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低空飛行から風穴

10
全10編(約10000字)の小説 仕事に躓いている女性の再起物語
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記事一覧

低空飛行から風穴(10/10)

10.
 散々、頭に思いついたことから手当たり次第に吐き出して、投げつけて、きづいたら外はもう真っ暗だった。日が暮れていた。女友達相手にいつの間にか泣きながら悩みを相談するよくありそうな風景の中の1人になっていた。周囲には人が少なかった。ヘッドフォンをつけながら勉強している大学生がぽつんと自分の世界に入っているだけだった。
 ようやく落ち着いた香里の肩を、またポンと叩いて体温を残す智花。

「よし

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低空飛行から風穴(9/10)

9.
「言われてみれば鼻が少し高くなった気がする。けど化粧のせいかと思った」
「いじったのは鼻とね、あと二重にしたの」
「けっこうかかった?」
「ん?」
「時間とお金」
「時間はそんなに。お金はまあまあかなあ」

 ま、あたし給料低いからさ、と屈託なく智花が笑う。その笑顔には確実に会っていたころの名残がある。整形は、する必要もなかったと思うけど、もし、智花が自分の鼻とか目とかが嫌いで、鏡を見るたび

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低空飛行から風穴(8/10)

8.
 それから卒業までの短い間、毎日欠かさずカラオケで遊んだ。達志と智花と香里のいつだって3人で。

「棚橋香里です」
「智花でーす。ちょっと名前似てるね!」

 あっけらかんとそう言われてリアクションを示す暇もないまま、我先にと曲を入れまくる達志と智花をしばらく見守っていた。
 2人は産まれた病院が同じという生粋の幼馴染で、智花が母親の転勤についていく形で引っ越していったのが小学校入学前。それ

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低空飛行から風穴(7/10)

7.
 大学入試の合格発表を見に行った帰り道、香里は自分の中に巣くう「荒れたい」願望に気付いた。

 親の言うことをちゃんと聞き、学校や塾の先生の言うとおりに勉強をし、着実に成績を上げてきた自分。公立がいいか私立がいいかなんて思案したことはない。すべて親や先生が下す判断が正解だと丸っきり信じ込んでそれに従ってここまできた自分。部活もやらずにひたすら勉学に打ち込んできた自分。親や先生が理想とする華々

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低空飛行から風穴(6/10)

6.
 トモカが指定してきたのは、香里の家から五分くらい歩けば着いてしまうくらい近すぎる全国チェーンのファーストフード店だった。店内は煌々としていて目に痛い。自動ドアの開く音、店内に充満する独特なメロディと、人、人、人。吐き気を覚えそうになりながら、香里はカウンターの向こうにいる店員に適当に飲み物だけを頼んだ。「二階の窓際の席ね」と言っていたトモカの淀みない指示に従順に従う。
 席についてなんとな

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低空飛行から風穴(5/10)

5.
「はい、はーい」
 繋がった。なんとも気の抜けた女性の声が聞こえてきた瞬間から、香里はにわかに緊張してきた。まさか繋がるなんて思ってもいなかったし、ましてや繋がった後のことなんて考えてもいなかった。随分と浅はかな考えでえらいことをしてしまったもんだ。何を言ったらいいかと迷いながら口をぽかんと開けたままでいる。
「香里久しぶりじゃん」
「え、知ってるの私のこと」
「ああ? なーに言ってんの」突

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低空飛行から風穴(4/10)

4.
 時間を確認するという作業もないがしろにしたいほど投げやりで堕落的な気持ちに支配されていたけれど、カーテンの隙間から漏れ出る太陽光の量と角度でそれはおのずと知れた。
 お気に入りのピンクのチェック柄カーテンが部屋を薄桃に染めている。
 こういったときに、家族や友人に相談したり頼ったりする自分の姿が思い浮かびはすれど、実際に行動に移すことは絶対にないだろうという確信も同時に頭をもたげる。下手だ

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低空飛行から風穴(3/10)

3.
 少しの間、通話終了している携帯を片手にぼーっとしていたらしい。制服を着たままベッドの上に倒れ込んで動けなくなって、そのまま、また目を閉じた。相変わらず食欲はなくて、体中の感覚もあいまいで、おぼろげで、まるで空中に投げ出されてふわふわ留まっているような、欲という欲が心から抜き出されてしまったような、捉えどころのない気持ちだった。
 病院に行くことをぼんやり考えた。何をする気にもなれない。頭の

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低空飛行から風穴(2/10)

2.
 食品卸会社の事務という、週休二日、定時五時、月給手取り十六万ほどの手堅い仕事に新卒で就いた。仕事を覚えるのは何ら苦ではなかった。ひと月ほど経った頃、寡黙だけれどいざという時には助け船をくれる粋な主任だと思っていた男が、一変した。
 お茶がまずい、と言われた。
 電話の受け答えの声が小さいと言われた。
 報連相がなってないと言われた。
 ここまでは、指導の範囲だと受け止めることができた。香里

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低空飛行から風穴(1/10)

1.
 つま先でさするシーツの感触が昨日までのそれとは違っていた。それは初めて捕えることのできた違和感だった。
 朝食のために、大切に、育てるように焼き上げた目玉焼きの味も、感じられなかった。オレンジジュースの酸味もない。まるで舌の上を泥の塊が通りすぎていったようだった。
 何かがおかしくなっているかもしれない、自分のからだがどこか変だ、と鈍る頭でぼんやりとおもった時にはもう、出社時間を過ぎていた

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