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盛り上がりとはどこか遠いところで

 盛り上がる。たくさんのものが、出来事が、人が、言説が流行する。わっと広がって誰もが知るところとなる。それは世の中の、私達の最も当たり前な当たり前の1つである。人生には何回も、この盛り上がりに立ち会う瞬間がある。その度に私達は、「ああ、これは流行っているのだ」と思う。あるいは気づけば「これは流っていたんだ」と思うこともある。

 そういう時、現代ではその「流行り」とやらは遠いのだ。言い換えれば私達は、盛り上がりとは遠いところにいる。つまり流行りとか盛り上がりは、ほとんど私達の遠いところで起こるのだ。そして私達が感じるのはその波であって、流行りそのものではない。それは目に見えなくて、しかもいつ起こるかわからず、すごくすごく捉えにくいものだ。
 だから私達はその余波を捕まえようとする。それそのものでなくとも、余波だけでも充分に、盛り上がりを感じられるから。

 でも、基本的に流行っていることは捉えられないから、私達がそれをまさに肌で感じることは実は少ない。もし、流行の渦中にいたとしても、盛り上がりが小さければ目に見えず、大きければそれと気づかない。ただでさえそれは感じにくいのに、「盛り上がること」はそもそも、私達に捉えてもらえるような形をしていない。そんな必要もない。

 だから、流行をわかっているという人間は嘘である。そして予測できるという方法論も間違いだ。人間である以上、それはわからない。わかった気になれるだけだ。少しだけ片鱗をつかむことは可能かもしれない。でもやっぱり、それを理解することは無理だ。だから結局、それは「遠いところで起こる」としか言えない。近くで起こっていたとしても。自分自身が中心だった時ですら、私達は私達の盛り上がりを見落とすのだから。

 盛り上がりは、私達から遠いところにある。それは知らないうちに、どこかで起こっていて、そして波となって目の前に現れる。それがどこからどこへ行くのかなどわかるはずがない。わかるのだと思ってはいけない。もちろん、追いかけるのは自由だ。でも、あなたの目に映る「盛り上がり」が、絶対的な姿だと思うのは、やめた方がいい

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