」を判定するのでしょうか。

知っているつもりの「正義」という言葉も、いろいろ考えると難しく感じてきます。また立場を変えて考えると、何が正義かが変わってこないでしょうか。

【監修者プロフィール】

佐藤岳詩(さとう・たけし)
専修大学文学部哲学科教授

1979年、北海道岩見沢市生まれ。京都大学文学部卒業。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。熊本大学文学部准教授を経て、現在、専修大学文学部哲学科教授。専門はメタ倫理学、およびエンハンスメントを中心とした応用倫理学。主な著書に『R.M.ヘアの道徳哲学』、『メタ倫理学入門 ~ 道徳のそもそもを考える』(いずれも勁草書房)、『「倫理の問題」とは何か メタ倫理学から考える』(光文社新書)。

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