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お父さんみたいになりたい。

この世には2種類の人間しかいない。
お風呂の浴槽につかる人と、つからない人だ。

実家で暮らしているときには、お風呂の浴槽にはお湯が張られていた。7才のときに4人の兄妹みんなでお風呂に入ると、そのころまだ小さかった妹がお風呂の中でうんこを漏らした。大爆笑しながら手ですくってあげた記憶がある。


ひとり暮らしをスタートすると、お風呂の入り方ってのは実家暮らしのときと形態がかわる。浴槽につからなくなり、シャワーだけで済ますようになるのだ。


時間がもったいないし、水道代ももったいない気がするから。お風呂は単に身体の汚れを落とす場所になり、リラックスする場所ではなくなる。



それでも、この年齢になっても時たまお風呂の浴槽につかることもある。どうしようもなく疲れた気分になったとき、自宅にいながらひとりの時間を過ごしたいとき、こういうときはお風呂にお湯を張って、30分とか長いときだと1時間以上つかるときもある。



私の場合なのだが、たとえどんなに疲れていたとしてもお風呂の浴槽につかりながら眠りに落ちることはない。記憶をどう辿っても、お風呂の中で眠ってしまったという経験がない。


この記事をご覧になっているみなさんはどうだろう。お風呂の浴槽につかりながら眠りに落ちてしまう人がどれだけいるだろう。たぶん、いるにはいるんだろうけれど、その数は少数なのではないかと思われる。




どうして「お風呂で眠りにつく」ことについて言及するかというと、私の父がまさにそうだったからだ。


つまり父はお風呂に入ると必ず眠っていた。


子どもながらに心配だった。科学的なことはわからないけれど、お風呂の中で眠るというのは健康に悪そうだ。なんか血流に悪そう。

父がどうしてお風呂の中で眠っていたのか。理由は至極簡単で、疲れていたからだ。



父は毎日疲れていた。


過去にも書いたが私の両親は若くして親となり、私を含めて年子の子どもたちが連続で4人。20代前半でその境遇となった場合、父が一家の主としてこの家を維持していくというのは並大抵のことではない。

父は身を粉にして働いた。

子ども心に心配だった。



朝は5時や6時に起きて仕事にいく。父の朝の準備はどんな人類よりも早くて起床後5分で仕事に出かける。冬になると深夜2時やら3時やらに仕事に向かう。私たち子どもが朝起きると父はもういなかった。

それでいて夜の帰りも遅かった。

21時あたりがいつも帰ってくる時間。遅いときはもっと遅い。大人になってから父が言っていたのは「男は黙って外で働いて家にお金を入れるのだ」ということで、この単純明快な思想は今の私に生きている。


父は家に帰ってくると明るい声で「ただいま〜」と言ってリビングに飛び込んできた。私たち4人の兄妹は「寝たふりをしろ〜!」と言ってリビングで寝たふりをする。父が「お前ら起きてるべ!」と言うとみんなでワッと起き上がって「おかえり〜!」と叫ぶ。


そうか、家族とはこれか。



そういや、生後まもない赤ちゃんの私を、私の顔にそっくりな父が笑顔でお風呂に入れている写真がある。赤ちゃんの私の顔は毛ガニのように赤くて父はカメラを向いて笑ってる。あの写真を撮ったのはそうか、当時19歳の母さんか。



父がお風呂に入ると、いつも長い時間出てこなかった。数十分が経つころ「きっと今日も寝ているにちがいない、健康に悪そうだし、なにより心配だから見にいこう」ということで、お風呂の外から「父さん?」と声をかける。

いつも返事はなくて、ドアをそっと開けると父は浴槽で寝ている。お湯の中に溶けるように。

父さん、そろそろお風呂から出ないと、と言うと「おっ、そうだな」と言って、しばらくするとお風呂から出てきたもので。



先ほど私はこう書いた。

私の場合なのだが、たとえどんなに疲れていたとしてもお風呂の浴槽につかりながら眠りに落ちることはない。記憶をどう辿ってもお風呂の中で眠ってしまった、という経験がない。


父はいつもお風呂で寝ていた。

文字通り朝から晩まで働いて、それほどに疲れていたんだ。

どれだけ疲れていたのか想像に難しくない。小さなころ、予定のない日曜日になると父も母も泥人形のように眠っていた。あれは単純に疲れていたんだ。終わりがあるようで終わらない子育て。それは毎日。そして何年も何年も。


いまの私はどれだけ疲れていてもお風呂の中で眠ることはない。多分なんだけどこれからも眠ることはない気がする。


私が中学生になったころ、父はいつもこう言った。

「ダーキいいか、お前は俺のようになるな。頭を使う仕事をしろ。お前ならできる」


子ども心にこの言葉の言外にあるメッセージがわからなかった。

いまも、わからない。

わかるようで、わからない。



父さん、おれはずっと思ってるんだ。


おれはね、

父さんみたいになりたいよ。


〈あとがき〉
どんなに仕事に対して哲学をもちこんでも、家族や子どもを大切に育てるという哲学には敵いません。最近はカッコつけたりそれっぽいミッションを掲げる企業がベンチャーでも増えていて、なんだか思うところはあるのですが、私の会社の理念は単純明快に「すべての家族を幸せにする」でいいんじゃないかな、とこれを書いて思ったりします。今日も最後までありがとうございました。

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