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『「40歳を過ぎて、大学院に行く」ということ』⑮「時間」と「夏合宿」

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「時間」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのが2010年です。介護に専念して10年が過ぎた頃でした。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。
 さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

よろしくお願いいたします。

 今回は、40代後半になってから、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、介護を続けながらも、3ヶ月が過ぎようとしている6月下旬の頃の話です。

 その時のメモを元にしているのですが、自分自身でも、こんなにいろいろと悩んだり、考えたりしていたのかと、少し恥ずかしくなるくらいです。

 それでも、もしかしたら、同じような環境の方に、わずかでも参考になるかもしれません。ただ、そのため、申し訳ないのですが、かなり長くなりました。

時間

 6月20日。日曜日。

 時間の流れの早さが変わるというのは本当だと、大学院に入学以来、思ってきました。

 学校に通い出すと、新しいことばかりのせいか、まるで小学生の時くらいに時間がゆっくりと流れていました。そして、6月に入ってからは、時間の流れが、再び早くなってくるのも感じていました。

 という事は油断していると、油断しなくても、けっこうあっという間に1年くらいは過ぎてしまうということです。

 最初は、単に資格をとるために、しょうがなく、というような気持ちもあった大学院ですが、今はその時間がかなり大事で、その上で楽しいものになってきていますし、そして歳をとった分、そういう時間ほど早く流れてしまうのは、やっぱり知っているので、すでに何だか少し悲しい気持ちになっています。

 ただ、学校へ行って、年齢層も様々な同期の人たちと一緒に、なんてことのない話をしたり、ちょっと笑ったり、みたいな時間というのは、これから先は、そう簡単にはないだろうから、ホントに大事というか貴重というか、ありがたい時間であるのも間違いありません。

 この2年間、病気をしないで、もちろん介護は続けて、その上で資格をとるのが目標ですが、その資格もあまり収入に結びつかなそうなので、入学当初に盛り上がった気持ちもだんだん下がるだけなのだろうか。みたいな事も考えていたのですが、たった2ヶ月だけど、そういう予想よりは今のところ、少し違うようです。

 予想よりも、同期や先輩たちとも仲良くなれたような気もしますし、なんだかけっこう楽しいことも多いのは、ありがたいと思います。

 たとえば、昨日みたいに自分が勝手な後悔を抱えて、その事を誰にも話せず、一人で黙々と学食で食事をして帰って、妻とそんな話をして、ああ、今日はなんだかつまんなったかも、などと思ったりしていたのですが、大学院に通う前は、そういう生活を10年間、ずっと続けてきていたのでした。

 それどころか、もっとある意味、過酷だったのが、病院へも通っていた毎日でしたし、母親が亡くなって、介護をする相手が義母だけになった、そのあとの約3年でも、ほとんど家にいるばかりで、どこにも出かけず、妻と話すのが唯一の楽しみだったはずで、誰かと話して楽しい、なんてコミュニケーションはまずなかったし、あったとしても、月に1回とかいうレベルだったのに、今はホントにぜいたくになっていると改めて思いました。

 そして、そういう事に人は慣れるのだと自分の事で改めて思ったりもしました。それでも日は過ぎて、何より自分は、今は同級生でもある若い人たちより確実に歳をとっているのだから、自分の方が毎日を大事にしないといけない、などと思います。同じ時間なのだとしても。

復帰

 6月21日。月曜日。

 いつものように、というより、忘れ物をしていったん家に戻ったのですが、それでも午後6時前には学校に着き、図書館へ寄って、コーヒーを買って、エレベーターに乗って、教室へ入りました。

 そこには、しばらく学校を休んでいた同期がいましたで。なんとなく意識しつつ、話しかけるにはちゅうちょしつつ時間が過ぎ、いつもよりも時間が過ぎても教授が来ないな、と思っていたら、副手の人が、「先生は遅れてきます。午後7時前には着きます」と知らせてくれました。

