育っていたと気づく息子の感性~絵本「よるくま」で~
「ちゅきま、白いねえ」
息子の視線の先には、白い月が空に浮かんでいた。
「おつきさま」を、その頃「ちゅきま」と言うようになっていた。
その後「黒、ないねえ。水色ねえ」って言う。
黒? 何言ってるんだろうと、息子と並んで空を見上げた。
*
今はよく喋り、気持ちを表現してくれる息子の、十五年ちょっと前。
言葉遊びや仕掛け絵本から、少しだけ文字が増えて、ストーリー性のある絵本に移行しようとしていた。
二歳くらいの息子は、人一倍かんしゃくがひどかった。周りの同じ年頃の子供を見ていると、息子の気性の激しさは群を抜いていて、どうしても気になる。本や雑誌に書かれている時期より早々と始まった夜泣きも、まだ続いている。お喋りも遅い。なのに、文字や数字に強い執着を見せていた。
車のナンバーを覚え、そこに書かれてある平仮名を覚え、まだ二歳なのに漢字や英文字を覚え、読み始める。
大丈夫だろうか。
困惑してあらゆる情報をかき集める。
そういう情報を読めば読むほど、落とした小さな一滴が大きなシミへとにじむように心配は広がり、それはペッタリと頭に貼りついて離れなくなってしまう。
とりあえずは、もっと喋ってほしいと願った。これだけ泣いたり怒ったりするのだから、言葉にできない感情が、本当はいっぱいあるのではないかしら。
その感受性を豊かに育てていこう。自分なりに勉強しながら、接し方を日々考えた。うまくいかなかったり、夫と言い合ったり、試行錯誤は簡単ではなかった。
息子の、発達にまつわるあらゆることが、本や雑誌に書かれているようにはいかない。
絵本だって、推奨年齢と、息子の発達が合っているのだろうか。ストーリー性がある絵本は、息子にとってはまだ早いのかもしれない。
息子は当時、紙を「めくる」面白さを知ってしまい、私が読んでいるそばから、ページをめくろうとする。省略しながら読み進める私。ページをめくって嬉しそうにする息子。遊ぶ時は良いけど。うーん困ったな。
ある日。あまりにも速いスピードでページをめくり、キャッキャと笑っているので、耐えかねて「ちょっと待ってよ」と言った。
思わず言ってからも、まだ迷いがある。息子は退屈なのかもしれない。絵本を無理矢理押し付けても楽しくないだろう。絵本の時間を、我慢する時間にはしたくない。
そうだ。息子は文字に関心があるから、母さんはこれを見ながら話しているんだよと示そう。
文字を指差しながら、絵本を読んでみた。
すると、ページをめくる手がぴたりと止まった。視線が私の指を熱心に追う。
次第にその絵本が気に入ったようで、読んでと、ねだるようになった。少しずつ、その文字が何を意味しているのかと絵も指差して示すようにした。
酒井駒子さんの「よるくま」がその絵本。
息子がストーリーを楽しんだ初めての絵本だったと記憶している。
よるくまは、ツキノワグマの子供で、胸には三日月の模様があった。「むねのおつきさま」と読む度に、よるくまの胸の模様を指差した。
「ほら見て。むねにおつきさまがあるね」
と言うと
息子も繰り返した。
「んねのちゅきま」
「んね」も「ちゅきま」も、とっても可愛くて、ギュと抱っこする。
そして夜、三日月を見つけると「おつきさまだよ。よるくまみたいだね」と話した。
「ちゅきま! んねのちゅきま!」
息子も繰り返す。
本当にわかってくれているのかな。ペッタリ貼りついていた心配は、なかなか簡単にははがれていかない。
その何日か後だった。
残念そうに「ちゅきま、白いねえ」と言ったのだ。
昼間だから月が白い。
ああそうか。空。
夜の深い黒色じゃなくて、晴れた水色だ。
その感性が嬉しくなって、息子と同じイントネーションで「黒、ないねえ。水色ねえ」と言った。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。