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【日記】ドラえもんの出生にヒントがあった。

アメトーーク!ドラえもん芸人を見返す機会があり、その中で『2112年ドラえもん誕生』という映画の場面が使われていた。それをきっかけに、映画本編を見直した。

そうして何のヒントがあることに気づいたか?

はっきり書くのが照れるようなことなので、読み進めていくうちに分かるように書いていく。

ドラえもんは、一生懸命に努力する。だが、その努力は実らない。映画を観た方ならば、「いや実ったよ。一生懸命頑張ってセワシくんと友達になれたし、ロボットの友達もたくさんいるし、悪党も捕まえたし、」と言うだろう。

だが、正確には「規格品になるための努力」の結果が出ていないのだ。黄色い猫耳付きの優秀な子守り用ロボットという規格品にはなれなかった。ドラえもんが受け入れられたのは規格品であるかどうかという基準以外のところであり、規格品であるかどうかという基準以外が見える人とロボットがいる環境があったからなのだ。

それと、ドラえもんが劇中で飲む道具である『悲劇の素』が鍵である。これを飲むと、ひたすら悲しくなるという道具だ。

この道具が一体、何のために存在するのか?

物語的にも、未来の社会にとっても。

ドラえもんは泣き明かして暴走して、果てにある事件を解決し、セワシくんも助けることになる。さらには、それをきっかけに、ミニドラという「新しいロボット」が開発される。新しいものが世に放たれるんだから、多少なりとも社会に影響は与えるだろう。

堂々と泣いたら社会が変わる、というのは景気が良すぎるだろう。だが、満更ウソでもないはずだ。

泣くことで悲しみが社会化される。「あなたが泣いてる間は社会が変わっている。堂々と悲しんで、自分以外の他人に悲しいと示せる社会に変えている」と、言える他人がいたら心強いと思う。

これは新しいアニメの方だが、ドラえもんが「規格品じゃない」青い猫耳なしの(規格にてらせば)不良品のままでいることが、「一緒に成長できるロボットなんて素晴らしいじゃないか」という「新しい価値観」をも生み出したのだ。

規格品じゃなくても、食べたいだけ食べて、友達作って遊んで、周りに助けてもらって、「くよくよしてもしょうがない」なんて自分の感情抑えず泣きわめこう。お世話になったお返しは(かなり)長いスパンになるけれど(1世紀くらい……)。

また、規格品であるかどうかという基準以外が見えるように気をつけよう。

手記や自伝や道徳の教科書より、よほど芯を食っている。フィクションの力に、初めて自覚的に気づくことができた。

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