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「介護booksセレクト」⑮『野の医者は笑う----心の治療とは何か?』 東畑開人

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護books セレクト」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。

 その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。

 
 それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。

 今回は、私にも関係のある臨床心理学や、セラピストに関する本ですが、私自身も、いろいろと考えさせられましたし、もう少し広く対人支援職の方にも読んでいただければ、と思って、紹介することにしました。

 もし、ご興味があれば、読んでいただければ、幸いです。

臨床心理学

 私が臨床心理学を学び、身につけ、臨床心理士になるために、大学院に入学したのが2010年ですので、すでに10年以上前のことになります。

 それから、細々とながら仕事も続けてきて、当然ですが、学ぶことも継続してきているのですが、時々、自分が、臨床心理学についてほぼ何も知らない時の気持ちを、忘れていることに気がつきます。

 「占い」と「カウンセリング」が、それほど区別がつかないように考えられていることに接すると、臨床心理士/公認心理師になって、自分が、いつの間にか、当たり前のように、臨床心理学を前提に考えていることに思い至ります。

 そして、専門的な知識と技術があるのは大事なことで、専門家であれば当然のことなのですが、その専門知に対して批判的な見方を無くしたら、それは、どこか危ういことなのではないか、といったことを時々、考えさせられることがあります。

 それは、心理士(師)だけではなく、特に対人援助の専門家にとっては、同様に大事なことではないかとも、僭越ながら思うこともあります。人を支援するとは何か?という根本的なことは、忙しい中でも、完全に忘れてはいけないことではないかと思います。

 そんなことを、改めて考えさせてくれた本がありました。

『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』 東畑開人

 筆者は臨床心理士で、博士号も取得している研究者でもある人です。

 そうした人が、沖縄で「野の医者」と表現する国家資格などを持たないヒーラーやカウンセラーの方々のことを調査し、聞き取りなどもした上で、この本のタイトルにもなっている「心の治療とは何か」についても考察を進めている本です。

沖縄では困ったことがあったときに、ユタに相談にゆく習慣がある。

 そういうベースがあるせいか、メンタルクリニックや心療内科もあるとしても、沖縄には、筆者が「野の医者」と呼ぶ存在がとても多いといいます。

 そして、その存在を考えるときに、筆者は自らが所属する臨床心理学の世界のことも、改めて考えざるを得なくなるようです。言ってみれば、近代医学の外の存在でもある「野の医者」を、ただ科学的ではないと語るのではなく、臨床心理学そのものについて、再考する姿勢は、偉そうな言い方になったら申し訳ないのですが、臨床心理士としても誠実であるように思いました。

「自分を癒やすために大学院に入る人が多すぎる」
 科学に憧れる臨床心理学関係者にはそのように嘆く人も少なくない。
 だけど、もしかしたら、それはミイラだったことを忘れたミイラ取りの言い分なのかもしれない。

 こうした声に近いことは、大学院に通っていた時に、私自身も聞いたような気がしているのは、過去に傷ついた経験があった学生が臨床心理学を学ぶことに対して、微妙に批判的な目が向けられているように感じたこともあったからです。

 同時に、自分が傷つき、だからこそ、人が傷ついたことに関しての理解が深くなる可能性もあるので、私自身は、そうした自分を癒す動機であっても、学ぶ過程で、支援する側の人間になっていくようなことがあるのではないか、とも思っていました。

 著者は、臨床心理学の科学性に関して、本来はエリートであるのに、その科学の「中央」から遠い場所だからこそ、改めて考えを深められたのかもしれません。

 日本の臨床心理士は様々な治療をごちゃ混ぜにして使っているということだ。私たちもまた、ブリコラージュしている。
 これは日本の臨床心理学の未成熟を表すものなのか。その教授はそういう状況を嘆いていた。

 確かに学問として科学的に深めていくのであれば、いろいろな治療法を使うというのは、不純に思えるようなこともあるのでしょうけれど、クライエントが抱える困難さが多様である以上、一つの治療法だけでは、限界があるのではないか、といったことも、現場で働いていくと、考えざるを得ません。

臨床心理学というのは思ったよりも、曖昧で怪しいところにいるのかもしれないなと私は思った。

 これは、おそらく臨床心理学だけではなく、援助職もさまざまな国家資格があるわけですし、そうであれば、それぞれの科学的な根拠や理論も当然あるはずですが、現場の専門家であれば、おそらくは、その理論通りに仕事を進めるのは、難しいことも少なくないと思います。

 相手が生きている人間である以上、そうした存在を扱う学問は、曖昧な部分が出てくるのも必然かもしれませんし、それでも、客観性を持たせるために努力してきたのがフロイト以来の臨床心理学だったはずで、この著書を読んでいると、そうした歴史的なことにまで、思いが至ったりします。

