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「ブランド」の価値とは

{デジタル時代の基礎知識『ブランディング』 「顧客体験」で差がつく時代の新しいルール}という本を読みました。


ぼく、これまでのnoteでも何回かだけ書いてきたんですけど、このnoteや人との会話のなかで『ブランディング』と『マーケティング』の2つの単語はできる限り使わないようにしています。

文脈上、どうしてもそれらを使わないといけないときとか、いま相手の求めてる言葉は絶対にこれらだなっていうときとかだけ、使ってます。

なんでそうして用途を限定してるのかというと、人によって定義がバラバラすぎるからです。

言葉はコミュニケーションを取るためにあるのに、その言葉を使うことによってお互いの認識がズレてしまうのは、本末転倒です。

実際、ぼく自身もこれらの言葉の意味をちゃんと理解できてません。

なので、これまで安易には使わないようにしてきました。

ただ、やっぱりビジネスの現場にいる以上、これらの言葉との関係は切っても切り離せないものなので、勉強しようと思って手に取ったのが本書という流れです。

結果的に、この本を読んでいままでぼくがモヤっと考えていたことが晴れたので良かったです!


ぼくがモヤっと考えていたのは、そもそも『この世にブランドって必要なの?』ということ。

ここらへの問いは、少し前のnoteで書いたこととかぶります。

上のnoteのタイトルは『本当の「価値」とは』というものになってるんですが、要は『ブランドっていう価値は、本当に価値があるのか?』ということがぼくにとっての疑問でした。

すごい極端な例を出せば、1000万円する時計と100均の時計で、『時間が分かる価値』に関しては全く一緒なわけです。

じゃあなんでそんなに価格に差が出るのかというと、多少いい部品を使っていることと、あとの大半は『ブランドとしての価値』が価格に転嫁されているところが大きいはずです。

ぼくはこのことに対して、すごい悪い言い方をすれば『ボッタクリじゃん!!!!!』と思ってました。

ただ、この本を読み進めていくなかで、その1000万円は、ちゃんと1000万円の価値を消費者に提供してるんだなということを学びました。


それで、どういうふうに価値があるのかに関して、あえて逆の世界を想像するところから始めると、本中で『この世にブランドが存在しなかった場合、消費者はなにも買うことができません』みたいなことが書いてあって、たしかに!と思いました。

選択肢が増えすぎたのと、あと技術がコモディティ化した現代において、細かいスペックなどは正直そこまで差がありません。

というより、細かく見ていけばもちろんあるんですが、大半の消費者にとってその微小な差を見極めることにイチイチ労力を割いてられないのです。

そうなったとき、消費者はなにをもとに商品を決めるのかというと『ブランド』です。

水なんて、こと日本においてはどのメーカーのものを飲んでもさして変わりませんが、いろはすの『飲んだあとしぼれて環境に優しい』という『ブランディング』があることによって、『どうせ買うならいろはすにしとくか』という思考回路が発生するのです。

ぼくたちは普段の生活のなかで、すべての選択においてイチイチ細かいスペックの比較検討をして、どれがいいか吟味するほどヒマじゃありません。

というか、そもそもぼくたちの大半の選択においてそういうことをしようという意欲がありません。

そこで『ブランド』があれば、消費者は脳のリソースを浪費することなく、意思決定をすることができるのです。

つまり、この『消費者の脳のリソース浪費を避けて意思決定を楽にしてあげた』ことに対する価値が1000万円の時計には含まれているのだなと学びました。

本中にあった『ブランドは私たちの情報処理機能を簡略化する、という社会的機能があるのです』という言葉が、すごくしっくりきました。




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