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【書評】大江千里『ブルックリンでジャズを耕す-52歳から始めるひとりビジネス』レビュー

シンガーソングライターとして第一線で輝きながら、50代にしてキャリアをすべて捨てジャズピアニストとして全米デビューを果たした大江千里氏。

そんな著者が2018年1月に送り出した新作著書が、今回ご紹介する『ブルックリンでジャズを耕す』です。

本書には『52歳から始めるひとりビジネス』という副題がつけられていますが、単にビジネスのことやニューヨーク生活を伝える内容に終始しません。50代に勇気を与える、という類のものでもありません。それらの要素も含まれてはいるのですが、本書の味わいは別のところにあります。

『ブルックリンでジャズを耕す』を短い言葉で表すとすれば「心に色を塗る魔法の絵の具」です。

40以上ある章の一つひとつはそれぞれ異なる景色をみせてくれます。著者の紡ぐ心地よい世界は温もりと優しさ、慈しみに満ちていて、読者の心を虹色に彩るのです。

『ブルックリンでジャズを耕す』0

人生の見つめるべき場所を示してくれる

本書で綴られるのはブルックリンでの「音と共にある生活」や、チャーミングな愛犬と共にかけがえのない一日を大切に噛みしめ暮らす様子です。

音楽に揺られ音楽を奏でる日々のこと、なにげない一瞬や隣人とのやりとり、思わぬトラブル、経営者としての四苦八苦。大小さまざまな事象に対峙しながら著者は「人生の見つめ方」を教えてくれます。

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隣人とのふれあい

たとえば毎日のゴミ出しのたびに会うゴミ箱管理職の「ジョセップおじさん」とのひと幕。

いつものお礼にとチップを渡す著者に対して「そんなのいけないよ」と拒否するジョセップおじさん。

半ば強引にチップを渡し、愛犬と出かける著者でしたが、帰りがけにジョセップおじさんがチップを取り出して手を合わせて空を見上げ、顔の前で十字を切る場面を目撃します。

「チップをもらうことが当たり前になっている人たち」が多いアメリカに辟易としていた著者に安らかな温もりを届けたシーンです。

愛犬ぴーすとの冒険譚

また愛犬のぴ(ぴーすというダックスフンドを筆者はこのように愛称で呼びます)と一緒に散歩を楽しむ際は、ぴの選んだコースに合わせながらニューヨークの町並みを無計画に歩きます。

だいたい人生などいつ終わるかわからない。今日のこの目の前の散歩を、今までで一番のものにしてやらないと僕たちの生きている意味がない。
大江千里著『ブルックリンでジャズを耕す』(P53より引用)

散歩は単なるライフワークでなく、著者と愛犬にとっては二度とない大切な瞬間です。

そんな意を知ってかしらずか、ぴは気まぐれにルートを選んで散策します。随所にちりばめられるふたりの心地よいコンビネーションも本書の魅力の一つです。

つかのまのひと時

慌ただしい日々の谷間に計画した湖畔でのささやかなバカンスでは、友人と犬たち2匹を乗せてボートを出し、湖の真ん中で乾杯します。

森や芝生の緑と夕焼けのオレンジがグラスに注がれる泡の向こうに吸い込まれてゆく。
心がゆっくり開いてゆく。ストレスがこぼれ落ちてゆく。大きく息を吸ってゆっくり吐いてみた。心が一瞬「無」になった。
大江千里著『ブルックリンでジャズを耕す』(P115より引用)


柔らかなグルーヴで描写される湖畔のひととき。本書には心をいたわるやさしさも染み込んでいます。

折れない志

『ブルックリンでジャズを耕す』

あるときはトランプ政権の誕生に揺れ動く世界と、それに呼応してざわつく心の内側も吐露します。しかし最後にはきまって、生命力に満ちた力強い言葉で結ぶのです。

これからも人生は驚きの連続かもしれないが、「ユーモア」を忘れずに「毛布」に包まらず、裸一貫で立ち向かいたい。ピリピリしたあの美しいピンクの朝日に包まれた瞬間をしっかり心に留めて。
変化を恐れるな。孤独を楽しんで。先へ先へ。
大江千里著『ブルックリンでジャズを耕す』(P188より引用)

死者との対話

そしてときには深い哀しみにも遭遇します。著者が「兄であり師匠」と呼ぶ先輩音楽家の大村雅郎氏が亡くなり墓参りに行ったときのこと。大村氏は著者を松田聖子のアルバムに著者を紹介した恩人でもあるそうです。

