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良質さとは、密度である。

ボクは昔から世の中の理(ことわり)はすべて繋がっていると考えているので、気づきたい何かがあった場合に、他の道理から気づき、そして学び、それを気づきを得たいモノに置き換えて理解を深めていくという作業をずうっとしてきている。

そして今回、良質さについての説明をしてくれていたテレビ番組の中の出来事があったので紹介をしておく。

年始に芸能人格付けチェックというテレビ番組で、高額な楽器の音色を見分けるポイントは「音の密度を感じればすぐに分かる」とGacktさんが述べていた。そして付け加えて「余韻の長さ」を上げていた。
それは、Gacktさんが音の密度を感じているということでもあり、それを理解できていない多くの人たちは音の密度を感じ取れていないということでもある。
ここに良質さを理解するためのキーワードが挙げられたことになる。

そうなのだ。
ボリュームがあろうがなかろうが、密度感を感じられれば、それは良質なものだけが持ち合わせているものであるため、すぐにそれが理解でき、そしてそれが美しいものであることを理解できるということなのだ。

それは、コーヒーでも同じで、香りの情報の中に潜んでいる密度を感じられれば、良質な状態を理解できるということに繋がっている。

液体における良質な密度感は「シルキー(絹のような)」と呼ばれるような、キメの緻密さから登場する香りの密度感である。香りの粒子が細かくそして均一になることで、ボリュームの中に存在する密度感はギュッとするため、ボリュームがあろうがなかろうが、うっとりとする美味しさに繋がるのだ。

しかし難しいのは、その密度感は生豆から登場している密度感であるのだが、ローストのフレーバーを茶色く濁らせてしまったり、燻ませてしまうと、生豆から登場している密度感はローストに遮られてしまいうまく見ることができなくなってしまう。

それは抽出でどうこう出来る問題では無いので、ローストによってクリーンなローストを登場させることが、素材の密度感をキチンと感じるためには必要な条件となるのだと考えることができる。

ただし、ローストのフレーバーのダメージの認識が甘いと、飲み易くしてしまう。
飲み易いものと、美しいものは、ある意味では真逆に位置している表現となるので、そこの理解も深めなければならない。

スペシャルティコーヒーの定義の中に、「爽やかで明るい酸味特性があること」と述べられているが、なぜ「明るい酸味特性があること」だけで終えず「爽やかな」という形容動詞が付けられているのか?
そこに良質さという密度感が絡んでいるからである。

逆に述べれば、「明るさ」だけでは品質的に惑わされてしまうということでもある。
そのためには、「明るさ」と「爽やかさ」の2つの意味を学ぶことであり、それを理解することである。
そこに繋がっているものが密度感である。

良質なものとは、世の中になかなか存在していないからこそ、貴重であり高額になる。そしてそれを作り出すのも「人」なので、モノづくりにおける「人」の役割にも「良質さ」が加わっていることになる。
なので人にも品質(クオリティ)が存在する。

それを判断するのも人だからこそ、良質さとはなんであるのか?
美しさとは、なんであるのか?
それを探求していくことで、良質さの本質に辿りつけるものであると考えている。


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