Project Row Houses

ヒューストンのコミュニティー・アート

前回、「アート・アプリシエーション」のお話をしましたが、ジョアンさんのアートのクラスによって、私の海外でのアートの旅が始まったと思います。ジョアンさんのご紹介だったと思いますが、ヒューストンの3区と呼ばれる地域にあるProject Row Housesで、日本人アーティストのマスミ・カタオカさんが子供向けの講座をやっていると聞いて、行ってみることを勧められました。当時、少しでも興味のあることを聞くと、スポンジのような吸収力と迅速な行動で、すぐに駆け付けたのを思い出します。車社会のヒューストンにいながら、バスを乗り継いで行ったのを思い出します。
この3区という地域は、アフリカ系アメリカ人の人たちのコミュニティーで、当時は色々な社会問題があるからあまり近づかないようにという人もいました。実際に伺った時には、Project Row Housesの方々によくしていただいたのを覚えています。フラワーマンという素晴らしい方にも会えて、家の至る所にディスプレイされたアート作品や収集品を見せていただいたのを思い出します。

実際にProject Row Housesに伺った時には、マスミ・カタオカさんにもお会いできましたが、同時にオタベンガ・ジョーンズ・アソシエーツのメンバーの一人であるロバート・プルーイットさんにもお会いすることができました。後に現在、私が居住する山口市にオータム・ナイトさんとお越しくださり、お二人にトークとパフォーマンスをしていただくことができました。オタベンガ・ジョーンズ・アソシエーツに関しては、私がヒューストン大学の大学院で学んでいた時に、ラファエル・ルビンスタイン先生(元アート・イン・アメリカのシニア・エディター)が担当されたキュレーションを学ぶ授業で、アーティスト・コレクティヴについてのリサーチ課題で取り上げましたが、このお話も面白いので、また、後日、機会のある時にお話しします。


ショットガン・ハウス

さて、ようやくProject Row Housesにたどり着く経緯をお話ししましたが、もともとは、ショットガン・ハウスと呼ばれていた簡易住居の移設をその地域のアーティスト達が協力して行ったところから社会変革が始まります。ここで、ご説明しておきたいことの一つは、ショットガン・ハウスと呼ばれる理由です。ショットガン・ハウスは奥に長い平屋なのですが、壁が薄いため、ショットガンで撃たれたら、弾丸が簡単に突き抜けてしまうくらい脆弱な建物と理解されていました。それぐらい、安全が約束されていない建物だったのです。アフリカ系アメリカ人の方々の歴史を辿るとなぜそのような住居に住まないといけなかったのかが理解できると思います。でも、そこでは家族が身を寄り添って、力強く生き抜いてきた光景も想像することができます。そのような歴史のある建物の移築と保全という象徴的な行為が、アフリカ系アメリカ人の誇りが読み取れると思います。実際には、テキサス州のヒューストンは発展が著しい都市の一つでもありますし、近年の歴史遺産保全というのは、アメリカの歴史に対する姿勢の新たな表れだと思います。
また、先ほど、お伝えしたロバート・プルーイットさんとの会話や私がProject Row Housesでの滞在制作で取り組んだプロジェクトで、「ルーツ」について、話題になったことの一つとして「アイデンティティー」があります。

ルーツの創造的視覚化

「アイデンティティー」とは、その人がその人であること。または、どこから来たのか。といったことですが、Project Row Housesでの私のプロジェクトは、ネイティブ・アメリカンを祖先とする人を対象に参加を募って、自分のルーツを遡るというものでした。実際に、このプロジェクトでは、白人、または、コケージャンとカテゴライズしている人や黒人、または、アフリカ系アメリカ人としてカテゴライズしているが、祖先にネイティヴ・アメリカンがいる方を対象にインタビューや白黒のフィルムでポートレート撮影をしたり、足の方を撮ったりするプロジェクトでした。確か、その際に、ロバートさんからいただいたお話で、「自分の祖先がアフリカから奴隷として連れてこられた事実はあるが、実際に記録が残っていないので、アフリカのどの地域から来たのかは定かではないから、アメリカでは常に自分達のアイデンティティーを作り上げる必要がある。だから、その姿をアーティストとして描いている。」とルーツの創造的視覚化に関するコメントをいただいたの今でも覚えています。ここで、自答することもあるかもしれません。「日本人が日本人であるとはどういうことか?」この辺りのことについても、また次回以降で書き連ねたいと思います。

ジョン・ビッガーズ

ここで、「どこから来たのかわからないが、祖国はアフリカのどこか」という疑問に対して、それを多角的、かつ、創造的にイメージを描き、ロバート・プルーイットさんやProject Row Housesの設立者のリック・ローさんはじめ、共同設立やの方々、また後世に多大な影響を与えた人物として、ジョン・ビッガーズさんがいます。ジョン・ビッガーズさんは、ニューヨークで1920年代前後に起こったアフリカ系アメリカ人の文化復興と呼ばれるハーレム・ルネッサンス以降にその精神を身にまとい、母なる大地であるアフリカ大陸の文化や生活を描き通したアーティストです。

https://thejohnsoncollection.org/john-biggers/

彼の直向きなアーティスト活動が、リック・ローさんはじめ、ヒューストンの3区を拠点に活動するアフリカ系アメリカ人アーティストや当時留学生だった私のような人物に、多大な影響を与えました。当時、さまざまな社会問題を抱えていた3区は、Project Row Housesのおかげで、シングルマザーの困難や子供の教育、私も参加させていただいたアーティスト支援のためのアーティスト・イン・レジデンスなどのプログラムを通して、さまざまな課題に真摯に取り組み、大きな成果を上げていたことが私に大きく影響を与えました。その影響は、今、現在、取り組ませていただいているプロジェクトにも繋がっています。

まだまだ、お伝えきれないですが、今回はここまでとさせていただきます。

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