 今日は、御伽草子の話の最後の「したきりすずめ」を読んで、いろいろと考える講義です。夫婦の話が中心になっていて、それもうまくいかなくなってしまった夫婦の話で、同期の中で、夫婦の事で共感できる人がいて、その人は今までよりも多く発言することになり、それは、とてもリアルでした。

 というように、夫婦のことは、他人事みたいに言えないにしても、でも、うちの場合は介護に2人で取り組まなくてはいけない、という事もあって、そういう激しい変化が外側で、といっても外ではないけど、つまりは夫婦間でない場所であまりにも大きいトラブルがあったために、それに対して、夫婦で協力しないと、とても乗り越えられない、というような特殊な事情なので、人それぞれだと思います。

 それで、教室の空気は重い感じになっているうちに、休憩時間になり、トイレに行き、それから、復帰した同期のところに行き、伝えたい事をやっぱり伝えようと思いました。

 もういつの事かは、はっきりとは覚えていないのですが、講義中に、その同期の人を名前で呼んだら、「覚えていてくれて、不思議」みたいな事を言っていました。でも、名前を覚えていたのは、その前の事からで、私がスポーツ関係の仕事をしていた、という事を覚えてくれていて、だから、それが嬉しくて名前は覚えていました、ありがとう、というような事を伝えようとして、その時は言えませんでした。

 そんなような事を含めて、復帰した同期に伝えられました。

 今日は、他の同期にも、渡そうと思ったスポーツ関係の本を渡せたし、サッカーの話も講義が遅れたせいで、少し出来たし、なんだかそれで少し楽しい時間でした。

 そして、若い同期の人と、今週とか来週とか、飲み会とかもしたいっすね、とか、夏休みにサッカーをやりたいっすね、みたいな話にもなり、サッカーはやりたいけど、ケガなどをして迷惑かけたら、悪い、などとも思ったのですが、そんな話をするだけでも、なんだか嬉しい気持ちになれました。

 講義は終わり、次は前期の最後なので食事会で、というような話にまとまり、そして、なんとなく集団で帰りました。こうした、普通の楽しさみたいなものが貴重なのだと思えました。50近くになって、こういう穏やかなうれしさ、は本当にあり得ないことなのかもしれない。それに何しろ、また同期が揃ったのは何だかありがたいことでした。

議論

 6月22日。火曜日。

 カウンセリングの施設での受付の実習があって、講義があって、それもいつも通りというか、かなり盛り上がって、勉強になって、そのうえで早めに終わったので、同期の7人で駅近くの居酒屋へ飲みに行きました。

 私はアルコールは飲めませんが、いろいろと話をし、かなり重めの議論みたいにもなり、恐さや厳しさも感じたのですが、でも、こういう議論みたいなものは絶対にやった方がいいし、こういう厳しさがあるのがやっぱり、高い年齢の人間の言い方になってしまうけれど、これが若さというものだとも思いました。

 こういう機会があって、少しずつ仲良くなっていくのだとも思いました。という事で、久しぶりに終電になってしまい、だけど、明日のゼミの発表というか、課題が、自分が思っていたところよりも、もう少し前の部分までで、つまりは分量が減ることが分かったので、少し気が楽になり、余計に、居酒屋にいる時間が長くなったのかもしれません。

 家に帰ったら、夜中なので、裏のドアのカギを開けて、部屋に行ったら妻は寝ていました。当然ながら起きません。これから、義母をトイレに連れて行って、夜中の4時過ぎまで、それが続きます。

 今日は、秋からの講義の日程表をもらいました。集中講義は、3日間でした。いくつかあるのですが、そのうちの一つを受講しないといけません。それなのに、なぜか自分でも分かりませんが、勝手に1日だけと思っていました。

 当然ながら3日なら3日びっちりと講義があって、だから単位として成り立つのは当然のことでした。すると、どれをとっても、そのうちに1日しかショートステイが使えず、あとの2日は、睡眠時間4時間くらいで死ぬ気で起きて、講義を丸1日受けるしかありません。

