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日本人としての生き方に目覚めつつある。日本の文化のため、英霊に恥じない生き方を決意 自…

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日本人としての生き方に目覚めつつある。日本の文化のため、英霊に恥じない生き方を決意 自分に足りない視点や情報を教えてくれる仲間を募集しています 考えに共感してくれる方だれでも歓迎ですよろしくお願いします

記事一覧

日本の歴史で大衆が合理的に考えてより良い判断が取れたことがあったのだろうか?
戦時中も日本にとっても都合の良い話を信じて実際の戦場の状況について国民はろくに理解していなかった
精神論や根性論を信じて合理性は欠いた判断が多いのは今も同じではないかと思う

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3時間前

体に必須な栄養素も取りすぎれば害になる。危機に関する事実や情報もあったほうがいいけど、多ければいいというものでもない
危機を訴える人だけがいればいいというわけでもない。誰もが危機を訴えればいいというわけでもない
生存のための戦いの場は言論の場以外にもあるはず、そちらにも気を配る

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4時間前

生物や自然、魂を絶対視したような意見もとても胡散臭く感じる
我々人間は間違いを犯す。だが、他の生物や自然も間違いを犯すはずがないとは言い切れないし、間違っていないという解釈をしているだけだと思う
ただ人以外の生物は根源にある目的を忘れることはないと思う。だから種を残して行ける

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5時間前

晴耕雨読という言葉を考えてみる
自然に合わせて悠々自適に暮らすというのが本来の意味だが、能動的になるときは能動的になり受動的になるところは受動的になるというアウトプットとインプットのバランスが取れた言葉にも感じた
畑を耕すことが能動性に代表であり、本読むのが受動性の代表かと思う

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17時間前

食料や国土の危機がわかったからこそ、その危機に対してより能動的に対処ができる手立てが欲しいと思う
言論・情報発信に能動性を求めるのは限界がある
言葉だけでは土地は動かせないし食料も作れない。

効率が悪いとかそういうのをいったんわきに置いて、能動的にやれることやってみたい

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1日前

言論は能動的な行いか?受動的な行いか?
たくさんの人が情報発信をしているけど、情報発信は受け手がいなくては基本成立しない。そういう意味では言論は受動的な姿勢がどうしても強く出てくると思う
かといって能動性を高めるために強烈な行動をとれば過剰な行為に結びついてしまうとも思う

oono
1日前

日本の国土全てが日本の歴史に深く結びついた大切なものであるのは間違いない
だが、今目覚めることができた国民の数で国土全域を守れるかというと正直全然足りていないと思う
人数を増やせばとは聞くがそれが一番の難題と考えている。地方の優先度をつける、最悪の場合も考えておいた方がいいと思う

oono
1日前
1

地域を探す、人間が生きられる地域を作る
言論に限界を感じている以上、現実にできることで立ち向かうしかない
日本の農業は補助金が全国で最低レベルだが、これを変えることさえも現実は厳しいと思う
せめて理解ある地方が農業などを守るために動けるところを作り出せないかと思う

oono
2日前

人間はやりすぎてしまい間違いを犯すと思う。だが、人間以外が間違いを起こすことはないと言い切ることはできないとも思う
自然も時々ミスを犯す。自然がミスというものを考えるとは思えないが、そういう解釈もあると思う
人間のやりたい放題も、自然絶対主義というものもどちらもやりすぎだと思う

oono
2日前

フィクションの解釈をめぐる議論という名の押し付け合いはそこらで起きているが、フィクションではない現実の話をしているところはなんとなく少ない気がする
人間の最大の武器はフィクションだけど、それだけで人間は生きていない
生物に必要な要素及びに生物として生きる要素も考えるべきではと思う

oono
2日前

暗闇に耐えたものにしか朝は来ない。好きな漫画のセリフだ
多くの賢いものがどこまで続くかもわからない暗闇の中戦い抜き、けれどついぞ目覚めの朝は来なかった
自分たちがいるのは彼らが日本人の目覚めという朝が来ることを信じた先の時代だ。彼らでも迎えることができなかった朝を信じぬけるか

oono
2日前

いい本、生き方を見直すきっかけとなる本は確かに存在する。だが、すべての人に響く本や言論はおそらくない
現状、真実を話す声、正論を訴える声は圧倒的に少なく。真実が勝利する可能性はかなり低い
一発逆転の切り札はない。そんな中で生きようというものが本気で取り組めることは何か?

oono
2日前

大人になれ。そういわれ来たし自分もそうなるべきだと考えてきた
けれど、今振り返れば、大人はどこいたのかと首をかしげたくなる
大人を体現するものはどこにもいなかった。過去を振り返ってもほとんどいなかったのではないか?
大人になるということに難しさ、だれにでもなれないということを知る

oono
2日前

心を湧き立てる言論人の発言は結構聞いてきたが、最近は彼らの言葉に胃もたれを感じている
言論や正論で人を目覚めさせる可能性はあるとは思う。けれど、万能の魔法ではない。どんなにうまく訴えかけても目覚めない人は目覚めない
言論に希望はあるが、限界もわきまえなくてはならない

oono
2日前

森永卓郎さんの本を読んで、自給自足の生活に強く惹かれている
ただ、車の運転が増えてだから、交通インフラが乏しい田舎すぎる場所には住むことはできないと思う
田舎すぎない場所で自給自足に近い生活は可能なのだろうか?
ちょうどいい田舎はどこかにあるだろうか。情報を求めている

oono
3日前

立派であるか否かではなく、生産的であるか非生産的であるかが人間観の基準となるのではないかと福田は述べる
理想を実現不可能な指針とするのか?実現可能な目的とするのか?
可能な範囲で理想を納めるのか?不可能な範囲まで広げて可能性を模索するのか?とらえ方次第で大きく変わる

oono
5日前

日本の歴史で大衆が合理的に考えてより良い判断が取れたことがあったのだろうか?
戦時中も日本にとっても都合の良い話を信じて実際の戦場の状況について国民はろくに理解していなかった
精神論や根性論を信じて合理性は欠いた判断が多いのは今も同じではないかと思う

