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JW435 弥和乃御室嶺上宮

【崇神経綸編】エピソード10 弥和乃御室嶺上宮


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

吉備名方浜宮(きびのなかたはま・のみや)に、天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)が鎮座(ちんざ)して、四年の歳月が流れた。

すなわち、紀元前40年、皇紀621年(崇神天皇58)。

ここは、吉備国(きび・のくに:現在の岡山県と広島県東部)。

地図(吉備国)

御杖代(みつえしろ)の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)(以下、きぃ)は、衝撃を受けていた。

「アマ」様が、再びの引越を宣言したのである。

アマ「・・・ということで、国中(くんなか:奈良盆地)に帰るぞ。」

きぃ「か・・・帰られるのですか? なにゆえにございます?」

アマ「なにゆえか・・・。それは分からぬ。ただ、帰って、考え直したいのじゃ。」

こうして、吉備から国中に戻ったのであった。

地図(吉備から国中へ)

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)が喜んだのは、言うまでもない。

ミマキ「よくぞ、戻って参った。この日を、どれだけ夢見ていたことか・・・。」

傍には、母の遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)(以下、アユ)と日嗣皇子(ひつぎのみこ)の活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)もいる。

系図(きぃ、アユ、イク)

アユ「嗚呼! 私の『きぃ』ちゃん! ようやく帰って来られたのね!」

イク「義姉上。おかえりなさい。」

きぃ「ただいま戻りました。此度(こたび)は、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)の近くにて、『アマ』様に奉仕(ほうし)出来る運びとなりましたよ。」

地図(磯城瑞籬宮)

イク「三輪山(みわやま)に鎮座することになったんだよね?」

地図(三輪山)

きぃ「そうね。でも、それだけじゃないのよ。此度も、諸説有りなのです。」

アユ「えっ? すっごく遠くに行っちゃうとか?」

きぃ「母上・・・。御心配くださいますな。同じ三輪の地にございます。その名も、高宮神社(こうのみやじんじゃ)と申しまする。ただ・・・。」

アユ「ただ?」

きぃ「三輪山の頂(いただき)に有る社(やしろ)なのです。写真撮影も禁止で・・・。」

地図(高宮神社)

イク「じゃあ、会いにいくには、山を登らないといけないんだね?」

ミマキ「近くて遠い気がする・・・。されど、その社は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の御子神(みこがみ)、日向御子神(ひむかいのみこのかみ)が祀(まつ)られておるぞ?」

きぃ「日に向かう・・・『アマ』様にも、当てはまるかと・・・。」

ミマキ「そ・・・そうなるか・・・。そうか・・・。されど、毎日、登れる自信が無い・・・。」

アユ「はぁぁ? 何、言ってんのよ! 可愛い娘のためだったら、私は登れますからね!」

ミマキ「なっ! 汝(なれ)は、孫がいる歳なのじゃぞ? 無理をせぬ方が良い。」

イク「僕が、代わりに登るよ! 言伝(ことづて)が有ったら、なんでも言ってよね。」

アユ「嗚呼、『イク』ちゃん! ホントに、いい子ねぇ。じゃあ、いろいろ頼もうかしら・・・。」

きぃ「ち・・・ちなみに、此度の宮の名は、弥和乃御室嶺上宮(みわのみむろのみねのうえのみや)にございます。」

こうして「きぃ」は、国中に戻ってきたのであった。 

つづく

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