「野の医者」という存在

 筆者は、フィールドワークを通して、この「野の医者」の存在について、かなり考察を深めていくことになります。

 野の医者の真実はこうだ。野の医者のクライエントは野の医者なのだ。実際に野の医者にお金を支払うクライエントのほとんどが野の医者なのであり、野の医者を取材すれば、その患者を取材したことになる。(中略)それは病むことと癒やすことが「生き方」になるということだ。

 病んだ人が「野の医者」に癒しを受けにいく。そして、その病んだ人は、自らも「野の医者」になり、人を癒すことで、自分も癒やされていく。その構造の中で経済も回っていくことを、著者は指摘しています。

 なぜ沖縄に野の医者が多いのか。それは沖縄が貧しいからではないだろうか。
 彼らは新しいキャリアと経済的な自立を夢見て、野の医者になる。
 野の医者というのは資本主義の鬼子なのだ。

 この点に関しては、おそらくは違う視点からの考察や異論もありそうですが、この構造とは、自分も無縁ではないような感覚があります。

 仕事を辞めざるを得ず、介護に専念する生活をする中で、家族介護者にこそ、心理的支援が必要だと考えたのは、自分自身が、そうした支援があればいいのに、と感じたことが最初のベースになっています。

 今もそれほど多くないのですが、私が介護を始めた頃の2000年代は、介護者の支援そのものが、もっと少ない時代でした。ですから、自分自身で支援する側になろうと思ったのは、「野の医者」の構造と同じ部分が多いように感じています。

 その時に、自分の経験をそのまま生かすのではなく、もっと普遍的な支援の方法を学んだり、自分の経験を少し「外」から見るような時間を経ないと、経験だけに囚われて、気がついたら、自分の経験を相手に押し付けるような支援になる危険性を感じていました。

 そのために、カウンセラーの中でも、最も学習期間も訓練期間も長く、その上で、常に自らの根拠(臨床心理学)そのものを問い続けるような姿勢があるのが、臨床心理学でもあると思いましたので、臨床心理士になろうと思いました。

 それでも、今でも、自分の当事者性については、批判的に見られることがあるのも自覚しつつ、その上で、その当事者性が、支援に役に立つのであれば、どうすればいいのかは、考え続けています。

 そうしたことも含めて、この書籍によって、改めて振り返ることもできました。

「回復する」ということ

 個人的には、この書籍で最もいろいろなことを考えさせてもらったのは、この部分でした。

 それは、筆者がフィールドワークをする中でたどりついた沖縄の大物のX氏の言葉です。

 劇的な変化と言うけど、それはあくまで躁状態になっただけであって、本質的な部分は何も変わっていないんじゃないか。(中略 X氏)「この世界では、精神医学が言う軽い躁状態を、一番元気な状態だと見ますね。だから、ニュートラルではないんです。軽い躁状態を、よくなる、と言います」

 沖縄だけではなく、カウンセラーという肩書きは、何の資格も裏付けもなくても、すぐに名乗れる肩書でもありますから、偉そうな言い方になったら申し訳ないのですし、自分のことも含めて考えなくてはいけませんが、本当に玉石混交の世界だと思います。

 それでも、今困っている方から見たら、魅力的に思えることは自然だという前提はあったとしても、すぐに元気になる、と断言するカウンセラーがいたとすれば、どうしても警戒心を抱いてしまいます。

 その理由が、改めて分かったような気がしました。

考えてしまうこと

 本当に危機的に気持ちの落ち込みがある場合は、その時間を乗り切るために、もしかしたら、軽い躁状態が必要な時があるのかもしれません。ただ、それが可能になったとしても、それは、必ず揺り返しのように、また鬱の方向に落ちてしまうことも多いと考えられます。

 そうであれば、軽い躁状態にし続けるために、そのカウンセリングへの依存的な状態を作りかねません。そんなことを考えると、その軽い躁状態を、よくなる、と表現する世界には、どうしても抵抗感があります。

 それでも、そうした「軽い躁状態」を、元気になって、よくなった、と喜びと満足感を得ているクライエントがいらっしゃるから、そうした方法が成立しているはずですし、外側から良し悪しの判断をするのも、とても難しいのでは、というあいまいなことしか言えなくなります。

 私にとっては、支援職としての自分の当事者性、治療方法としての臨床心理学、そして、心の治療とは何か?というタイトルに沿ったことについても、改めて考えて、さらには、考え続けなくてはいけない課題も多かったように思いました。


 臨床心理士や公認心理師といった、心理学を用いて、支援をしている方々だけではなく、広く対人支援をしている方、もちろん介護の専門家の方々にも、できれば読んでいただければ、私よりも、もっと幅広く、深い理解ができる可能性もあると思い、紹介させてもらおうと思いました。

 

(こちら↑は、電子書籍版です)



(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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