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JW477 赤絹強奪事件

【垂仁天皇編】エピソード6 赤絹強奪事件


第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。

すなわち、紀元前28年、皇紀633年(垂仁天皇2)。

垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)の元に、一人の人物が参内(さんだい)していた。

その人物とは、意富加羅国(おおから・のくに)の王(こきし)の子、蘇那曷叱知(そなかしち)(以下、ソナカ)である。

ソナカ「大王(おおきみ)・・・。ウリ(私)は、決断したハセヨ。国に帰るニダ。」

イク「仕方ないね。じゃあ、赤絹(あかぎぬ)を百匹(ひゃっぴき)、汝(いまし)に贈るよ!」

ソナカ「赤く染められた絹ニカ? とっても嬉しいニダ! カムサハムニダ(ありがとう)!」

イク「あと、これからは、意富加羅国ではなく、先代の名前に肖(あやか)って、任那国(みまな・のくに)と呼べばいいと思うよ。なぜなら、そう書かれているからだよ。」

ソナカ「よく分からないけど、大王の命なら、仕方ないニダ。今日より、意富加羅国は、先代の大王、御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)様の名を取り、任那国と名乗るハセヨ。」

地図(任那国)

こうして「ソナカ」は、赤絹を持って帰国した。

ところが、それを聞いた新羅人(しらぎびと)が、軍を起こし、赤絹を全て奪い取ったのであった。

地図(新羅の任那侵攻)

新羅人「ウォ(おまえ)のモノは、ウリのモノ。ウリのモノは、ウリのモノ!」

ソナカ「聞いてないハセヨ! どういうことニカ!?」

新羅人「そう書かれているのだから、仕方ないハセヨ! ちなみに、新羅は、紀元前57年、皇紀604年(崇神天皇41)に建国されたと言われているニダ。ちなみに、今は、初代の王様、朴赫居世(ぼく・かくきょせい)様の時代ニダ! 恐れ入ったニカ?!」

ソナカ「そんなこと聞いても、驚かないニダ! ウリの国は・・・。ウ・・・ウリの国は?」

新羅人「自分の国が、いつ出来たかも知らないニカ? 本当に王子様なのか、疑わしいハセヨ!」

ソナカ「う・・・うるさい! こうして、任那と新羅は、敵対する関係になったハセヨ!」

さて、半島で強奪事件が起きていた頃、日本列島では・・・。

イク「神社が創建されたんだよ。」

ここで、大后(おおきさき)の狭穂姫(さほひめ)こと「さっちん」と、その兄の狭穂彦(さほひこ)が口を開いた。

系図(さっちん、狭穂彦)

さっちん「大王? その社(やしろ)は、倭姫(やまとひめ)こと『ワッコ』ちゃんが建てたとも伝わっているのですよ。」

狭穂彦「左様! 大王の御膳(ごぜん)を守護(しゅご)し奉(たてまつ)らんと、御食津神(みけつかみ)を祀(まつ)ったと伝わっているのでござる。」

イク「そ・・・そうだったんだ・・・。ありがとう『ワッコ』ちゃん・・・(´;ω;`)ウッ…。」

さっちん「そ・・・そんな・・・泣かずとも・・・。」

狭穂彦「して、社の名は、穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)にござる!」

イク「ところで、義兄上? どこに鎮座(ちんざ)しているの?」

狭穂彦「山に鎮座しておりまするぞ。その名も『弓月岳(ゆつきがたけ)』にござる。漢字表記は、いろいろ有りまして『斎槻嶽』とか『由槻嶽』とも書かれておりますぞ。」

イク「そ・・・それで、山は、どこに有るの?」

一体、どこに有るのであろうか? 

次回につづく

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