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無心と病

 年を取るにつれて誰しも何かしら病になる可能性が出て来る。
病になると必ずしも死ぬとは限らないが、治るとも限らない。
そう言ったいわゆる長期化する慢性的な病に対しては
無心の精神の在り方が役立つのではないかと思う。

 無心とは何か? どういう状態か?
簡単に説明すると、
あらゆる物事に変に動じない・気にし過ぎない程良い心の在り方である。

ここで重要になってくるのは、無心の状態になって
無心自体にも囚われないことである。無心なのだから、
もし無心に囚われてしまったら有心になってしまうからである。

しかし、無心の状態においては、
無心に囚われて、心が有ってはいけないが
そこに本当に何も無い絶無・全くゼロの状態ではない。
自身の内に無心の概念・イデアみたいなものは存在している。
ただし、それに囚われてはいない。

そう言ったように、無心なのだけれども無心に囚われてはいない。
でも持っている・有る。持っている・有るけれども囚われない。
無心が有るけど無い、無いけど有る。
そう言ったある種、矛盾した論理の中に無心は存在するのである。

 前置きが長くなったが、病の話に移ろう。
長期化・慢性化する治りにくい病に対する在り方も
先ほどの「有るけど無い、無いけど有る」
無心の論理で捉えればいいのである。

治療の観点から病について考える。
考えるけれども精神衛生上のことを考慮し、
気持ちの面では考え過ぎない・考えない。
考え過ぎない・考えないけれども
治療を進めるために考える。
まさに「有るけど無い、無いけど有る」無心の論理である。

加齢による長期化・慢性化する病と言った
どうにもならない・どうにもしにくいことに対しては
無心の精神の在り方を持って、程良い距離感を保つことが重要なのだ。
一種の悟りだが、それが精神衛生を良好に保持しつつ
治療を継続するために非常に役立つのである。

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