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猫とわたしとロングバケーション

看護の仕事を辞めて3ヶ月とちょっと。

失業手当をもらいながら、まるで時間が止まったような世界で暮らしている。

のんべんだらり。
夫を見送ったあとは、時間に急かされることもなく、朝ごはんを食べ、撮り溜めていたドラマを見て、猫2匹と一緒に庭に出て洗濯を干す。

うちの塀は猫が脱走しないように、背の高い塀になっている。(夫のDIYかなりの力作だ)

それでも一歩塀の外に出れば車がビュンビュン通っているので、少しの隙間から出て行かないように見張るのがわたしの仕事。

猫が庭のニャルソックや日向ぼっこを終え、満足したら一緒に中に入る。

何も予定のない一日。
何をしても怒られることはない。
働いていたときは喉から手が出るほど欲しかった自由な時間。

時間に追われて働いていた頃は、猫のペースに合わせて庭で遊ばせてあげるなんて全くできなかった。

「あぁ、わたしは今自由なんだ」

掃除、洗濯、料理などの家の仕事はやるが、それ以外の時間はなんの予定もない。

家で映画を見たり、溜めていた本を読んだり、散歩をしたり…

眠くなったら猫と一緒に昼寝をする。

なんて贅沢な時間だろう。

わたしは一日の大半を、深く深く自分を見つめる時間に費やした。

「わたしは今、何をしたいのか」

いちいち自分の内面に聴き、自分の喜ぶ選択をした。

今までの人生でやってこなかった大事なこと。
忙しさに追われて、こぼれ落ちてきたこと。
自分を犠牲にして、家族のため、患者のためと、心を無にしてがむしゃらに働いてきた30年。

ひとつひとつ丁寧に自分に向き合う時間は、わたしにとって尊い物だった。

でも、休み始めてすぐにはそのような気分になれなかった。

なんとなく『ソワソワ』する。
「何かやらなきゃ」という強迫観念もあった。

のんびりすることに慣れていなかったのだ。

その気持ちをメンターに相談すると
「何十年、身を粉にして働いてきたの。たかだか1〜2ヶ月休んだくらいで足りるわけないでしょう。観念してじっくり休みなさい」
と、あっさり言われてしまった。

「そりゃあ、そうだ」
納得してからは早かった。

初めの頃は
「一生懸命働いている夫に対して、わたしは何もせず生産性のカケラもない」
と、勝手に自己嫌悪に陥っていた。

だが、開き直って『とことん自分自身を大事にしよう』と決めてからは、夫の反応も変わってきた。

仕事から帰ってくると
「今日はゆっくり休めた?」
などと言うのだ。

これにはビックリ。
というか『コレかぁ』と本気で腑に落ちた。

何が『コレかぁ』かというと…

この世の中は、自分の写し鏡だから
『自分が自分にしたように、周りも反応する』
ということだ。

例えば、わたしは価値がないと思っていると、周りの人はわたしに価値がないと言ってくる。

逆に自分自身を大事にしていると、周りの人からも大事にしてもらえるという話だ。

わたしも以前からこのような勉強はしていたので分かってはいたが、『わかる』と『腑に落ちる』は天と地ほどの差があった。

こうやって少しずつ、わたしはわたしの心に正直に暮らせるようになってきた。

今はわたしも猫の生活に混ぜてもらってるかのように、なんの罪悪感も持たずに過ごしている。

猫はすごいなぁ。
本当に自分のしたいことしかしないんだ。

この先のことはまだわからないが、わたしが「よし、動き出そう」と思える日まで、猫先輩たちとダラダラと心地よく過ごそうと思っている。

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