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【三國志演義】ネタ -東アジア三国か、インド以東から日本までのプラットフォームか-表現者の選択は?


孔融はなぜ殺されたか?(儒家と仏教の相克)


諸子百家にみるラチチュードと、仏教的な地域文化を尊重する概念「随方随時毘尼」の寛容性


そして、この地域の表現者はどのプラットフォームを選択するのか?



仏法の根本の法理に違わないかぎり、各国・各地域の風俗や習慣、時代ごとの風習を尊重し、随うべきであるとした教え。 随方随時毘尼ともいう。 毘尼はサンスクリットのヴィナヤの音写で、律(教団の規範・規則)の意。

(Wikipediaより「随方随時毘尼」(日蓮派では「随方毘尼(ずいほうびに)」)という仏法の考え方について)

仏教は「仏法」と云われるように「構造的」に構築されている世界宗教のひとつではある。特に、インドを発祥として、東の果てまで到達したので「インド以東のアジア圏」の巨大な宗教文化的なプラットフォームであるのは言うまでもない。

一方、その中間に存在した中国を経由して、日本に到達したのも知られている。そして、その日本の中でも最後に到達したのは、東日本である。それより東は太平洋だ。

その代表的なタレント「日蓮」という人物は、現在の千葉県の安房小湊の出自であるのも知られたところだ。
いわゆるインドからたどり着いた「仏法」の東の到達点である。したがって、その宗教文化基盤の由来から云えば「インド以東から最果てまでたどり着いた終着点」が、日蓮の仏法でもある。定義するなら「仏教圏」はこの割とインドから日本までの広い範囲を網羅する。

そして、厄介なことではあるが、世界宗教と共に文化風習の基盤にあるのが少し地域性が高い「東アジア文化圏」の「諸子百家」だ。その中でも、「儒家」は現代でも「東アジア」の基礎風習だ。ただ、これは地球の表面から見たら限定的な地域の特殊な思想的背景なので、世界的には宗教的背景とは云われないだろう。

さて、立ち戻って「孔子」の話だが「儒家」の始祖であるのは東アジアでは当然の事と認知されている。
安定的な時代においては「規律」「倫理」的な東アジア圏の「基礎地盤」の概念だ。ただ、東アジアから出てしまったら、あまり世界的な認知にかけているので、そのような風習は「興味の対象」として見られる事が多い。
※サッカーの大会などの国際的なイベントで、日本人がゴミ拾いをするのはその象徴的な例だ。(一方で、ごみ拾いを生業とする個々人への権利侵害ともなっているのは想像に難くない)

恐らく、これくらいは想像力の範疇でも「東アジア」という地域性はイメージできると思われる。

倫理観というのは、それぞれの文化圏の宗教観が前提となる場合が多いが、東アジアの場合は「宗教性」とは少し違った「東洋哲学的」な「儒家思想」が支配的だ。しかしながら「世界宗教」として認識される「仏教・仏法」は、カバーされる地図の版図が異なる。その両立が実現されているのは冒頭の「随方随時毘尼」という仏法の概念ではないか?

つまり仏法は、その土地の原始的な宗教性や哲学性を踏まえて、それを尊重したうえで「その軸だけは譲らない」柔軟性をもとより有しているというわけではないか?それが「良い/悪い」ではないのだが、その寛容さから「世界宗教」の一端を担っているのは明らかだと私は感じている。ただ、その上で「法的な構造」を持った宗教でもあるという事は一つの特質だろう。

三國志演義の話にようやく到達するのだが「孔融」(孔子の子孫)が曹操によって断罪されたのは、何かしら野心的な価値を提示しようとするものには「固定化し過ぎた規律」がやっかいな「鎖」であるのは明白だろう。乱世に生きるものの代表例として「曹操」は登場したのだ。三國志演義は東アジアの「創作大河小説」である。つまり時代性によっては「形式的な規律」が障害「壁」になるのだ。

また、時代に応じて「仏教文化」と「儒教文化」が交錯する意味でダブルスタンダードが成立する「東アジア圏」のやっかいさはその辺りにあると感じる。「原理主義的に固定化した倫理観」と「寛容をモットーとする仏法」があちらこちらで混在するのだ。

「東アジア」という枠で物事を捉えていくのか?
「世界宗教・文化基盤」を前提としたインド以東から日本までの価値観で物事を捉えていくのか?

こと、東アジア圏の表現者は選択を迫られているように感じる。

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