JW439 出雲を討て
【崇神経綸編】エピソード14 出雲を討て
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前38年、皇紀623年(崇神天皇60)秋。
ここは、出雲国(いずも・のくに:現在の島根県東部)。
出雲君(いずも・のきみ)の振根(ふるね)によって、弟の飯入根(いいいりね)が討たれた。
このことは、振根の、もう一人の弟、甘美韓日狭(うましからひさ)(以下、カラピー)。
その息子、鸕濡渟(うかずくぬ)(以下、ウカズ)の耳にも届いたのであった。
カラピー「我が君が、飯入根の兄上を、お討ちあそばされるとは・・・。」
ウカズ「父上・・・。巷(ちまた)では、このような歌が唄われているそうですぞ。」
カラピー「歌?」
ウカズ「八雲(やくも)立つ~出雲梟帥(いずもたける)が~佩(は)ける太刀(たち)~黒葛多巻(つづらさわま)き~さ身無しに~あわれ~」
カラピー「出雲梟帥が佩いていた太刀は、葛(かずら)をたくさん巻いていたが、中身が無く、気の毒だ・・・という意味だな? しかし、こげな歌が、流行(はや)っちょるとは・・・。」
ウカズ「父上? これから、出雲は、どうなるのでしょうか?」
カラピー「何を言っちょうだ(何を言ってるんだ)! 夜麻登(やまと)に逃げるぞ!」
ウカズ「に・・・逃げる?」
カラピー「分からんのか! 次は、我らの番だに!」
危機を感じ取った親子は、ヤマトに亡命し、崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)に、全てを報(しら)せた。
ミマキ「振根殿は、聞く耳を持たずか・・・。仕方ない。こうなれば、人数を繰り出すまでじゃ。」
カラピー「つ・・・ついに、戦(いくさ)となるのですな・・・。無念にござりまする。」
ミマキ「先に剣を抜(ぬ)いたのは、向こうじゃ。仕方あるまい。大吉備津日子(おおきびつひこ)こと『芹彦(せりひこ)』! 並びに、武渟川別(たけぬなかわわけ)こと『カーケ』!」
芹彦・カーケ「ははっ。」×2
ミマキ「出雲国造(いずも・の・くにのみやつこ)が謀反(むほん)を起こした。ただちに、これを討ち、民(おおみたから)を安(やす)んじめよ!」
芹彦・カーケ「ははっ。」×2
こうして、芹彦と「カーケ」は、出雲に派遣された。
さて、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)に、日嗣皇子(ひつぎのみこ)の活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)がやって来たのは、ほかの者たちが退出した頃合いであった。
ミマキ「ん? 何用(なによう)で参った? 『記紀』に、このような、やり取りは無いぞ?」
イク「それでも、言いたいことがあって、参内(さんだい)致しました。」
ミマキ「言いたいこと? 何が言いたいのじゃ?」
イク「大王(おおきみ)は、出雲君ではなく、出雲国造と仰(おっしゃ)いましたよね? そんなこと・・・。振根殿が怒るのは、当たり前じゃないですか!」
ミマキ「仕方なかろう。先に、矢を放ったのは、振根じゃ。討たねば、示(しめ)しがつかん!」
イク「そ・・・そんな・・・(´;ω;`)ウッ…。そんなの・・・あんまりです・・・。」
納得がいかない「イク」様には、申し訳ないが、討伐軍は出陣したのであった。
つづく
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