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利他とエゴイズムのジレンマの解消法

この記事の内容
利他とエゴイズムのジレンマという人類が抱える根本的な問題に焦点を当て、その解消方法としての新しいアプローチを探求します。コロナ禍における個々人の行動から、全体最適と部分最適のジレンマ、そして利他的な想像力を社会構造に内面化させる可能性について考察します。


自己紹介

みなさんこんにちは!
世界を体験できるメディアをミラーワールドを通じて作っているかっつーです。それを作るための背景や思いなどについてはこちらの記事を参考にしてください!
作るまでの具体的なステップについてはこちらの記事をご参考にしてください。
僕は世界のあらゆる境界線に関心があります。細胞や自己と他者、障害、国境、社会的対立など世界は境界線の積分でできていると考えています。
これらの境界線をテクノロジーによって、なめらかにし、自由自在にすることができれば、人々が生きやすいなめらかな社会が実現できると考えています。

この記事の読者ターゲット

  • 社会学や心理学に関心のある読者

  • 政策立案者や社会運動家

  • 経営者や組織のリーダー

  • 教育関係者

  • 一般の読者で、個人の行動が社会全体に与える影響に興味を持つ人々

この記事を読むのにかかる時間は「8分」です。

利他とエゴイズムのジレンマ

人間は誰しもが利己的に生きていきたいと願っていますよね?なんでも自由に、何でも好き勝手に生きることを望まない人はおそらくいないように思います。しかし、その利己的な行動や選択を抑制する力も働いているのではないでしょうか?それが他者の圧力です。
利他的な行動を取ろうとすれば自己犠牲を伴い、利己的な行動を取ろうとすればエゴイズムだと言われ、のけ者にされてしまう。

具体的な例を出してみましょう。

僕はコロナ禍で家に引きこもっている中このようなことをニュースや家族、友人、社会人との会話を通じて思いました。それは、利他とエゴイズムのジレンマを人類が感じたんだと言うことです。
当時は一人ひとりが利己的な行動(マスクを付けない、外出を好き勝手に行う)取ろうとすると、自分の場合家に帰って来るなと言われ、ニュースではマスクの着用を半ば強要するような報道がなされ、利己的な行動を抑制しようとしていました。

しかし、かといって利他的な行動を取ろうとすると自分自身の日々の生活における満足感を得ることができず、自己犠牲を伴う羽目になりました。
これは、個々人のウイルスに対しての科学的根拠に基づく認識の違いから一人ひとりがジレンマに陥り、そして対立が発生していました。
この議論を全体最適と部分最適という観点からも説明してみようと思います。

全体最適と部分最適のジレンマ

まずは最適という概念について少し噛み砕いて説明していきます。
最適化とは数学的な文脈で言うならば、
与えられた制約条件のもとで、特定の目的関数を最大化または最小化する問題を解くこと
を言います。

簡単に言うと、特定のルールの中で最も効果が高くなるようにするための方法はなんですか?ということです。それを追求することが最適化という概念です。

全体最適や部分最適という考え方は主に経営学や組織論において活発に議論されるようです。
全体最適とは、各部門やチーム、企業が組織として最適な状態であることを指します。それに対して、部分最適とは組織の一部が効率的に業務を進められるよう最適化された状態のことを指します。
この全体最適と部分最適という考え方を社会科学の文脈に置き換えて考えてみます。

全体最適は可能か?

全体最適を行おうとする主体は大抵の場合、国家や政治家、経営者などの意思決定の影響範囲が大きい人達です。しかし、人間の認知リソースの限界がある以上国家全体のことを隅々まで理解したうえでの最適な政策など不可能に近いと思います。これは経営者でも組織のトップの人達も同様に、構成される社会や組織が大きくなっていくと、一人の人間がすべてを把握することができなくなり、全体を俯瞰したうえでの最適な選択など不可能に近くなります。

仮に、人間が全体最適を行えるほどの認知リソースを何らかの形で手に入れたとします。脳神経科学とコンピューターサイエンスが組み合わされば、海馬に電気的な刺激を与えたり短期長期ともに記憶容量を増やし分析能力を向上させることができるようになるかもしれません。たとえそうだったとしても、その増えた認知リソースを使用してさらに複雑で高度な物やサービスを生み出し、より全体の複雑性がマスことが想像されます。

つまり、全体最適は認知リソース上不可能であり、そして仮に増えたとしても部分をより複雑にすることに使用するため、全体の構造は更に複雑になり、全体最適は夢の彼方へと消えていきます。

部分最適は可能か?

では次に部分最適は可能なのかを考えていきます。
結論部分最適であれば可能です。しかし部分最適な行動と利己的な行動は互いに密接に関わり合っています。部分最適な行動を取り利己的な選択を行っていくとどのようなことが起こるのでしょうか?

