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「ボーイミーツガール」のエッセンス

男女は仲良くなってしまうものだ。しかし、すぐに仲良くなってしまうのは味気ない。

男と女が惹かれ合うのは普遍的な法則とも言える出来事で、およそ現実世界で抗うすべはない。
それは、古くからそうである生物学的な事実であるばかりでなく、そういうものだと昔から信じられてきたということが大きな理由になっている。

だから、古今東西の史実、エピソード、創作物語、格言などなど、様々な形で男女の交流についての言及がある。
それほどまでに、私たち人間は男女が出会い、仲良くなることに必然性を感じている。

しかし、出会った男女がすんなり仲良くなってしまうのが味気ないと思うのも、また正常な感覚である。そのため、『ボーイミーツガール』というものを作り出したのだ。
これは創作物語の1ジャンルで、その名の通り男が女に出会う話である。その後、男女の関係性がどうなっていくのかを紆余曲折のはてに見せるのである。

このようなジャンルが成り立つこと自体、私たちが男女の仲をとても気にしていることの現れだ。男女が出会いさえすれば物語が動くと言わんばかりであるし、実際、それは正しい。
とはいえ、ただ男女が出会い、そして仲良くなるだけでは面白くない。ゆえにそこに、紆余曲折が必要なのである。具体的には互いに最悪の印象から始まったり、致命的な勘違いがあったり、敵同士であったり、地位が離れていたり、恋のライバルがいたり……などなど。

これらはどれも、確実にどこかで見たような基本的なものであると思う。そのことは、如何にこの「紆余曲折」が、繰り返し用いられ、後世に語りつぐものとして不動の地位を築いているかの証左である。

つまり、私たちが男女の出会いに期待するのは、確かにその男女が仲良くなることであるが、同時に「裏切り」の可能性も頭にあるのである。
この場合の裏切りとは、男女がくっつかないことだ。出会って交流を続けるが、本当は今にも別れてしまうのではないか。最後には離れ離れになってしまうのではないか。

そういう不安感とともに、私たちはボーイミーツガールを見ている。その背反的な感情に応えるのに、「紆余曲折」はものすごく有効なので、今日まで基本として世に残っている。

仲良くなってしまうはずの男女が、しかしもしかするとそうでないかもしれない、という展開を続ける。
そのことが、ボーイミーツガールを成功させるひとつの真髄となっている。

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