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大切な人の死について

昨年の8月の末に、26年程もお世話になっていたカウンセラーが亡くなりました。ひきこもりの相談をしていて、初めてあった時は、上品さと気品があり、凛とした様子で、少しクールな印象を受けたことを覚えています。実際は腹の座った、とても温かい人だとその後わかっていくのですけど。

自分の心の奥に秘めていて、この方にしか話していないこと。
恋愛が崩れて、世界が灰色に見えるような状況になってしまった時に、何度も辛さを聴いてもらい助けてもらったこと。そして、
何十年もひきこもっている間に、周りの人達は、働き、結婚し、子供が生まれと人生が進んでいるのに、自分は取り残されてしまっている。そう感じて、こんなクソのような人生は嫌だとパニックになり、

「助けて。」

といった事があります。そしたら、

「助けるよ!!」

と言ってくれました。その言葉をいってくれただけでもう十分だとその時に思いました。
このようなカウンセラーとはもう会えないのではないかなと思っています。

人生が動き出して、今、色々なことに挑戦しています。やり甲斐もありますが、ストレスもまた大きく、
あー、今話したいんだけどなぁ、今こそ居てもらいたいのだけどーとよく思っています。

亡くなった時は、心が麻痺しました。告別式に出席して顔も見てきましたが、その時は、もう会えないということがどういう事なのかよくわかっていませんでした。

それ以後、普段、牛肉のステーキは滅多に食べないのですが(お高いですしね)、なぜか急にどうしようもなく食べたくなり、焼き方をyoutubeで調べ自分で焼いて食べるようになりました。食べても食べても、足りなくて足りなくてまた食べたくなるという。
喪失体験をなんとか埋めようとしているということを少し後に知りました。

半年経った今でもステーキは食べたいですが、でもお高いからハンバーグで代用したりもしています。( ´∀`) 
最近は、炭酸飲料のデカビタC(500ml)をしょっちゅう飲んでいます。飲み過ぎも良くないのではないかなと思いながらも、やたらおいしく感じてしまい、カッパえびせんとともにゴクゴクと、今もこの文章を校正しながら飲んでます。
きっと形を変えてこのような事を経験された方もいるのではないでしょうか。

心から信頼している人を亡くすというのは初めての体験で、これはとても辛いですね。
ドーンとした方で頼り甲斐があって、ちょっと話をしただけでも心が落ち着いていたものでした。

この方の所属していたカウンセリング施設では、親へのカウンセリングを重視しています。自分も、ひきこもっている当人として最初はカウンセリングを受けていたのですが、実はそれはほとんど意味がないということを知るようになり、親にカウンセリングを受けさせるようにしました。子供の話の聴き方、問題行動への対処、なぜ子供がひきこもるようになったのか、その事を親の講座などでも指導していました。なので、母親が昔は全く頼りにならなかったのですが、多少マシになって何年か前から母親に本音であーだこうだと話すように変わってきました。そしてその分、カウンセラーと話すことが減っていっていました。
カウンセラーは回復させることができるわけではなく、あくまでサポートするだけなのですね。これは占い師にも言える事ですよね。

話を聴いてもらうとやはり落ち着くものです。人は溜め込まずに心の内を吐き出すことがとても大事だと思っています。

何年か前に、カウンセラーに死なれると困ると伝えたことがありますが、

「あなたが何とかなるまで、私は死なない。」

と応えてくれました。とても嬉しかったです。ですけど、
いや死んでるじゃないか。と思ったりするのですが、実は何とかなるところまで来たのかもなとも考えてます。
でもしかし、本当に大丈夫かなとも思ったり。どうなっていくのかはわからないという不安はあります。大きな支えを失った感じ。心細さ。

もし今、相談したらこんな風に応えるのかなとかよく考えたりしています。
心の中で話しかけたりしています。

まだ亡くなった影響は長く続くでしょうけど、今はこう感じているということを書いてみました。
自分もこの方のように人の力になれたならと思っています。

ではでは、またー ( ´∀`)/

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