コロナ禍の文脈で言うならば、一人ひとりがマスクをせずに外出したり、好き勝手に飲食店を飲み歩くことで感染者数が増加したり、人々からハブられる羽目になります。そして社会全体としてはマイナスの状態になってしまいます。

企業組織で言うならば、ある企業では、製造部門とマーケティング部門がそれぞれの部分最適を追求していました。製造部門は生産コストの削減に注力し、一方でマーケティング部門は顧客ニーズに合わせた製品の多様化を推進していました。部門間のコミュニケーションが不足していたため、製造の効率化と製品の多様化のバランスが取れず、結果的に在庫過剰と顧客満足度の低下を招きました。

ほかにも、
この企業では、製造部門とマーケティング部門がそれぞれの部分最適を追求していました。製造部門は生産コストの削減に注力し、一方でマーケティング部門は顧客ニーズに合わせた製品の多様化を推進していました。部門間のコミュニケーションが不足していたため、製造の効率化と製品の多様化のバランスが取れず、結果的に在庫過剰と顧客満足度の低下を招きました。

このように、利己的で部分最適な選択を行うこと自体は非常に合理的であり、個々人の利便性が高まるのにもかかわらず、全体としてはマイナスになってしまう。合理的な選択が全体としてはマイナスになってしまうという矛盾が生じてしまいます。

上記の議論をまとめると、全体最適な意思決定はそもそも人間の認知リソース上不可能であり、そして部分最適で利己的かつ合理的な行動を取ると、全体としてはマイナスの現象が生じる場合があります。

全体最適と部分最適のジレンマが生じているのです。

攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックスの素子の仮説

更に上記のジレンマに関する内容を深めるために、攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックスでの素子の言及を取り入れてみましょう。
攻殻機動隊のスタンドアローンコンプレックスは、孤立した個人でありながらも、全体として集団的な行動を取ることを意味します。そして、スタンドアローンコンプレックス化が進むことによって、最終的に社会から個性が消失する可能性があると素子は説明しました。

しかし、素子はタチコマという自然言語で会話し志向することができる戦車たちが好奇心を持っていたことによって、個性を獲得した現象を見ました。そこから彼女は社会の個性消失を防ぐための糸口として好奇心の重要性を仮説を立てました。

つまり、攻殻機動隊の未来の世界においても利他と利己、全体最適と部分最適のジレンマを抱え、どちらか一方を指向しすぎると、問題が生じているのです。攻殻機動隊の場合全体最適を志向した結果、社会に個性が消失したということです。

それでは、どうすればよいのでしょうか?このジレンマに悩む人達は私だけでなく多くの人々が日々どこかしらで経験する現象ではないでしょうか?
全員が自分のお金だけを増やすことを志向する結果、お金を増やさない選択やお金が増えない可能性のある選択を消去していき、経済的な分断や格差は広がる一方なのではないでしょうか?

ここからこのジレンマを解消するための自分の考えを展開していきたいと思います。

個々の意思決定や選択に利他的な想像力を内面化する

結論を先にいうと、個々の利己的な行動に、利他的な想像力が内面化するような社会構造を作ることはできないでしょうか?
内面化というのは、社会が有する価値や規範を自分の価値の規範として受け入れることをいいます。価値観や思想、社会的規範などを自分の中に取り入れるということです。

個々の合理的な意思決定だけを行うと、エゴイズムと言われるが、その合理的意思決定の中に利他性が組み込まれていれば、自然とエゴイズムなのに利他主義的な行動を取るようになるはずです。
つまり、一人ひとりが利己的なおせっかいをするような社会になるということです。

次に、より具体的な例を出しましょう。
PICSY(伝播投資貨幣)という伝搬投資貨幣が存在します。この貨幣の技術的な仕組みについてはなめらかな社会とその敵という書籍をご参照ください。PICSYについて

この貨幣はすべての取引が投資(現物出資)になる貨幣です。普通の貨幣システムだと大抵の場合における取引は、買い手が有利な場合が多いです。買い手が神様として交渉で有利な状況に立たされてしまいます。従来の貨幣システムですと、売り手としては売れれば買い手の効用については考えなくてもよいという場合がありますよね。

しかし、この貨幣は売り手が買い手に対して与えた貢献度に応じて購買力(お金)がもらえる仕組みになっています。

この貨幣が流通することによって、買い手がより高い価値を生み出すとそれに応じて売り手の利益が大きくなるような投資のような取引が常に行われる社会になります。そして、売り手が最後まで責任を持つような社会になると考えられています。

この貨幣の中には、一人ひとりの合理的な意思決定の中に投資を行う際の利他的な想像力が内面化され、経済倫理を下支えする機能が備わっていることになります。

他にも利己的な行動に利他的な想像力を内面化する方法は存在します。
それは、教育であったり、社会的責任投資であったり、メディアによる利他的な行動やその影響を積極的に報道することであったりです。

また、ARやVRを使用することで、世界全体を見渡して体験することで想像力を拡張させたり、ARを使用してある商品を購入する際に、その商品の生産過程を示したり、道を歩いているときに利他的な想像力を刺激するような情報を提示したりすることが可能です。

まとめ

利他とエゴイズムの間でジレンマが生じ、幼児教育としてアンパンマンではかつてから自己犠牲を美徳として報道され、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に登場するカムパネルラのように自己犠牲伴った利他を題材とした書籍は国の教科書として登場します。
しかし、利己的な行動を取るとエゴイズムとして社会的にのけものにされる傾向が日本では強く、ジレンマを抱えてしまいます。

そのジレンマの解消方法としてPICSYを取り上げ、その他にもARやVRの可能性、メディアや教育の価値について説明しました。技術的な進歩や社会構造の変化に伴い、利己的な行動に利他的な想像力を内面化する社会を構築することが、今後の社会においては重要なのではないかと考えました。

参考文献


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