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選択肢は多い方がいいのか?

 突然ですが、想像してみてください。今、みなさんは秘境といわれるめったに行くことのできない土地を旅行しています。そこには超有名な飲食店があり、行列ができています。数時間並んだ末、ようやく入店できました。メニュー(写真付き)を見るとどれも美味しそうで、しかも数百種類と多種多様な料理が載っています。一生に一度の機会かもしれないので、選択の後悔をしたくありません。そんなとき、みなさんならどうしますか?

 私の場合だと後悔せず、平均以上の満足感を得るために店員さんに「おススメは?」と質問してしまいます(現実でも)。

選択のパラドックス

 このように数百種類という一見すると多様な選択肢があって、自由に選べそうですが、私のように選択肢が多すぎると逆に迷ってしまうので、限定してもらったほうがありがたいと感じる人もいると思います。

選択肢が多いとストレスを感じてしまう

真壁昭夫,2018,『知識ゼロでも今すぐ使える!行動経済学見るだけノート』,宝島社,114

行動経済学によると、このことを選択のパラドックスというそうです。選択肢が多いほど、その中から選ぶことがストレスとなり、困難になるということです。選択肢が多いほど自由から遠ざかるというなんとも不思議な感じです。

解き方・考え方の選択肢が多い授業は効果的か?

 では、学校の授業で考えてみましょう。1つの問題に対して様々な解き方・考え方でアプローチし、それを生徒同士が発表し合う授業はとても活動的で、実践している先生方も多いのではないでしょうか。私は数学を教えていたので、このような授業を構成しやすく、特に若い頃はこのような活動的な授業を目指していました。生徒同士がいろいろな解き方・考え方を出し合い共感、共有することによって思考の幅を広げることが1つのねらいになっています。
 ここで、選択のパラドックスを考えてみましょう。この授業では1つの問題に対して、いろいろな解き方・考え方という選択肢が増えてしまいます。生徒たちは、増えた解き方の選択肢に対してストレスを感じないのでしょうか。

多様な学力の集団と選択のパラドックス

 生徒たちの学力は多様です。多くの解き方を共有する授業に対する感想も様々でしょう。そこで、次のように学力を大雑把に3つに分類して、もう少し具体的に考察したいと思います。
※あくまで私の経験に基づく、想像です。
 
 ・勉強が苦手な生徒
 ・平均的な生徒(割合的に1番人数が多い)
 ・勉強が得意な生徒

【勉強が苦手な生徒の場合】
 まず、1つの問題に対して自力で解き方を見つけられない可能性があるため、他の生徒の説明を聞いて理解する必要があります。

 そのときに、多くの解き方・考え方を説明されてしまうと、一気に大量の情報を脳内で処理しなければならない状態になります。1つの解き方を理解するのにも時間と労力が必要で大変だと感じているはずなので、困惑してしまうでしょう。次々と説明される授業ペースについていけず、最悪の場合、諦念してしまう可能性があります。
「1つでいいから、1番簡単な方法を教えてほしい!」
と感じているかもしれません。解き方を限定したほうが負担は少なくなると思われます。

【平均的な生徒の場合】
 1つの問題に対して解き方・考え方は1~2つ程度、見つけられると推測できます。答えにたどりつく生徒が多いため、1つの解き方しか思いつかなくても十分満足感を得られます。2つ以上を見つけた場合は感動し、知的好奇心がくすぐられるでしょう。

 他の生徒が別の解き方・考え方を発表したときのリアクションとして考えられるのは、「感心する生徒、あまり理解していない生徒、試してみる生徒、自分の解き方で十分と考える生徒」など、否定的、肯定的、どちらでもないという様々な反応になると思います(学力の幅が広いため)。ただ、肯定的な生徒は時間をかけて知識を整理しておかないと、一気に脳に入力した多くの情報同士が干渉しあって誤った理解で定着してしまう可能性があります。

【勉強が得意な生徒】
 1つの問題に対して複数個の解き方・考え方を発見することができ、また、それを発表することで自尊心を高めることができます。思考の幅も広がり、応用力も身についていくと思われます。

 このことから、1つの問題に対して様々なアプローチをしていく課題に取り組むことは、多くの生徒個人にとって良い刺激になると考えられます。
 しかし、解き方・考え方を発表し、共有し合うことについてはどうでしょうか。全体の場でむやみに解き方の選択肢を増やしてしまうと、選択のパラドックスの影響で「どの方法を使っていいのか迷ってしまう、ストレスを感じてしまう」生徒が増えて逆効果になってしまうのではないかと思われます。

私の授業

 そこで私は、集団に対して平均的な学力を提供できるように

・全体の場では、なるべく1つか2つに限定した解き方・考え方に統一する
・演習問題などの個別学習の際、自由に発想させる

という形態をとっていました。もちろん、生徒個人が自ら別の考え方を知りたい場合は個人的に共有することを勧めていました。
普通の授業かもしれませんが、我々、大人でも人の意見を聞いて、理解し、それを活用することはかなり難しいと思います。集団全体の状態を的確に把握した上で、全体の場で選択肢を増やすかどうかを判断して授業を構築するべきでしょう。
 ちなみに現在の私は教師を辞めて行動の選択肢が増えたため、選択のパラドックスにさいなまれています。

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