 これを逃すと、どうやら来年の後期の講義になるみたいで、そうなると、その時期は修士論文にかかりっきりになっている頃で、だったら、今回多少無理してでも、というような気持ちにもなりかかっていますが、それは今日寝て、明日からあさってまでに考えて決めよう、というような気持ちにもなっています。

 どちらにしても、次の金曜日までには決めないといけません。

 明日も講義で、修士論文を執筆するための研究ゼミで、今は、研究方法の事を書いているのですが、いまひとつ、何が書いてあるのか分かりません。でも、明日起きてからまた仕上げようと思いました。それが終わったら木曜日の本と、土曜日のロールシャッハをやらないと間に合いません。学生っぽいことを言っていられるのも、あと1年半くらい。焦りがありながら、でも、なんだか嬉しい気持ちでした。

研究

 6月23日。水曜日

 今日は、研究ゼミの日。昨日は実習で、誤字に気をつけてください、という張り紙があったりして、あ、自分のことだ?というような気持ちにもなって、他のみなさまに迷惑をかけてしまった、というような事を思ったりもしました。

 昨日の夜中に、居酒屋で「ザギンでしーすー」と笑顔で言っていた若い同期の事を思い出して一人で笑った話を、学食で会った、その当人に言ったら、「ザギンでしーすー」と、再び笑顔で言ってくれたので気持ちがなごみました。

 それから研究ゼミへ行ったら、教授が現れて、小さな隠し部屋のような、その教室を開けて、冷房を入れて、みたいな作業をしていたら、微妙な壁みたいな、厳しい感じとかもあったりするので、もう少し距離を縮めたいような気もするが、それも違うような気がしました。

 無理に距離を縮めたりしたら悪いのでは、でも、もう少しは距離が縮まっても、などとも思い、難しい、などと思っているうちに講義の時間になり、読んで来た本の話をする事になり、結局のところ、読んだ本は、やらなきゃ分からないのではないか、というような話になりました。

 そして、方針としては、これまでのモデルと言われているものとは違うものを作って行くという方向性が正しいのかもしれない、というような話にもうつり、だから、とりあえずは試しでいいから15分ほどのデータを持って来て、それで検討しましょう、というような結論になりました。

 講義が終わったら、けっこう疲れたりして、3人というか学生としては2人しかいない、という状況はとてても不思議ではあり、そういえば前期最後の講義は、飲み会だったりしないのだろうか、みたいな事も思い、だけど、あとの祭りでした。それでも、先生と言われる立場の人と少しは仲良くなりたい、みたいな事を考えたりするのも、若い時からの学生生活を含めても初めてのことかもしれません。

 そんな自分が不思議ですが、夏休みが近づくと、休みになっても、週に1度のカウンセリングの施設での実習は変わらずあるものの、なんだか暑い日差し、というようなイメージがふわっと頭に浮かんで、ちょっと楽しいような気持ちにもなりました。

 休みを楽しみにするような感覚も、初めてかもしれません。さらには、学校へ通うのが楽しい、みたいな感覚はもっと初めてかもしれません。

 研究ゼミが終わって、わりと古めの校舎の階段を下って、トイレに行って、一緒に講義を受けている明らかに優秀な若い同期と別れて、そして学校を出て、一人で黙々と駅まで歩いたりすると、ちょっと寂しい気持ちにもなりました。

 帰ってきたら、実は今日、義母が病院に行く日だったのを忘れていて、お医者さんから電話をもらったことを、妻に聞きました。そんな事は初めてでした。この前、その病院に行った時は、まだ学校に通う前でした。

