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テキサス州ヒューストン


なぜ、ヒューストン?

前回までに何度かアメリカ留学のことに触れました。行き先は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン。「なぜ、ヒューストン?」とか「何を目的に?」と訊かれることが多々ありました。
私の家族で海外で暮らしたことのある人は誰もいないかったので、コネがあるわけではなく、全く縁もゆかりもない土地でした。アメリカ留学をするまでの大学の学部時代には、アメリカに3回ほど、旅に出たことがありました。ボストンでの語学留学、西海岸から東海岸そして西海岸へ戻るアムトラックでのアメリカ横断の旅、ニューヨークの9/11追悼とカナダへの旅。。。ただ、テキサスでしっかりと時間は過ごすことはありませんでした。
大学4年生の頃に、アルバイトに明け暮れ、卒論に取り組みながら、留学の準備をしたわけですが、カリフォルニアで生活した経験を持つ帰国子女の綿引君のアドヴァイスをもらっていました。

自由に学ぶ

当初1年だけの留学を見込んでいたので、「自由に色々と学びたい」、「せっかくなら2つ言語に触れてみたい」、「暖かいところがいい」、「なるべく日本語を使わないで自分を追い込めるところ」と希望を伝えました。
過去の旅も参考に自分なりにも候補を考えたんですが、フランス語も良いなと思い、カナダのトロントやモントリオールも考えましたが、当時やっぱり寒いところは苦手でした。ネイティヴ・アメリカンのことも興味があったので、ニューメキシコのあたりも英語とスペイン語が学べるかもと綿引君から薦めてもらったり、彼の住んでいたカリフォルニアのロサンゼルスやサンフランシスコも候補の一つでした。
そして、最後の一つがテキサス州ヒューストンでした。メキシコに接しているテキサス州なので、スペイン語も学べると言われ、当時の物価もそんなに高くなく、暖かい、そして、コミュニティー・カレッジに行けば、好きな授業を取れるし、当時興味のあったネイティヴ・アメリカン居留地のあるニューメキシコなどの地域にも近いという好条件だと気づきました。実際、卒論では、ネイティヴ・アメリカン女性ライターのレスリー・マーモン・シルコーさんの「ララバイ」という作品を日本語訳し、その物語に書かれた社会問題などを実際に理解したいという気持ちもありました。当時の動機は、アメリカの社会を実際に生活して見てみたい。バスケットボールの本場に身を置きたい、色々なものを見たり体験したりして学びたいとうものでした。
そこから具体的にヒューストン・コミュニティー・カレッジに英語でメールを書いて、問い合わせたところ、迅速に回答をもらえたので、ここならうまく進みそうだなと思い、着実に準備を進め、入学許可や学生ビザの発給などをしてもらい、留学する事ができました。
当時、自分なりに語学力はついていると思ってはいたものの、やはり大学レベルで現地のネイティブの人たちが受講する英語のクラスについていくのは難しかったので、最初は英語を第二言語として学ぶ人向けの授業を取る必要がありましたが、その後は、スペイン語の授業やアート系のクラスなどを受講し、刺激的な日々を暮らす事ができました。

アート・アプリシエーション

その時に受講したアートのクラスの一つで、確か「アート・アプリシエーション」という芸術鑑賞を目的とした授業が、私がアートを深めていこうと思うきっかけになったと思います。
担当の先生は、ジョアン・ブリガムさんというインスタレーションを手掛けるアーティストの先生でした。とても面倒見が良く、英語でのコミュニケーションがまだしっかりとできないような留学生の私のことをよく受け止めてくださいました。また、アートの奥深さやアーティストの自由な生き方など、ジョアンさんの授業を通して、目を見開かされました。ある時の授業で、実際の作品を鑑賞しようとヒューストン・コミュニティー・カレッジから徒歩5分ほどのところにあるステーション・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アートに連れていってくださいました。のちに私がアシスタント・キュレーターとして働かせていただいた私設美術館です。初めて、訪れた時の衝撃はものすごいものがありました。ものすごい血生臭い儀式を取り扱った作品の写真やビデオ、儀式で使われたような道具の数々、その中で制作された大きな絵画の数々が一つの美術館を埋め尽くしていました。あまりの衝撃で頭が追いついていなかったのですが、一通り見終わってふとベンチに座ったところ、たまたま館長さんとお話ができました。ベンチには私の隣にお年を召した男性も座っておられ、館長さんからその方が作者の方だよと指を刺して、教えてくれました。「えっ?!このお年を召した方が?これを全部?」アートの知識がほぼない当時の私にとっては、どれほど貴重なことかわかりませんでしたが、今となっては本当に奇跡的な遭遇だったと思います。後ほど、こういった体験や遭遇が少しずつ増えてくるのですが、その方は、オーストリアのアーティスト、ハーマン・ニッチさんでした。ご興味のある方は、ぜひ以下のリンクを見てください。




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