墓石に触れながら亡き大村さんに話しかける著者。そこへ1羽のアゲハ蝶が飛んできます。蝶は筆者とお墓の周りを悠々と一周してどこかへ去っていきますが、また戻ってきて筆者とお墓の周りをぐるぐる回ったのだそうです。

はっと思った。もしかして大村さん?
蝶は生まれ変わりだとよく聞く。涙がこぼれ、蝶を見つめた。羽を優雅にはためかせながらパタパタと照れくさそうに舞う。
空を見上げると雲が一片もなくその青は抜けるようだった。随分日焼けしたなと思いながらふと蝶を探すともうどこにもいなかった。一瞬微風が吹いたかと思うと、一斉にミンミンゼミの大合唱が始まった。
大江千里著『ブルックリンでジャズを耕す』(P126より引用)


親しかった故人との対話シーンは人を想うことの奥深さ、生と死のコントラストを色濃く演出します。

そして飛んで来た蝶はメタファーとして登場したのか、はたまた本当に照れくさそうに舞っていたのかと、読み手に夢想させる空白を用意するのです。

躍動する言葉はどこまでも正直でフラットです。著者のくらし方や佇まいによって、人生の見つめるべき場所がほのかに照らされるのです。

ブルックリンのせわしなさとそこで暮らす人々の息吹が聞こえてくるような臨場感。筆者はそれを繊細に静かに柔らかく解きほぐすし、人生は素晴らしいという希望を浮かび上がらせます。

道に迷い、探し、選ぶことを楽しむ

『ブルックリンでジャズを耕す』2

著者はやさしさに根ざした力強い価値観を忘れません。しかし人生のネガティヴな面から顔を背けたりもしないのです。

失敗した経験や親しい人との衝突、ブルックリンで日本人に向けられる差別の目線についても切実に綴っています。

ただしこれらのマイナス要素を、必ずプラスに転じようと試み、もがくのです。そしてその過程で生まれた感情を音楽や文章に昇華させます。

まるで道に迷うことも道を探すことも人生の醍醐味で、道を選ぶことは最上の悦びだと言わんばかりです。

たとえば試行錯誤しながらの会社経営、アルバム制作において著者は成功だけでなく失敗も味わったといいます。

しかし著者は「自分の店だから」と楽しむ気概を失いません。


全てが心臓がドキドキする50歳の手習いの連続なのだ。
大江千里著『ブルックリンでジャズを耕す』(P284より引用)

ニューヨークの青

またニューヨークという街の「来る者を拒まない」懐の広さ、古びた様子、多様性を許容しながらも突き放すようなパラドックスを、ブルックリンの不思議な青空に重ねてこのように表しています。


青い空のキルトが、街のダイバーシティ(多様性)を混ぜ込んだバケツの水をひっくり返したように降る雨のレスポンスだとすると、そこには僕らのこれだけ生き尽くしても報われない想いが、この色を作り出しているのかもしれない。
自分の目が作り出す青という芸術。空全体がビルに切り取られて色を失い、行き場を失くし、それを雨に濡れた道に託す。一針一針縫ったキルトのように、雨の縫い目はしっかりとタイヤの跡を車道に残し、雨が上がった後の空に紺碧の色が鮮やかに浮かび上がる。
大江千里著『ブルックリンでジャズを耕す』(P21より引用)


そして自由の街ニューヨークにすら檻をつくる決めつけやルールと対峙しつつ、もがきながら自分の風味に気づいていくさまをまっすぐに刻んでいきます。傍らにはいつも、愛犬ぴとジャズが寄り添うのです。

ジャズは僕にとって、今も「遠い場所から聞こえるつぶやき」のようなかすかな音である。だからこそ耳を澄まし身を委ね、光と影をゆっくりと描かなければならない。
それこそが僕にとってのジャズ
大江千里著『ブルックリンでジャズを耕す』(P29より引用)


冒頭で、本書は「心に色を塗る魔法の絵の具」であると述べました。

読み手の心をときにパステルに、ときにセピアに塗りかえてしまう魔法の絵の具。

心の色味が足りないと感じるとき、彩りに満ちているとき、両場面におすすめできる素晴らしい本です。

※この記事は掲載メディア様のリニューアルに伴い、許可を頂いたうえでnoteへ再投稿したものです。


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