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悪い兆候が出てます(笑)。

noteの下書き機能を使うと、書いた順番とは別の順番で記事を公開することができます。

複数の下書きがあると「今日はこんな気分ではない」「今日はこっちの記事を公開しようか」…そんなことを考えたりするのですが、いつまでも残っている下書きというのも存在します。

私の場合は、現在の自分に不釣合いなテーマを書いてしまうこともあり、そのような記事を公開しようとすると、不意に抵抗感を感じ、下書きのまま残っている場合があります。

どんなテーマかと言うと、少し遠くを見すぎていて足元がおぼつかない記事、というものが多く残っています。

noteで記事を書く」ということは自分の現状だけではなく、未来の姿を見据えて記事にすることもあると思うのですが、ときに遠くを見過ぎて足場が見えなくなり、思わぬところで転んでしまうリスクも含んでいると思います。

今回は、公開した記事ではなく、下書きの記事から何が読み取れるのか?ということについて書いてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

女性・モノクロ・足元・挫く・階段

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さて、どのような記事が残ってるかと言いますと「最終的にはこうであってほしい」と願うことや「最終的にはこうでありたい」という未来の自分像という記事が多いのですが、その具体的な方策というのは一切書かれていません(笑)。

私の過去の記事に「ゴールを見据えたら、そこから逆算してマイルストーンを決めていく」と言った内容を書いたことがあるのですが、ゴールを見据えた後、そのために何をすればいいのか?という手段が抜け落ちている記事がいくつか転がっています。

過去の経験上、これは自分にとって非常に悪い傾向で、調子に乗っている…と言うと語弊があるかもしれませんが、自分の精神が浮ついている状態と言い換えることもできるかもしれません。

理想論のみを語っている状態に近いかもしれません。

座右の銘…とまでは言いませんが、常に大事にしている言葉に「油断大敵」という言葉があります。

これはのみならず、人間は慢心をする生き物であり、その慢心ゆえに大きな失敗や挫折をしてしまう、ということも往々にしてあると考えているからです。

事実、過去の私は、油断をしたがゆえに何度か大きな失敗を繰り返しています。

noteに記事を公開するという作業は、現在の自分を見つめ直したり、過去から現在への自分の在り方を問い直す、大切な作業という風に捉えることもできますが、 一方で、他者の存在を感じながら自身の想いを書くその中で、どうしても歪んでしまう想いがあると思うのです。

女性・寝転ぶ・手で顔を覆う・自然・金髪・リスク

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人間というのは、承認欲求もありますから、無意識に、何か現在の自分とは少し違った形で自分表現したくなってしまう、という欲求に駆られてしまう時があります。

そのような状態に陥ってしまうと、本来の自分のあるべき姿とは別の姿になってしまうのではないでしょうか?

この違和感から、日常において無自覚にストレスを蓄積し続けるということが起こりうると思います。

noteというツールを使う時に、投稿した記事から自分の想いや考えを理解するということもできますが、タイトルだけであったり、その時は良いと思っても、なかなか公開できずにいる記事がある場合は、そこにも何らかのメッセージ性があると私は思っています。

下書きは、公開記事よりも削除しやすいと思います。

しかし、安易に削除をする前に、一度その記事を見つめ直し、加筆修正するにせよ、そのときの想いや考えを鑑み、なぜその記事を書いたのか?に目を向けることで、今の自分の慢心や油断といったものにも、改めて注意が向くのではないでしょうか?

女性・デスク・作業・メモ

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ということで、今回は「公開せずとも下書きを眺めることで後悔のない生き方にできるのではないか?」という若干ダジャレにも近い回答で終わりたいと思います(笑)。

最後までお読みいただきありがとうございました。

投稿は以上となります。

今ストックしている下書きは、何とか消さずに公開したいと思います(笑)。

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