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不安障害らしい。

「あ~それは不安障害ですね」
第三者によって書かれた書面をちらっと見た後、私に告げた。

外に出ると、工事中の高層ビルから何かが落ちてきそう。信号待ちで携帯を見ていたら車が突っ込んできそう。数メートル先から歩いて来る人に何かされそう。見ず知らずの人に笑われそう。

家にいると、一人だけ世界に取り残された気分になる。洗わなくていいと分かっている手を何度も洗う。目では見えない菌が身体を蝕むのが怖いから。

「気にしすぎじゃない?」と笑われる。確かにそうだ。数年前の私なら笑っているかもしれない。私はがん患者の苦しさも、骨折の痛みも知らない。だって経験したことがないから。

テレビでデング熱に罹った子どもを抱きかかえ、数十キロも離れた医者の元へ連れていく母親が映った。そうだ、世界は自分が思っているより広いのだ。それは、安全な国に生まれたと自慢しているわけではない。だって、私が明日生きてる保証はないから。

スーパーで買った商品を触った後に、自分の皮膚に触れると不安でたまらない。

いつからだろう。早く大人になりたいと願っていた私は、すれ違う老人をみて不安になる。こんなはずじゃなかったのにと涙を流し、消えたくなる。しと打つと「死」とでるくせに、サプリで栄養を補う自分に嫌気が刺す。

嫌だなという気持ちがあっても、何とかなると思えたのに、なんとかなるという気持ちがいつの間にか消え去った。

治療法を検索してみたら、数年、いや数十年も治らないかもしれないらしい。心の中に何かが住みつき私を支配する。自分を強く持たないと、ふらっと消えてしまいそう。自分の体なのに。

いつの日かすがる思いで泣きながら、知恵袋で質問をしたことがある。一件の回答を確認してみると、「悲劇のヒロインですか?」と回答がきた。そう、他人は思っているほど優しくないのだ。もしかすると、その回答者は学校一の人気者かもしれないし、いじめられてる子かもしれない。

そう、他人に期待してはいけないのだ。私は、「大丈夫ですよ、きっとよくなります」という言葉を勝手に期待していた。

勝手に涙が出る時がある。今日も勝手に涙が出た。別にいいのだ。泣きたいときは泣く、食べたいときは食べる、寝たいときは満足するまで寝よう。

私は人にやさしくありたい。そして、自分の一番の理解者でありたい。自分をとことん愛してあげたい。もちろん、私のことを好かない人もいる。別にいい。二十年後街ですれ違ってもどうせ気が付かないんだから。

しわしわになって、ばばあと呼ばれるまで生きてみたい。コンビニ店員が町からいなくなって、無人になる姿がみたいから。

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