 あれから随分と変化があり、それ自体が不思議に思いました。大学院に通うようになって、2ヶ月以上たつのですが、まだそんな気持ちが抜けません。

食事会

 6月24日。木曜日。

 学校について、講義の教室を間違えてしまいました。

 大学院2年生につられて、2階の教室で待っていたら、4階が自分が行くべき場所でした。自分でも、珍しいミスだと思いました。

 少し遅れて教室へ入ったら、今日、発表だったはずの同期の一人が来ないので、来ないかと思っていたら、ぎりぎりで現れました。体調が悪そうで、午後の実習も休んだそうで、さっきまでいなかったのも納得できましたが、大丈夫かとも思いました。

 それでも、その同期も含めて3人が無事に発表を終え、あとは前期の講義も残すところ1回となり、なんだか終わりが見えて来ました。それは私にとっては、ちょっと寂しいことでもあったりもします。

 それで、講義が終わって、外へ出て、遅れてきた同期が食事をしたい、というので、みんなも誘って食事をしようと言うことになり、近くの中華料理店に入りました。麻婆豆腐やぎょうざやいろいろなものを頼んで、その麻婆豆腐がすごくおいしく、何人もいたけれど、みんながおいしい、とちょっと驚いたような感じになりました。

 その間も、いろいろな話もして、そして、その遅れて来た同期も体調が戻って来たという事で、よかった、という話にもなったのですが、その帰り道に、地下鉄で一緒だったら、また少し深刻な話になりました。そういう話を聞くと、けっこう切ない気持ちにもなります。

 途中の駅で、白人男性が盲導犬を連れて、地下鉄に乗って来ました。

 そして、その同期は、新しく友達になった別の同期に、これから始めればいいじゃん、と言われたという言葉を残して、降りていきました。

 夏休みが見えてきました。もしかしたら、来年は修士論文に追われていそうなので、実質的には、早くも「最後の夏休み」ということになるかもしれません。

サッカー

 6月25日。金曜日。

 サッカーのワールドカップをやっています。
 日本代表の3戦目。妻は、負けるような気がする、と言っていました。私もそうかもしれないと思ったのは、2戦目の後半でチームがバラバラになるような空気を感じたせいでした。

 学校から遅めに帰ってきてからいつものように義母をトイレに行かせて、それからいろいろと勉強をしたりしているうちに時間が過ぎ、試合が始まって最初の10分くらいは負けそうな感じが確かにありました。

 だけど、これまでずっと入りそうもなかったフリーキックが入り、その次は、またフリーキックが成功して、夜中で一人でテレビを見ているのに声が出てしまいました。

 それから、1点を返されたのですが、あまり危なげもなく、最後の3点目、ペナルティーエリア内で、自分でもシュートを打てるのに、もっと確実なポジションにいる味方への本田圭佑のパスを見て、いい意味でぞっとしました。

 3対1。夜中に起きていて日本代表の試合を見て、がっかりする事も多かった気もしますが、こんなにちゃんと勝った試合は初めてだったかもしれません。

 試合が終わった時、一人でテレビの前で拍手していました。それから、義母をトイレに2度ほど行かせました。午前4時頃に、寝る時に妻が少しだけ起きたので、日本代表が勝った話をして、寝ました。

 ワールドカップがテレビをつけると見られることは、やっぱり楽しい時間でした。その上で、飲み会の手配をしてくれている同期にメールをうったら、返事が返って来ました。テレビを見て拍手するのは分かる気がする、という言葉があって、この10年間は、夜中に一人で見ていただけでしたから、そういうちょっとしたコミュニケーションはありがたいと思いました。

 明日は朝が早いけれど、先週に比べたらちょっとは遅いから、それだけでちょっとは楽です。9月の集中講義はさんざん迷ってとることにしたのですが、何ヶ月も前からしか取れなかったショートステイの日程と重なっているのは1日だけで、あとの2日は死ぬ気でがんばるしかありません。
 朝の8時に家を出る。その前の日も同じように午前4時頃に寝るから、睡眠時間が4時間。それで、夕方まで講義が続く。眠さと辛さを、今から想像して、でもやっぱり受けたい講義でした。

