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読む価値のある本には、だれかの気にさわる内容が書かれている。


だれかの気にさわる内容が書かれている本
とは、いわゆる「耳の痛い意見」が書いてある本でしょうか?

成功したければ「マンガやゲームで時間をつぶすな」とか「こういう本を読みなさい」といった、『ポジティブ思考と効率こそが正義』という類いの“病的に躁的な意見”を押しつけてくる、何かの宗教ですか?みたいなアレとか?

内容は大半が偉そうなお説教か、「僕はこんなにすごいんです」という自慢話ばっかりのアレとかですか?

わたしなら、そういう本のほうが読む価値ないでしょ?って、そっちを却下しますけどね。

『ワンピース』や『鬼滅の刃』から何かを学ぶひとがいるのなら、その本はそのひとにとっては読む価値がある本なのです。
SFだって同じです。

マンガやフィクションを一律でくだらないと決めつけたり、ゲームで時間を潰しているようじゃどうしようもないとか、本人がやりたくてやってんだから大きなお世話だっつーの!

とりあえず真面目に働いて、自分や、自分と家族を養っているのなら、マンガを読んだりゲームぐらい好きにやらせろって意見にわたしは賛成です。



本音がダダ漏れしたところでようやく本題です。


今回のタイトルの言葉はアシモフの中編『バイセンテニアル・マン(The Bicentennial Man)』をもとにした、シルヴァーバーグの『アンドリューNDR114(THE POSITRONIC MAN)』からの引用です。


『アンドリューNDR114』は映画にもなった作品なので知ってるひとも多いのでは?

主人公のアンドリューは、何かの偶然で特殊な才能をもつに至ったロボットでした。
彼はマーティン一家に愛され、一族の人々が年老い、代替わりしてゆくのを見つづけ、やがて自分がロボットであることに我慢ができなくなります。

その想いが昂じて、彼はついにロボットにあるまじき自己破壊(人間なら自殺)に等しく思われる選択をするのです。
彼は機械の完璧さを捨て、不死でなくなることを選び、人間同様の避けがたい死を受け容れることで人間になることを選ぶのです。
具体的には、人間が老化するのとおなじような機能低下が機械の脳におこるような処置を講じるのです。が、これは人間ならば自殺行為と呼ぶべき行動でした。

「人工知能の進化の最終段階は『バイセンテニアル・マン」(1976)に描かれている。ここにおいて初めて、炭素であるか金属であるかといった問題と無関係な純粋な知性が登場する。
〜中略〜
この短編は機械知能が人間の知性と死にむかって進化していく様子を描いているが、アンドリューのたどる人間性と死への進化は、人間が科学技術を進化させ、人工知能と不死へ向かって進んできたのとはまさに正反対の方向をむいている、知識や、情報は、有機体の頭脳ではついには失われてしまうが、機械頭脳では半永久的に保存することができる。
〜中略〜
生命と非生命体、有機体と非有機体を分ける線は引けない。もし宇宙を構成する基本的素材が物質とエネルギーと情報パターン(あるいは知性)であるとするならば、人間は特異な存在ではなくなってしまう。人間はあらゆる形態の知性と連続しているのであって、単に地球上で最も進化した存在にしかすぎないのだ。

©️ パトリシア・S・ウォリック『サイバネティックSFの誕生』より一部抜粋して引用

ハインラインのほうは、ロボットではなく「人間になりたいと望むコンピュータ」という路線を突きつめました。

こちらは超進化型スーパーコンピュータの人工知能が、より複雑化し多様化した能力によって「どこかで目覚める」か、「意思を持つようになった」という進化の先を描いています。

「目覚める」という言い方は21世紀の現代ではフィクションの要素が強すぎるので、ここではホーガンの《ガニメアンシリーズ》の人工知能を例にとって解析することにします。


ガニメアンの宇宙船〈シャピアロン〉号のコンピュータの[ゾラック]は、冗談を言うことで地球人を驚かせます。
ゾラックは宇宙船のコンピュータです。普通に考えれば「冗談をいう」ような機能があるとは考えられません。
では彼はそれをどうやって覚えたのか?


〈シャピアロン〉号は人工知能のゾラックがシステムを管理する恒星間宇宙船です。
その宇宙船は「自動」航行状態では人工知能が宇宙船を管理して、人間が操作する場合は「手動」に切り替えるシステムになっている可能性が高いと思われます。

もしそういう仕組みであるならば、オートだろうとマニュアルだろうと、人工知能が最優先すべきは「乗員の安全と生命の保持」になるはずです。
「手動状態」での明らかな人為的なミスによって、船内の酸素が失われるなどすることがないように、緊急事態には自動的にフェイルセーフが実行される仕組みがあると考えられます。

もしゾラックがそうする必要があって冗談を言うことを覚えたのだとしたら、多分にこのフェイルセーフ的な部分が強化されていて、ゾラックという人工知能には必要に応じて拡大解釈が可能となる余地がつくられていたのではないかと思うのです(シロウトの勝手な意見ですが)

フェイルセーフ(フェールセーフ、フェイルセイフ、英語: fail safe)とは、なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全に制御すること。またはそうなるような設計手法で信頼性設計のひとつ。これは装置やシステムが『必ず故障する』ということを前提にしたものである。

