物語はこのためにある。
■グッド・ウィル・ハンティング/バカの壁
物語ってやつはすごい力を持っているなあ、と再認識させられました。
いい映画を観ました。
『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』です。
孤児という出自を持ち、定職にも就かず、不良仲間と喧嘩やナンパに明け暮れる青年・ウィル。
しかし、ウィルはただ者ではなかった。
まともな教育は受けていないにも関わらず頭脳明晰、あらゆる書物を読破してその内容を記憶している。弁論にも長けて相手をけむに巻くのはお手のもの。数学に関しては著名な専門家を上回る才能を秘めている。
ウィルに目をつけたある数学教授は、その才能を存分に活かせるよう彼を更生させるため、心理学者・ショーンとのカウンセリングを設けた。
初めはショーンと全く向き合おうとしないウィルだが、少しずつ心を開くようになっていく。
■「わかっている」と思い込んでいるウィル
ウィルの頭には膨大な量の知識・情報が入っています。だから、どんな話題になっても、また目の前にあるどんな物についても、高度な知識と結びつけて論じることができます。初対面の人を前にしてさえ、わずかな時間で相手を「わかった」気になり、その上でからかったりあしらったりを繰り返します。
私はウィルの性質に、養老孟司著『バカの壁』第一章で紹介されていたエピソードを想起しました。
養老氏が大学生に、ある夫婦の妊娠から出産までを追ったドキュメンタリー番組を見せたところ、女子学生は「勉強になった」「発見があった」と感想を述べたのに対し、男子学生は「すでに保険の授業で知っているようなことばかりだ」と述べたに過ぎなかったそうです。
将来当事者になり得る女性は細部まで意識を研ぎ澄まして鑑賞するが、男性にはその感覚がないから注意深く見もせずに「もうわかっていること」として片付けてしてしまう。
情報に対する姿勢の違いが〈バカの壁〉を作り出し、表面的な知識をもって「わかった」気になるということが起こる、というような内容でした。
正直言って、私は最初この本を読んだ時に上記の内容がわかるようでわかりませんでした。
本著には、『陣痛の痛みを口で説明できるか。保険の教科書を読んで陣痛の痛みがわかったと言えるか』というくだりがありますが、(できるだけエピソードを交えてはいるものの)まさに口で理屈を説明しているだけの本著では、皮肉にも言っていることが「わからなかった」のです。
私が『バカの壁』を読んでもわからなかった、「わかっている」ということと「わかった気になっている」ことの違いを、少なくとも立ち合い出産くらいの現実みをともなって私に伝えてくれたのがこの映画でした。
■ショーンの反撃に押し黙るウィル
映画の内容に戻ります。
ウィルとショーンの初対面は穏やかではありませんでした。
ショーンが振る話題に対してまともに受け答えしないウィル。ウィルの挑発的な言動にもショーンは平静を保ちます。
そしてショーンが描いた一枚の絵に話が及ぶと、ウィルは持ち前の豊富な知識をもとに絵を酷評した挙句、プロファイリングを始めます。
結果、ウィルはショーンの妻を侮辱するにいたり、ついにショーンを激高させました。
それでも、ショーンはウィルのカウンセリングを投げ出しません。
二度目のカウンセリングの場面が、私にとって本作最大の見どころであり、〈立ち合い出産〉の瞬間でした。
少々長いですがショーンの台詞を抜粋します。
■「わからない」けれど「実在する」と確信はできる
ショーンの言っていることと養老氏が言っていることは同じです。が、実際の説得力はショーンの言葉の方が上だと私は感じました。
話を受け取る側であるウィルの人物像を描き出し、我々を惹き付けた上で核心を聞かせているのですから当然です。
そして、これこそが物語の力であり、このために物語があると言っていい。
養老氏は『バカの壁』第一章の冒頭を、
『「話してもわからない」ということを大学で痛感した例があります』
と切り出していますが、話してもわからないのは話がつまらないから(あるいは話者がつまらないから)でしょう。先述のエピソードで言えば、大学生に鑑賞させたドキュメンタリー番組の質が低かったと予想できます。
人間は、真に面白ければ神でも宇宙でもサイコキネシスでも理解します。話が通じてしまいます。歴史が証明していることです。
相手を引き込むというドラマ的な〈仕掛け〉を成功させてからでないと、どんな話も「わからない」。小説や映画など娯楽物はこれが顕著で、創作する人なら誰しも、まず読者や観客を引き込んでからでないとテーマやメッセージについて「わかって」もらえるわけないことを知っています。
教育の場合は学生が自主的に〈姿勢〉を作ってくれることに期待してもいいかもしれませんが、娯楽においては「楽しむ姿勢」や「わかろうとする姿勢」を客に要求するのはナンセンスですから、より〈仕掛け〉の重要性は高いです。
〈仕掛け〉を入念に準備し、大きな流れを作って受け手を運ぶことができるのが物語の強みと言えます。
「考え(理屈)」を「考え(理屈)」としてしかアウトプットできない場合、学者にはなれても物語作家にはなるのは難しそうです。
とは言え、どんなに秀逸な物語も実体験を通しての「わかる」と同じ状態までは読者を引っ張れません。
が、「わからない」けれど「実在する」と確信させることはできるはず。
例えば『死にかけた友を抱きかかえ途方に暮れる』気持ちは、結局私にはわかりません。しかし、そのような気持ちが人の心に生まれ得ることや、そのような気持ちを味わった人間がいることを、この映画は私に確信させてくれました。
男には一生陣痛の痛みはわかりません。それでも、その痛みの実在を確信することはできる。
その領域に人の心を引っ張り上げられるのは、物語しかないでしょう。
「わかる」っていうのはこういうことらしいぜ、と誰かに伝えたいと思ったら、『バカの壁』より『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を勧めてみてはいかがでしょうか。