 こういうのは、学生っぽい話です。前期が終わるので、もうすぐレポートの季節にもなりますが、だけど、テストでなくてよかったと思いました。

 夜中に介護をしている自分にとってはワールドカップの中継は、見やすい時間帯でありがたいと思います。おそらく最後の学生時代が、ワールドカップと重なるのは、とてもついているような気もするのは、その話も学校でできるからでした。

夏合宿

 6月26日。土曜日。

 ロールシャッハの講義なので微妙にゆううつでもあったのですが、でも、昼休みには同期と一緒に近くのスーパーのような場所へ行き、弁当を買って教室へ戻る途中に、サッカーを一緒にやりましょう、という話もできました。

 それは、良かったのですが、その話の中で、冗談混じりで、いろいろな話題に広がり、それに対して、昔からそうなのですが、私はうまく合わせることができません。そういう人間関係の作り方は、年齢を重ねても自分が未熟なことを、改めて思わされたりもしました。

 そして、その昼休みに弁当を買って、教室へ戻って弁当を食べたりしていると、なんだか学生っぽくて楽しい、などと思っていると、合宿に行こうよ、みたいな話になりました。

 海がいい。湯ネッサンがいい。えー水着は嫌だ。じゃあ山へ行こうよ。キャンプは?かぶれちゃう。じゃあ、来なくていいよ。流しそうめんとバーベキューをやりたい。…みたいな話が続き、それは聞いているだけで、なんだかかなり幸福感を感じるような会話でした。

 でも、夏はショートステイもとれないから、だから泊まりででかけるのは無理だろう、と思っていて、少しそういう話をしたら、じゃあ日帰りでも来てください、と言われて嬉しかったけど、おそらく最後の学生生活の夏合宿なんていうものすごく魅力的な誘いにのれないなんて、すごく残念でした。

 そういう行事があったら、その日くらいは私が夜中のトイレの時もみるから、と妻に言われたのですが、これ以上の負担をかけるのは悪いと思っていますし、妻の体調も心配です。

 今日は、講義も早めに終わるので、家に帰ってきて、デイサービスから戻る義母を迎えることもでき、妻と二人でお茶をする時間もあり、夜は「すべらない話」を見て、そういう時間を過ごすのが一番の楽しみだし、という事も思い出しました。明日は、講義は休みですが、シンポジウムを聞きに行こうと思っています。

東大

 6月27日。日曜日。
「質的研究」のシンポジウムで東大へ向かいました。

 おそらく20年以上前に行ったきりですから、ずいぶんと久しぶりなのは間違いありません。門を入ると広い敷地でした。

 昨日、インターネットで調べておいてよかったと思ったのは、何もなければ、目的地がどこだか分からなかったからです。安藤忠雄の設計したカフェがあるはずで、できたら見たかったのですが、広くて分かりませんでした。


 安田講堂をわきに見ながら歩き、思ったよりもかなり小さいんだ、みたいな事も思い、歴史上では、この中でいろいろな事があったんだ、と思いました。

 記録の映像で見た安田講堂の印象より小さく見えたのは、まるで札幌の時計台のようでした。そこから山上講堂というような場所へ着き、そこで受付をしていて、中には同期も何人かいて、熱心だと思い、それから飲み物を買いに、中にある生協へ行って、そのあとにコーヒーを会場の入り口のそばで飲んでいたら、また同期が来ました。なんだかうれしく思いました。

 そして、「質的研究」のシンポジウムは始まり、講師は英語で、通訳をしてくれると言っていたのですが、かなり一部だけで、ほとんどが英語で、ナラティブの話をしていました。その内容を考えたら、まるで文学のようだったり、アートだったりのジャンルと近づくのではないか、とか、いうような疑問もわいたが、でも質問をするのはためらわれたのは、英語なので、理解が少なすぎたせいだと思います。