体に必須な栄養素も取りすぎれば害になる。危機に関する事実や情報もあったほうがいいけど、多ければいいというものでもない
危機を訴える人だけがいればいいというわけでもない。誰もが危機を訴えればいいというわけでもない
生存のための戦いの場は言論の場以外にもあるはず、そちらにも気を配る

生物や自然、魂を絶対視したような意見もとても胡散臭く感じる
我々人間は間違いを犯す。だが、他の生物や自然も間違いを犯すはずがないとは言い切れないし、間違っていないという解釈をしているだけだと思う
ただ人以外の生物は根源にある目的を忘れることはないと思う。だから種を残して行ける

晴耕雨読という言葉を考えてみる
自然に合わせて悠々自適に暮らすというのが本来の意味だが、能動的になるときは能動的になり受動的になるところは受動的になるというアウトプットとインプットのバランスが取れた言葉にも感じた
畑を耕すことが能動性に代表であり、本読むのが受動性の代表かと思う

食料や国土の危機がわかったからこそ、その危機に対してより能動的に対処ができる手立てが欲しいと思う
言論・情報発信に能動性を求めるのは限界がある
言葉だけでは土地は動かせないし食料も作れない。

効率が悪いとかそういうのをいったんわきに置いて、能動的にやれることやってみたい

言論は能動的な行いか?受動的な行いか?
たくさんの人が情報発信をしているけど、情報発信は受け手がいなくては基本成立しない。そういう意味では言論は受動的な姿勢がどうしても強く出てくると思う
かといって能動性を高めるために強烈な行動をとれば過剰な行為に結びついてしまうとも思う

日本の国土全てが日本の歴史に深く結びついた大切なものであるのは間違いない
だが、今目覚めることができた国民の数で国土全域を守れるかというと正直全然足りていないと思う
人数を増やせばとは聞くがそれが一番の難題と考えている。地方の優先度をつける、最悪の場合も考えておいた方がいいと思う

地域を探す、人間が生きられる地域を作る
言論に限界を感じている以上、現実にできることで立ち向かうしかない
日本の農業は補助金が全国で最低レベルだが、これを変えることさえも現実は厳しいと思う
せめて理解ある地方が農業などを守るために動けるところを作り出せないかと思う

人間はやりすぎてしまい間違いを犯すと思う。だが、人間以外が間違いを起こすことはないと言い切ることはできないとも思う
自然も時々ミスを犯す。自然がミスというものを考えるとは思えないが、そういう解釈もあると思う
人間のやりたい放題も、自然絶対主義というものもどちらもやりすぎだと思う

フィクションの解釈をめぐる議論という名の押し付け合いはそこらで起きているが、フィクションではない現実の話をしているところはなんとなく少ない気がする
人間の最大の武器はフィクションだけど、それだけで人間は生きていない
生物に必要な要素及びに生物として生きる要素も考えるべきではと思う

暗闇に耐えたものにしか朝は来ない。好きな漫画のセリフだ
多くの賢いものがどこまで続くかもわからない暗闇の中戦い抜き、けれどついぞ目覚めの朝は来なかった
自分たちがいるのは彼らが日本人の目覚めという朝が来ることを信じた先の時代だ。彼らでも迎えることができなかった朝を信じぬけるか

いい本、生き方を見直すきっかけとなる本は確かに存在する。だが、すべての人に響く本や言論はおそらくない
現状、真実を話す声、正論を訴える声は圧倒的に少なく。真実が勝利する可能性はかなり低い
一発逆転の切り札はない。そんな中で生きようというものが本気で取り組めることは何か?

大人になれ。そういわれ来たし自分もそうなるべきだと考えてきた
けれど、今振り返れば、大人はどこいたのかと首をかしげたくなる
大人を体現するものはどこにもいなかった。過去を振り返ってもほとんどいなかったのではないか?
大人になるということに難しさ、だれにでもなれないということを知る

心を湧き立てる言論人の発言は結構聞いてきたが、最近は彼らの言葉に胃もたれを感じている
言論や正論で人を目覚めさせる可能性はあるとは思う。けれど、万能の魔法ではない。どんなにうまく訴えかけても目覚めない人は目覚めない
言論に希望はあるが、限界もわきまえなくてはならない

森永卓郎さんの本を読んで、自給自足の生活に強く惹かれている
ただ、車の運転が増えてだから、交通インフラが乏しい田舎すぎる場所には住むことはできないと思う
田舎すぎない場所で自給自足に近い生活は可能なのだろうか?
ちょうどいい田舎はどこかにあるだろうか。情報を求めている

立派であるか否かではなく、生産的であるか非生産的であるかが人間観の基準となるのではないかと福田は述べる
理想を実現不可能な指針とするのか?実現可能な目的とするのか?
可能な範囲で理想を納めるのか?不可能な範囲まで広げて可能性を模索するのか?とらえ方次第で大きく変わる