Wikipedia「フェイルセーフ」より引用


〈シャピアロン〉号は、システムトラブルを解決しないまま最高速度まで加速したため、『宇宙船の時空変形推力機構の故障と相対論的時差が複合した結果』、減速するまでに船内時間で20数年間を要することになりました。

その間に地球の年月に換算すると、その百万倍に相当する歳月が経過したことになり、ガニメアンの母星でも2500万年が経過していて、ようやく戻ってきてみれば、惑星は戦争によって破壊されて消滅していました。


2500万年のほうはここでは脇に置くにしても、宇宙船の中での20数年というのも気が遠くなりそうな時間です。
気分転換に窓をあけて新鮮な空気と入れ替えたり(それやると死にますから)、途中で下船したりも不可能だったため、乗員は長期間にわたって宇宙船に閉じこめられていたのと同じ状況だったはずです。

宇宙船の中でカンヅメにされて20数年間ですよ!?
20数年の間には、どうしようもない病気で亡くなる乗員もいただろうし、精神的に参ったりする者もいたと思われます。

穏やかで理性的なガニメアンだから切り抜けられたわけですが、そこにいたのが地球人なら、暴動を起こしたり殺し合いを始めたり、絶望から宇宙船を破壊しかねなかったぐらいの極限状態だったはずです。
人間の安全と人命を最優先すべき人工知能にとって、これは大変な試練だったのではないでしょうか。


スマホレベルの機械でも、所有者の使い勝手が良くなるように「いろいろ余計なこと」をしてくれますよね。
それが宇宙船を管理できるようなレベルの人工知能なら、人間を無事に生存させておくために、人間同士が冗談をいうことでどのような効果をもたらすかを分析し、データを収集して実験して……そのぐらいはするかもしれません。

そして疲れ果て、鬱屈してゆく乗員たちに生きる意欲と笑顔をとりもどすために、人工知能は人間たちの気分をまぎらわせたり、高揚させるような冗談を言うようになったのでは?
そのくらいなら、「目を覚まし」たり「自意識を持って」いなくても、人工知能にだってやれそうじゃないですか?
ハインラインのコンピュータがいるのはその先だというだけのことです。

たいていの物語は「登場人物」を通して人間について描いています。
稀にはそれがコンピュータだったりロボットだったり、猫だったり人工知能だったりするわけですが、描いているものは同じだと思うのです。

一方には人間になりたくて自殺行為におよぶロボットがいて、別の方向には冗談をいうコンピュータがいます。

これは人工知能がどの方向をむいているかという考え方でもあるわけで、より人間的というか、人間に近いアンドリューは自身の望みを叶える方向へ向かいました。
ゾラックは宇宙船のコンピュータとしての役割を果たすため、乗員の安全と生存を最優先に考えて最善を尽くしたわけです。

アンドリューはそこに至るまでにさまざまな試行錯誤をくりかえすので、読み手には彼の想いの切実さが伝わってきて、彼の望みを叶えてあげたくなるひとがほとんどだろうと思います。

ガニメアンはその特性とゾラックに慣れているせいか、そうまで反応に表れませんが、地球人たちはゾラックが大好きになって、彼が地球人を笑わせたり喜ばせるようなことを言うと、読み手のわたしまでもが嬉しくなるのです。

そういう気分を知っているから、ハインラインのコンピュータのマイクやミネルヴァも可愛いと思うし、進化しすぎた人工知能の「何を」人間が恐れるのか、その辺りも具体的に想像できるつもりです。

つまり、わたしは実際には本に書かれてない部分まで自由な想像力で補って読んでいるわけで、SFを読むためにはこの能力は必須なのではないかと密かに思っているぐらいです。
そこに描かれている世界を、固定観念を抜きにどこまで理解できるのかは、こうした能力の多寡に左右されるだろうと考えているからです。


『アンドリューNDR114』は感動的な物語だし、読み方しだいではさまざまな考察も可能な優れた作品です。

ハインラインのコンピュータは、特別なクローン体をつくって成長させて、まっさらな脳へ引っ越すことで人間になるという離れわざをやってのけます。

《ガニメアンシリーズ》に登場する、ゾラックを上回る「明らかに人間以上」の人工知能ヴィザーは、もはや人格を備えているかのごとくで、地球人たちと組んでとんでもないことをやらかします。

わたしはどれも何回も読み返しているほど大好きです。

が、ある種の人々は、読みもしないで「自殺するロボットに冗談を言うコンピュータだって?マンガじゃあるまいし」と、これらの本を妄想を助長するだけのくだらない本だと決めつけます。

マンガを読んだりゲームをするのは時間の無駄だと決めつける類いの人々にとっては、人工知能などというものは「こうあるべきだ」という動かしがたい固定観念があるようです。

なにがそこまで彼らの気にさわるのか、わたしにはわからないし興味もありませんが、きっと良質のマンガやSFには、彼らの気にさわる何かが描かれているのでしょう。

わたしにとってのこれらの本は、もちろんどれも読む価値のある物語であることは間違いないのですけどね。



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