 それに自分の所属と名前を言うということになると、へたをすると、個人的な恥になるのはいいのですが、大学の恥になったら悪いな、みたいな事を私でさえ思ったので、黙っていたら、英語で質問をする人もいました。

 次はスロベニアの学者の方が話をしていました。Iポジションという言い方で、人は様々な環境や相手によってそれほど安定したアイデンティティではない、というような事を言っていました。
 それならば、そういう考えを持ったセラピストは、多重人格のクライエントに関わった時には、他のセラピストとは、その介入方法が少し違うのではないか、みたいな疑問を持ったのですが、さきほどと同じ理由で聞くのはためらわれました。

 司会をつとめる研究者は、自分の名前をカタカナで表記していて、それも質的研究の本質と関係があるのかもしれません。

 最後に複数の登壇者での対話になったのですが、話し合われていることは、ミックスメソッドという事で、質的と量的な方法の混在みたいな話になりました。私たちよりも、かなり前方にいる、先ほどは英語で質問していた初老の男性は、今回は手もあげずに、名前もつげずに、不規則発言はやめてください、という注意にも負けずに、何かを言おうとしていましたが、それを見て、他人事とは思えませんでした。自分も大学院では、あんなふうに見られているのではないか、というような気持ちです。

 シンポジウムが終わってから、何人かの同期とお茶を飲み、それから、居酒屋へも行って話を続けました。私と同じようなベテランの男性とも話をしました。その人は大学の先生もいいのではないか、と本気のようでしたので、そんな話もしました。他の人たちは若く、エヴァンゲリオンの話がしばらく続いていました。

 火曜日に飲みに行き、木曜日にも食事に行き、今日も自分は飲まないけど、飲みに行き、週に3回も飲みにいきました。ぜいたくな事でした。そして、夏休みがホントに近づいてきたと思いました。そういう感覚を感じるだけでも久しぶりでしたし、何だか楽しく感じました。

コジコジ

 6月28日。月曜日。

 講義がちょっとゆううつだったのは、フォーカシングへの苦手意識みたいなものがあったかもしれない、というより、かなり苦手なのは事実のような気がします。

 その感覚的な才能に欠けていると思ってから、もう2ヶ月がたって、その意識のまま時間は過ぎて、でも、あれだけがっくりとダメだった事から振り返れば、それよりは慣れて来たような気もしていますが、それでも、なんとなく苦手、というような気持ちはずっと持ったままでした。

 雨が降ってきて、デイサービスに行っていた義母が、いつもよりも少し早めに送迎バスで戻ってきたので、ちょっとだけ早くでかけられたのですが、その途中でテキストを忘れたのに気がつき、あ、と思っただけで、そしてやっぱり苦手意識があるから忘れるんだ、とも思いました。

 同時に、フォーカシングが学べる大学院だから入学してきた人の事を思い、なんだか悪い、とも思ったのですが、時間がないので、そのまま電車に乗りました。

 最寄りの駅について、駅のトイレで汗をかいた服を着替えて、学食へ行ったら、同期がいて、なんだかホッとして、ダンスの話を熱心にして、さらにダンス部に入りたいかも、みたいな話をしているのを聞いて、さらにホッとしたりもしました。大学院生でも、大学のサークルなどに入部も可能なようでした。

 そうこうするうちに時間になり、講義か-----、みたいな気持ちになってエレベーターに乗り、上の階にあがります。

 今日は、この前の講義の話の続きから始まりました。

 アートセラビーとは、アートを見るのもセラピーで、というような話を聞いた時に、介護で厳しいとき自分たちがアートを必要とするようになったのを思い出し、そのアートセラピーの話と重ね、なるほど、みたいな気持ちにもなりました。

 それから、ロールプレイもしたのですが、その演習みたいなものがかなり苦手で恐れるような気持ちもあったのですが、今日は、最初の距離を近づける、というような事はスムーズというか苦しくなく出来て、さいさきがよく感じました。

 さらにはフォーカシングで、イメージだけで気持ちがふわっと暖かくなるのを初めて感じました。そして、休みをはさんで次の演習みたいなものになった時に、いつもよく話すような同期と一緒になったので、やっぱりバラバラにした方がいいのに、みたいな事を3人の組で残りの2人が言うのを聞いて、微妙なガッカリと、少しホッとした気持ちにもなりました。自分自身が、不安だったせいかもしれません。

 その演習では、また人が替わり、しばらく休んでから復帰した人と一緒になりました。そして、その演習では、自分の悩んでいることを本当に話した方がいいと言われていましたので、終わりが見えた、という話をしました。
 その同期の人が、ちゃんと聞いてくれたせいもあって、今、若い人と一緒で、同じ場所にいるけど、比べてしまうと、自分の未来の短さみたいな事を思い、自分自身に少し慣れが出てきたせいで、余計にそのことを感じてきて切ないというか悲しい、みたいな気持ちになってきているのかもしれない。そんな内容まで話が進んで、そんなことまで思っている自分に、少しびっくりしました。

 2ヶ月前に、苦手だ苦手だ、という気持ちでいた時と比べると、少しは慣れて来た、というような気持ちにはなってきました。それは、ここにいて、その中にいる人たちと慣れて来た、という事も大きいのかもしれません。
 そして、少しのすき間時間に、同期と「コジコジ」の話も出来て、ちょっと嬉しく思いました。

 帰りは少し遅くなったのですが、でも、その講義が苦手だ苦手だ、という感じではなくなっていました。と思っていたら、もう残り1回になってしまいましたし、それに、終わりが見えてきてしまったのですが、でも、一日、一日を楽しく、というな気持ちには改めてなりました。

 家に帰ったら、義母の介護が午前4時過ぎまで続きます。

つらいこと

 6月30日。水曜日。

 実習ゼミでは、いろいろな話が聞けました。そして、自分が提出したテーマのようなものを皆さんで考えてもらい、とても有り難く感じました。

 さらには、私に対して、自分で抱え込みやすいので、というような話もされました。何ヶ月かの知り合いの同期でも、そういう事が分かるのか、みたいな事を思い、そういう気持ちで、この10年やってきたんだ、というような事も改めて思い、絶対にあきらめないというような気持ちみたいなものまで見えたようで、さすがにプロの臨床心理士には分かるんだ、と思いました。

 そして、その人の話してくれた事例が、リアルで、妙な言い方になってしまいますが、本当に勉強になりました。

 そして、実習ゼミが終わってから、そのまま駅まで歩き、途中の横断歩道で、別の実習ゼミの同期に会い、一緒に地下鉄に乗りました。

 その時間で、プライベートなことも含めて、話をしながら時間が過ぎ、そして電車を降りていく、若くて軽そうな男が、なんだかひどく欲望が表に露骨に出ている目つきで、こちらを見たのは、隣に座っている同期が若い女性だったからのようでした。

 私は、かなり年上の男性ですから、隣に座っていても、全く無関係の人間と思って、だから、あれだけ欲望丸出しの視線を投げかけてきたのでしょうけれど、そんな自覚もあの本人にはあまりなく、さらには、もしかしたら自分も、特に若いときはあんな目をしていたかもしれません。

 だけど、その若い男が降りて行って、そのことを少し話をしたら、みんながそういう目をする、と同期の女性が言っていました。そういえば、妻にも、20代の頃はそうだった、みたいな話を聞いたことがあり、ある程度歳をとると、そういう視線がなくなるから楽、と言っていたことも思い出したりもしました。

 特に若い女性は、こんなひどい視線を向けられているのを、初めて実感として少しだけ分かりました。

 同期の話を聞いていて、やっぱり世の中は不公平に出来ていて、つらいことが重なってしまう人は、重なってしまうので、なんだかちょっと切ない気持ちにもなりました。勝手な同情だったら失礼ですが、同期は途中の駅でいつものように降りていきました。




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